昨日、岡山マンズリブ講座で関東から避難・移住されてきた人々の考えについても聞きました。
私自身は、「東北・関東圏からの避難」という意識で聞いていたのですが、2年も経過していて避難という言葉ではくくれない活動を始めている人々もいらっしゃると思い知りました。
そこで、加藤さんに聞きました。
避難している方と、移住している方の割合はどうですか?もちろん意識の問題ですが。
加藤さんは、
「正確にはわからないけれど、半々くらいのような気がします」
移住となると、夫も一緒に行動するようになるケースが多いようですが、
中には夫とは考えが違うので、離婚しました。離婚を考えていますという方もおられるとのこと。
新天地で母子で生きていくのですね。
話はそれるかもしれないけど、男性は生存に関しては鈍感かもしれない。
女性は子どもを守るという意識が強いのは確かだ。
だから女性は命に関しての男性の鈍感さに耐えられないのかもしれない。
※生物学的に言えば当然だ。生命を繋いでいるのは女性であり、本来、生物は女系なのだから。
女性は単身でも避難・移住されている。
男性の単身避難者はほとんどいない。数人ほどおられるという話も聞く。
移住と割り切った人には、都会暮らしから田舎暮らしにシフトするという決断をされた方が多い。
岡山県でも岡山市よりは農村部を目指す人々だ。
また、教員など地域格差がない職業の方は移住しやすい。
医療福祉関係の方も移住しやすい。
逆に、カメラマンの加藤さんの場合は仕事の質や収入では東京との格差が大きく悩むことが多いと言われる。
これはよくわかる。
情報やマスコミ関係の仕事もかなり難しそうだ。
その場合は、農業など全く異なる職種を目指すという人もおられるようだ。
今まで、母子避難の方の話を聞く機会が多く、聴くこと自体が辛いことが多かったけれど、
岡山生活に満足して充実した日々を過ごしている方もおられると聞いて少しホッとしました。
なかには、東京ときっちり縁切り儀式をしてからやってきたという方もおられました。
避難・移住生活とその心は本当にいろいろです。
しかし忘れてはならない重要なことがことがあります。
最後に避難者家族の方が、加藤さんの写真撮影を受け入れ、写真展で展示することを受け入れた思いを話してくれました。
「私たちの存在を忘れてもらいたくないからです」
この言葉は、岡山に原発の被害者がいることを忘れてはならないのだ、と聞きました。
私たちはこの問題の根っこを忘れてはならないのです。
私自身は、「東北・関東圏からの避難」という意識で聞いていたのですが、2年も経過していて避難という言葉ではくくれない活動を始めている人々もいらっしゃると思い知りました。
そこで、加藤さんに聞きました。
避難している方と、移住している方の割合はどうですか?もちろん意識の問題ですが。
加藤さんは、
「正確にはわからないけれど、半々くらいのような気がします」
移住となると、夫も一緒に行動するようになるケースが多いようですが、
中には夫とは考えが違うので、離婚しました。離婚を考えていますという方もおられるとのこと。
新天地で母子で生きていくのですね。
話はそれるかもしれないけど、男性は生存に関しては鈍感かもしれない。
女性は子どもを守るという意識が強いのは確かだ。
だから女性は命に関しての男性の鈍感さに耐えられないのかもしれない。
※生物学的に言えば当然だ。生命を繋いでいるのは女性であり、本来、生物は女系なのだから。
女性は単身でも避難・移住されている。
男性の単身避難者はほとんどいない。数人ほどおられるという話も聞く。
移住と割り切った人には、都会暮らしから田舎暮らしにシフトするという決断をされた方が多い。
岡山県でも岡山市よりは農村部を目指す人々だ。
また、教員など地域格差がない職業の方は移住しやすい。
医療福祉関係の方も移住しやすい。
逆に、カメラマンの加藤さんの場合は仕事の質や収入では東京との格差が大きく悩むことが多いと言われる。
これはよくわかる。
情報やマスコミ関係の仕事もかなり難しそうだ。
その場合は、農業など全く異なる職種を目指すという人もおられるようだ。
今まで、母子避難の方の話を聞く機会が多く、聴くこと自体が辛いことが多かったけれど、
岡山生活に満足して充実した日々を過ごしている方もおられると聞いて少しホッとしました。
なかには、東京ときっちり縁切り儀式をしてからやってきたという方もおられました。
避難・移住生活とその心は本当にいろいろです。
しかし忘れてはならない重要なことがことがあります。
最後に避難者家族の方が、加藤さんの写真撮影を受け入れ、写真展で展示することを受け入れた思いを話してくれました。
「私たちの存在を忘れてもらいたくないからです」
この言葉は、岡山に原発の被害者がいることを忘れてはならないのだ、と聞きました。
私たちはこの問題の根っこを忘れてはならないのです。