
茂木健一郎氏と田中洋氏の共著。幻冬舎2006年。
私のように昔のことを書いた本や、昔そのものの本、を読むことの多い人間は、
たまには最先端のマーケティングの本を眺めるのも頭の別の部分を刺激しそうで面白い。
茂木健一郎氏のことは、社会福祉学なんでもありさんで度々取り上げられており、
そのたびにブログ「クオリア日記」を覗かしてもらっている。が、続かない。
今回は、タイトルが強烈だったので、つい手にとってしまった。
これも欲望マーケティング論の成果かもしれない。
62ページに興味深いことが書かれていた。
「セレンディピティ」が最新マーケティングのキーワードだという。
「セレンディピティ」は、日本の最近のノーベル賞受賞者に共通することばでもあるという。
固有名詞では、白川さん、小柴さん、田中さんでしょう。
「セレンディピティ」の意味は、「偶然、幸運に出会う能力」のことをいう。
「偶然、幸運に出会う」という意味ではない。
偶然ながら、出会うことに能力がいるということ。
だから「セレンディピティ」とは、宝くじを買うことではないらしい。
「セレンディピティ」には快感がともなう。
そして、マーケティングの視点からは、消費者に、自身の「セレンディピティ」を
刺激させることが購買につながるという。
もちろん、これは先端の消費者ではあるが。
そのためのマーケティング・ツール(プロモーション・ツール?)は、
新たなネットワーキングとつながることで、威力を発揮するだろうと。
消費者による「偶然の発見の喜び」が精緻なマーケティング手法によってネット上に
作られることも可能になるのではないか。
こう書いてくると、お釈迦様の手のひらの孫悟空みたいでどうもいただけませんが、
例えば、ネットで、ある本を検索していると、その人が興味を持ちそうな他の本が並びます。
これが原初「ネットワーキング」機能というわけです。この機能を洗練させていくと
「セレンディピティ」をマーケティングの取り入れることができるかもしれない。
以上の文章は、私自身の勝手な解釈です。もちろん責任は持てません。
最後に
「ルーティンワークをしない、努力をしない人や行動しない人には
セレンディピティは訪れません。多動症気味にいろんなことをやってみるのが、
セレンディピティに出会う大きなきっかけになるかもしれません」とあります。
茂木健一郎氏はやはりノーベル賞を狙っていますな。
私のように昔のことを書いた本や、昔そのものの本、を読むことの多い人間は、
たまには最先端のマーケティングの本を眺めるのも頭の別の部分を刺激しそうで面白い。
茂木健一郎氏のことは、社会福祉学なんでもありさんで度々取り上げられており、
そのたびにブログ「クオリア日記」を覗かしてもらっている。が、続かない。
今回は、タイトルが強烈だったので、つい手にとってしまった。
これも欲望マーケティング論の成果かもしれない。
62ページに興味深いことが書かれていた。
「セレンディピティ」が最新マーケティングのキーワードだという。
「セレンディピティ」は、日本の最近のノーベル賞受賞者に共通することばでもあるという。
固有名詞では、白川さん、小柴さん、田中さんでしょう。
「セレンディピティ」の意味は、「偶然、幸運に出会う能力」のことをいう。
「偶然、幸運に出会う」という意味ではない。
偶然ながら、出会うことに能力がいるということ。
だから「セレンディピティ」とは、宝くじを買うことではないらしい。
「セレンディピティ」には快感がともなう。
そして、マーケティングの視点からは、消費者に、自身の「セレンディピティ」を
刺激させることが購買につながるという。
もちろん、これは先端の消費者ではあるが。
そのためのマーケティング・ツール(プロモーション・ツール?)は、
新たなネットワーキングとつながることで、威力を発揮するだろうと。
消費者による「偶然の発見の喜び」が精緻なマーケティング手法によってネット上に
作られることも可能になるのではないか。
こう書いてくると、お釈迦様の手のひらの孫悟空みたいでどうもいただけませんが、
例えば、ネットで、ある本を検索していると、その人が興味を持ちそうな他の本が並びます。
これが原初「ネットワーキング」機能というわけです。この機能を洗練させていくと
「セレンディピティ」をマーケティングの取り入れることができるかもしれない。
以上の文章は、私自身の勝手な解釈です。もちろん責任は持てません。
最後に
「ルーティンワークをしない、努力をしない人や行動しない人には
セレンディピティは訪れません。多動症気味にいろんなことをやってみるのが、
セレンディピティに出会う大きなきっかけになるかもしれません」とあります。
茂木健一郎氏はやはりノーベル賞を狙っていますな。