
感想その一。 長がーい。3時間30分程度かな。
せめてもう一時間短くしてください。
北京五輪はもっと長かったように思う。
作り手として、手間と金を使うわけだから長くしたい気持ちはわかりますが。
しかし、私の関心の第一は、時間の長さではない。
五輪の開会式に見られる格式(権威)付けや出席、出演者の選び方についてである。
地球に住んでいる人々で、連続して見続けているイベントのトップは五輪の開会式ではないだろうか。
競技自体は、自国選手を中心にテレビ放送をするわけで、世界共通の放送ではない。
かつて、豪州滞在中にリレハンメル五輪のテレビ放送を観たことがあるけど、
日本選手はいっさい画面に出てこないので(当り前かな)、知りたい情報がわからず困ったことがあった。
しかし、開会式なら多くの人々の記憶に残っている。
五輪の開会式には、必ず取り入れなければならないプログラムが決まっている。
例えば、選手入場、選手・審判宣誓、五輪旗掲揚、主催国IOC委員長、IOC委員長挨拶、
開催国元首開会宣言、聖火点灯など。
現在では、平和を祈念する歌も必須になっている。
また、必ず会場に作られるのはVIP席。別に国王が座るわけではないが、権威付けのために特等席を作る。
(いつ見ても個人的には嫌ですね)
参加者・出演者の選定も国民的歌手や芸能関係、スポーツの名士、最近は国際的貢献者や
社会的貢献者も選定されている。
意外と思われるが、詩人の登場も多い。
これは、詩人が民族の情念を言葉にかえる力があると思われていることに由来するのだろう。
詩人への尊敬の念は日本と比較にならない。
言葉こそ伝承であり、歌にも国民のこころを一つにする力があると人々は感じている。
五輪の主催国は、国民統合の形を世界に発信する。
IOCと主催国は大会の権威付けを相互補完的に行う。
かつて、冬季五輪は札幌でも行われた。
北海道には先住民がいる。カナダにも先住民はいる。
バンクーバー五輪では、先住民(=ファースト・ネイションズ)がホスト役をつとめた。
札幌五輪には、アイヌ民族はホスト役をしたのだろうか。
私には記憶がない。
ここ数十年で大きく変わったのは、この点のように思う。
※写真は奥滋賀・余呉高原スキー場。雪があるのがバンクーバーと違うところ。