
2011年7月30日岡山国際交流センターにて。
アムダ主催のトークイベントがあった。
マリールイズさんとアムダ代表菅波さんのお話でした。
マリールイズさんは、ルワンダ生れで現在福島県に在住されている。
ということは二つの大きな災難に遭遇されているということになります。
1994年のルワンダ内戦と2011年の東日本大震災と原発事故です。
ルワンダ内戦については『ホテル・ルワンダ』を観ました。
とても恐ろしい映画でした。
内戦で100万人といわれる人々が虐殺される渦中にあったホテルでの話です。
ルイーズさんもその近くにいたわけです。
ルイーズさんはお子さん3人を連れてザイールへ国外脱出をします。
そして難民キャンプでドーナツをつくって生計を立てていました。
実はルイーズさんはその年の2月まで福島県で研修のためホームステイをしていた。
そのホームステイ先へファックスをおくるためにファックス屋に並んでいた時のこと。
並んでいた人々の中に偶然にもアムダの医師がいた。
ルイーズさんのひらがな文字をみた彼から「日本語わかるのですか」の声がかかった。
これが彼女の生涯の転機になった。
ルイーズさんはアムダの通訳として雇われることになった。
月300ドルの賃金で家族と親族30人の生計を立てることができた。
夫と再会を果たしたルイーズさんは難民キャンプから日本への脱出を試みる。
日本は難民に厳しい国。
研修生という形で日本入国ができることになった。
政治的な「はからい」があったようだ。
ルイーズさんは、NPO法人「ルワンダの教育を考える会」を立ち上げる。
この会の目的は、「戦争で心身ともに傷ついたルワンダの子どもたちに対して、教育の機会を与え、民族や宗教・政治思想にとらわれることなく、その人らしく生きていくための、さまざまな教育支援事業を行い、ルワンダの平和に寄与することを目的とする」と。
ここまで書いてきて、階下の新聞を受け取りに行くと、朝日新聞岡山版に記事が掲載されていた。
西山良太記者の記事です。

分かりやすい記事ですし、県内版ということもあり少し引用させていただきます。
「戦争を止めるのは教育ー。自身の経験からそう説く。ルワンダでは裕福な子どもしか学校へ通えない。『今日を生きることしか考えられなかった子どもたちが、1ヶ月学校に行けば視野が広がる。医者、弁護士、教師、裁判官になりたい、と夢を語るんです』。
94年12月に再来日。現在は『ルワンダの教育を考える会』の理事長を務め、講演で全国各地を飛び回る日々だ。」
「東日本大震災も自宅で体験し...津波でめちゃくちゃになったがれきの山が、ルワンダ内戦との惨状とダブってみえた」
※このがれきについてはルイーズさんは、がれきではないという。思い出がいっぱい詰まった大切なものと。ご自身もルワンダですべてを失った。1枚の写真も残っていない。最近世界に散らばる友人からやっと2枚手に入れたと。

※この写真もその1枚かもしれない。ネットから。
『いまこそ。みずからの内戦の経験を生かし、日本に恩返しする時』
「福島県内の避難所を回って、落ち込む被災者らの話を聞き、それでも生きていくことの大切さを伝えている。」

※ネットから
「当面の目標は、ルワンダで路上生活を強いられる子どもたちの救済だ。アムダの菅波代表は『マリールイーズさんと現地の実情を調査した上で、福祉施設など支援の輪をつくっていきたい』と話した。」
アムダの理念は相互扶助。助けられたり助けたり。まさにその通りですね。

こんなこともされていたのですね。