※画像は、岡山備前県民局の資料です。
砂川という百間川の支流が決壊氾濫しました。7月7日のことです。
浸水地域は、広範囲(750ヘクタール)です。
家屋の被害は、岡山市によると床上1569戸、床下661戸です。
大変な被害です。
最大浸水高:1.5mとあります。
床上浸水した家屋のほとんどは半壊認定と思われます。
岡山市内に居住しながら、県西部の被災地を訪問することが多く、砂川地区を訪問する機会がありませんでした。
砂川の決壊場所は山陽新幹線の中から見ることができます。
下りの場合は、高梁川を越えてすぐ、岡山駅に到着する約5分程度前に小さな川を通過します。
進行方向に向かって左側(南側)に200mに渡って決壊している(補修工事済)堤防が見えます。
下の写真の手前が砂川です。決壊場所です。
砂川のこの辺りは、川幅も狭く堤防の幅も車が通れないほどの狭さです。

※「わっしょい晴れの国」さんが7月8日に投稿された画像です。
遠方に住宅と商業施設が見えます。
↓下流にある上道の水位計です。(9月2日のモニター画面をスクリーンカットしました)
赤くマークした箇所が決壊箇所です。
他の場所も越水したと思われます。
水位が5mに達すれば氾濫する堤防です。
岡山市もこの地点が危険だと認識していなかったようです。
周辺住民は以前から危険性を訴えていましたが改修はなされていませんでした。
堤防内には水流の障害になる草木が多かったと聞きます。

この地区は、農村部であり砂川の近くには田んぼが広がっており、住居は少なかったのですが、
近年、急速に住宅化が進み、ロードサイドショップも増えています。
倉敷市真備町の環境に近いように思えます。
広島は山裾に住宅を増やし(土砂崩れのリスク)、岡山は低い湿地帯や田園地域を住宅を増やし(洪水のリスク)たと言えます。
ではこの砂川水系に過去水害が発生していたのでしょうかか。
実はネットで検索してもほとんど出てこないのです。(追記しました。末尾)
先人が地名にして残していると考えられるのが、「砂川」自体。
砂がでるとのは、洪水のことと思われます。
ネットでは以下の記述がありました。
・砂免(瀬戸町東江尻) ・・・
砂川の氾濫による砂を一箇所へ寄せて免田(公事、雑事を免除された田。砂が原因で税金が免除された土地。)
他に、砂川地区には砂場、沼、浮田という地名があります。
低湿地帯ー洪水とつながります。
ネットでは砂川の改修、堤防強化の歴史的記述も探せませんでした。
推測ですが、農村地帯であり農家もあまりない地域として、最低限の対策しかなされていなかったのではないでしょうか。
脆弱な堤防を見てそう感じました。
その土地が急激に住宅化が進んでしまったのです。
近くに大手家電メーカーの工場もでき、洪水にも大丈夫な地区と思われていったようです。
(あのメーカーが工場立地するのだから災害対策も練られているのだろうと)
下の画像は、岡山大学大学院環境生命科学研究科 前野詩朗教授の
からスクリーンカットさせていただきました。
旭川水系の洪水の歴史がよくわかります。
左の大きな緑の丸が倉敷市真備町、右側の小さな丸が岡山市砂川地区です。
洪水の想定はされています。
ただし、具体的な記述は書かれていません。重点地区ではなかったのかと思いました。
岡山市や倉敷市など、県南部の平野部は、いつ洪水に襲われてもおかしくないと
考えるべきですね。
従来は三川を中心に対策を練ってきたのでしょうが、これからは支流も含めて対策を進めなくてはならないのです。
しかし現実的な問題としては、いかに命を守るかという視点が最優先だと考えられます。
政権の「国土強靭化計画」もスローガン的です。
100年に一度ということが当たり前になっている今、
被災地域にお住まいの方は、再び洪水が起こるのが一番怖い、今後の計画も立てられないと話されます。
本当にその通りだと思います。
大変な時代に生きているのです。
被災地を訪問して本当にそう思います。
まずは近づいている猛烈な台風から目を離さないようにしましょう。
追記(2018年9月4日):
昨日、知人より昭和51年に浸水していたという話を聞き、調べてみました。
確かに被災しています。
岡山県のホームページより 砂川水系の浸水履歴図
地図の左が北です。
地図の右、赤丸が洪水地区。
昭和51年に浸水歴がありました。
ただ床下浸水が多く、今回に比べて軽微だったと思います。
厳密には対岸地区の被災です。堤防の決壊ではなく越水だっとと推定されます。
決壊すれば、もっと被害が甚大だったでしょう。
終わります。