岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

【信天】天父の御旨なれば満足いたし候         石井十次その50<最終回1>

2005-04-13 10:33:24 | 石井十次
十次は生涯、病気に悩まされ続けた。175cm近い身長に
80kgの体重という押し出しからは想像できないほど、健康から
見放されていた。
十次の病気にテーマを絞って論文を書いている研究者もいる
くらいである。ここでは病気についてはごく簡単にふれたい。
最後の病気は慢性腎臓炎といわれる。そして糖尿病を若い頃から
持っていたのではないかともいわれてる。
満腹主義がその進行を早めたという説もある。

十次は若い頃から、よく体調を崩した。よく疲れた。
「脳」にも病気を抱え(一説には若き日の性病の影響)、
激しい頭痛にも悩まされている。

その十次を癒し、絶えざる創造(社会事業のこと)へ邁進させた
ものは何か。
「日誌」と「祈り」「静思黙想」ではないか。
どちらも尋常ではない。
まず日誌である。十次研究には日誌は欠かせない。
特に彼の性格と思想の片鱗に触れようとするものには必読である。

石井記念友愛社が非売品として印刷している。
1年1冊だから、30数冊である。A5サイズながら厚さにすると
60cmはある。この日誌を精読することは並大抵ではない。
岡山県立図書館に並んだ日誌は、20年以上前から本棚に置いて
ある。日誌の表紙をみると最初の20冊程度は茶色く変色して
いるが、終りの10冊くらいになると、白くてあまり読まれた
様子がない。

源氏物語も長編で有名だが「須磨返し」といわれるように途中で
頓挫することが多いと言われていた。
十次の研究者もなかなか最後まで日誌を読めないようだ。
研究者がグループでデジタル化に取り組んでいたが、研究書は
完成したがデジタル化は未完だと書かれていた。

この日誌、十次はどのように利用したのだろうか。
絶えず手元に置いていたのは確かだ。といっても旅行も多い。
厚い日誌を持参するわけにはいかない。
帰って日誌をまとめ書きしたようである。
宮崎、岡山、大阪の場合は持参したかもしれない。

日誌を読み返すことが多かった。基本は前年の同月同日を見る、
どんどん遡ってみる。
毎日それを繰り返し、おまけに書き写していることもある。
これはどう解釈すればよいのだろうか。
日誌の若い年度は他者の書物の書き写しが多いが、後半になると
自らの書き写しが多くなる。
他者の書物より自らの書物が価値があるということなのか。
自分自身の考えが固まったということかもしれない。

いや他者の書物もダイジェストとして書きこまれている自らの
日誌ではあるが。それはそれで、十次自身の解釈でもある。

30年間の密度の濃い日誌を日々読み返す作業というのが
どのようなものか。
想像するのも難しいが、ひとつ試みてみよう。

十次は人に倍するどころか少なくとも5倍は考えている。
そして10倍以上は実行していると思う。(感覚的な話だが)
岡山にいるときは岡山のことを全身全霊で考え実行している。
大阪にいるときも大阪が主戦場と考え、宮崎もここが天国の地と
信じている。その土地で考えた実行していたことと、他の地で
考え実行したことに連続性がないと感じることもある。

まるで、岡山の十次、大阪の十次、宮崎の十次がいるようである。
常人では考えられない十次の行動力は、各地にその土地の十次を
創ってしまったのかもしれない。
十次は各地の各時代の十次に会うために、日誌を読み返していた
のではないだろうか。
日誌を通じて、十次は自らの全体性を保っていたのかもしれない。
十次の行動と実績の集積は、自らもコントロールすることが
困難な状態であったと思う。

そして、「祈り」「静思黙想」である。
十次の祈りは、日誌による限りとにかく、「必死で願う」
のである。もちろん、自分自身のためではない。人のため、
事業のために祈るのである。
金がたりないのは最後の最後まで続くがそれも祈る。

一番頼りになるのは大原孫三郎なので、名指しで金額も決めて
祈っている。
これを日に何度も繰り返されるのだから、知らないとはいえ、
祈られる方もたまったものではない。

しかし十次が常人と違うのは、高い確率でその祈りが実現すること
にある。実現するから祈りに熱も入る。
その結果が、彼も大事業も支えたともいえる。

ところで、十次は誰に祈ってのだろう。
この点も大きな問題なのである。

最終回が分割されてしまった。ごめんなさい。
続く。




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