入院中の母親を2日に一度訪問しています。
私にできるケアを続けています。
病院や施設に訪問する日々は6年を過ぎました。
それでも今でも訪問時には緊張します。
今日の母親の状態はどうだろうかと。
慣れないものです。
いままでいろいろありましたからね。
父親を看取りを一緒にした日々。
なにも食べなくなった日。
介護施設から処遇困難と言われた日。
ベッドから転げ落ち股関節を骨折したけれど手術は拒否し、車いす生活を1年半送った日々。
そして、また歩行器利用で歩けるようにまで回復した日。
生まれたのが大正15年と言えるけれど。平成という時代があったことは知らないといいます。
それでも母親が生きていていることは大きな安らぎです。
母親の中に私たちは生きているし、私たちの中に間違いなく母は生きています。
介護を始めて11年。
それでも育ててもらった時間の半分。内容から言えば100分の一かもしれない。
6月28日、ハンセン病家族の人々の人権侵害が認められました。
なににも代えがたい家族と過ごす貴重な時間を国から奪われた人々のこころが一瞬でも晴れたのならどんなに素晴らしいことか。
両親と過ごした時間、これからも過ごす時間を、かの人々は永遠に失わされたのだから。