
ごまめのブログさん(ブックマークあり)で特集されていた「現代の夫婦観」について、
少し考えてみたいと思います。
というのは、私自身、家庭を持って長いのですが「夫婦観」というものをきちんと
考えたことがないように思うからです。
といっても、この記事が真面目な「夫婦観」にはならないでしょう。
定年後の夫婦ということがよく話題になっています。
一言でいえば、夫の処遇です。
夫は今までの罪滅ぼしや他に頼るものがないこともあり妻に近づこうとします。
しかし妻は夫から離れようとします。
「近づく夫、離れる妻」が現象です。
若い頃、二人は映画をよく見に行ったものです。
では定年後はどうでしょう。
夫は夢を再びと映画に一緒に行こうとします。
しかし、妻は映画館は夫と一緒に行くところとはすでに思っていません。
ただし、夫と行くところでなくても友人とはいくのでしょう。
他にも友人と行くところは両手にあまるほどあるそうです。
このことは、冷厳なデータをみなくても、日々、その年代の女性と接しているとよくわかります。
私も最初は、彼女たちが夫のことを厳しくいうのは「照れ」からと思っていましたが、
それは楽観的でした。
彼女たちは、真実を語っていました。
例えば、私が所属している山の会は女性8割。20数名の会員のうち夫婦参加は1組のみ。
それも最近のことです。それまで夫婦参加は皆無でした。
彼女たちにとって、ハイキングは女性同士の社交の場なのです。
データとしてはあやしいのですが、女性が10人いると、夫と一緒に歩くという人は
一人くらいということです。
「どうして、休みまで一緒にいなくてはならないの」、というのが大多数の女性の考えです。
そして、このことの終結としてよく言われるのは、妻との死別に落ち込む男性に対し、
夫と死別後数年には元気に遊ぶ女性像です。
男性の落ち込みはその通りだと思いますが、
女性の元気については、心の奥はわからないものと思っていますよ。
念のために付け加えます。
私は、人生の奥儀は老年にあると思っていますが、男性は女性に比べ老年の過ごし方に
大きな問題を抱えています。
男性の人生には老年に至るまでに人生が低下する大きな原因を作っていることになります。
この原因を突き止めることが、介護予防ならぬ人生低下予防につながるのではないでしょうか。
そこで原因としてすぐに指摘されるのが、会社人間としての偏りです。
会社を離れた男は、後ろだて(社名だったり肩書だったり)を失い、無名のおじさんに
なったことで生きていく意欲が低下してしまうということでしょうか。
このことは定年前に十分意識していても長年の習性や惰性のため、定年ソフトランディングが
できないのが現状です。
その時には、頼りになるはずの妻からも支援の手は届かないという二の矢も受けてしまいます。
男性の人生低下予防は、まず「自分自身を甘やかすな」ということから始まります。
(定年後の妻は甘やかしてはくれません)。
会社は自分の一部ではない。肩書も自分の一部ではないのです。
しかし、社会的地位が高いといわれる人。
すなわち何らかの権力を持っている人は、権力を行使することで自分自身を甘やかすことに
なってしまいます。
そのため自分自身を甘やかしているという自覚がありません。
自覚なしに自分自身を甘やかす。
これは解決困難なことです。
これでは、ほぼ100%、人生低下を起こすことになります。
力を持つことは、後の人生を低下させる。
権力を持ち続けようとすると、老害といわれてしまいます。
このように考えてくると、日本の男性は社会に出ていき、働くことで、後の人生を
低下させてしまう要因をつくっていることになってしまいます。
それは、男性にとっては人生の中で仕事がもっとも優先順位の高いはずと思ったからです。
そしてその仕事は、「自分自身の生活の外」にあるのです。
一方、生活の中に仕事があれば救われます。
なぜなら、生活の中で権力を行使することは、生活を破たんさせることにつながり、
たちまち、人生低下に陥るのが目に見えているので自制できるわけです。
こうしてみると、男性の定年による人生低下の予防は、介護予防にも増して困難なことの
ように思われます。
ことは、「男性の精神の自立=権力からの自立」に関わることなのですね。
ここで逆説的に考えてみると、今もっとも世俗の権力から遠ざかっている人々。
フリーターや非正規労働についている若者こそ、後年には人生の低下をおこさない人々では
ないでしょうか。
人生の早いうちの困難は、やがて人生を向上させるはずです。できれば良き人生の同伴者を
見つけてください、
心と体を労わって長い人生を生きてください。
最後は、現代の夫婦観に戻ったでしょうか。
※写真は、紅葉マーク
少し考えてみたいと思います。
というのは、私自身、家庭を持って長いのですが「夫婦観」というものをきちんと
考えたことがないように思うからです。
といっても、この記事が真面目な「夫婦観」にはならないでしょう。
定年後の夫婦ということがよく話題になっています。
一言でいえば、夫の処遇です。
夫は今までの罪滅ぼしや他に頼るものがないこともあり妻に近づこうとします。
しかし妻は夫から離れようとします。
「近づく夫、離れる妻」が現象です。
若い頃、二人は映画をよく見に行ったものです。
では定年後はどうでしょう。
夫は夢を再びと映画に一緒に行こうとします。
しかし、妻は映画館は夫と一緒に行くところとはすでに思っていません。
ただし、夫と行くところでなくても友人とはいくのでしょう。
他にも友人と行くところは両手にあまるほどあるそうです。
このことは、冷厳なデータをみなくても、日々、その年代の女性と接しているとよくわかります。
私も最初は、彼女たちが夫のことを厳しくいうのは「照れ」からと思っていましたが、
それは楽観的でした。
彼女たちは、真実を語っていました。
例えば、私が所属している山の会は女性8割。20数名の会員のうち夫婦参加は1組のみ。
それも最近のことです。それまで夫婦参加は皆無でした。
彼女たちにとって、ハイキングは女性同士の社交の場なのです。
データとしてはあやしいのですが、女性が10人いると、夫と一緒に歩くという人は
一人くらいということです。
「どうして、休みまで一緒にいなくてはならないの」、というのが大多数の女性の考えです。
そして、このことの終結としてよく言われるのは、妻との死別に落ち込む男性に対し、
夫と死別後数年には元気に遊ぶ女性像です。
男性の落ち込みはその通りだと思いますが、
女性の元気については、心の奥はわからないものと思っていますよ。
念のために付け加えます。
私は、人生の奥儀は老年にあると思っていますが、男性は女性に比べ老年の過ごし方に
大きな問題を抱えています。
男性の人生には老年に至るまでに人生が低下する大きな原因を作っていることになります。
この原因を突き止めることが、介護予防ならぬ人生低下予防につながるのではないでしょうか。
そこで原因としてすぐに指摘されるのが、会社人間としての偏りです。
会社を離れた男は、後ろだて(社名だったり肩書だったり)を失い、無名のおじさんに
なったことで生きていく意欲が低下してしまうということでしょうか。
このことは定年前に十分意識していても長年の習性や惰性のため、定年ソフトランディングが
できないのが現状です。
その時には、頼りになるはずの妻からも支援の手は届かないという二の矢も受けてしまいます。
男性の人生低下予防は、まず「自分自身を甘やかすな」ということから始まります。
(定年後の妻は甘やかしてはくれません)。
会社は自分の一部ではない。肩書も自分の一部ではないのです。
しかし、社会的地位が高いといわれる人。
すなわち何らかの権力を持っている人は、権力を行使することで自分自身を甘やかすことに
なってしまいます。
そのため自分自身を甘やかしているという自覚がありません。
自覚なしに自分自身を甘やかす。
これは解決困難なことです。
これでは、ほぼ100%、人生低下を起こすことになります。
力を持つことは、後の人生を低下させる。
権力を持ち続けようとすると、老害といわれてしまいます。
このように考えてくると、日本の男性は社会に出ていき、働くことで、後の人生を
低下させてしまう要因をつくっていることになってしまいます。
それは、男性にとっては人生の中で仕事がもっとも優先順位の高いはずと思ったからです。
そしてその仕事は、「自分自身の生活の外」にあるのです。
一方、生活の中に仕事があれば救われます。
なぜなら、生活の中で権力を行使することは、生活を破たんさせることにつながり、
たちまち、人生低下に陥るのが目に見えているので自制できるわけです。
こうしてみると、男性の定年による人生低下の予防は、介護予防にも増して困難なことの
ように思われます。
ことは、「男性の精神の自立=権力からの自立」に関わることなのですね。
ここで逆説的に考えてみると、今もっとも世俗の権力から遠ざかっている人々。
フリーターや非正規労働についている若者こそ、後年には人生の低下をおこさない人々では
ないでしょうか。
人生の早いうちの困難は、やがて人生を向上させるはずです。できれば良き人生の同伴者を
見つけてください、
心と体を労わって長い人生を生きてください。
最後は、現代の夫婦観に戻ったでしょうか。
※写真は、紅葉マーク
最後まで読んで
あっ と思いました。
人は結局は一人で死んでいくものなので
できれば自分で何でもできるのがいい
しかし介護を要する事態となればそうはいかない・・
最後のことは(棚にあげて)まだ解決策が見つからないので(医療付きの有料老人ホームを探して歩いている)・・食事 洗濯 掃除 銀行
ともかく一人でやるようにしています。
(というか50歳代の5年間の単身赴任がよい試練でした)
さて、最後の提言は
今苦労している若者への何よりの「希望」ですね。
最近は、経済的には多少不如意でも「語れる仲間」が1人でよいからほしいな、と思いますね。
(その候補の1人が先日こともあろうに殺された)
岩清水氏は、よい読書の習慣、山登り、スポーツなど幅広い趣味と共に日々があるように拝察します。私にはそのようなものはなく今からでは間に合わないことばかりですが・・中国語にチャレンジしてみる最後の機会が訪れました・・
自宅でも、家庭訪問でも、80歳代の方に
接していますと、「今の定年以後」というのは
結構長いのだなと思います。
我が父親などは、勤務年数と同じです。
当時は55歳定年でしたら、今や定年後30年。
母親におんぶにだっこ状態が延々と続き、
なんともならない状態です。
そうならないためにもbonn1979さんに学び、
「生涯ブログ」で日々活性化しようと考えています。
ご同行よろしくお願いします。