

祈りの像は、平和の池の西にある小さな森に中にあります。
http://h-s-o.net/ashita/ja/story/01/story_02.html


原爆の子の像
あまりに有名です。
http://h-s-o.net/ashita/ja/story/01/story_06.html


地元のテレビ局が中継中でした。
この後、原爆ドームの横を通って帰路に着きました。
市電は、いつものように席に座れました。
再び、新幹線に乗車。
1時には職場で仕事を始めることができました。
実行する気になれば、実に簡単にできることと思い知りました。
※本日、家庭訪問させていただいた方は、被爆者の方です。
また、新規訪問した方の夫は、被爆の後遺症で亡くなられました。
お二人とも救援に入っての被爆でした。
原爆被害はとても身近な悲劇です。
7時20分岡山をたって
1時には職場に戻られた。
多くの写真で
この貴重な半日を伝えていただきました。
たしか
記事の数では8つ
多数の写真。
テレビでみるのとは
情報の質が違いますね。
総理の式辞のようなもの
胸は打たなかったですね。
それは当然で
役所の担当係長が
懸命に原案を書いたことでしょう。
それに比べると
小学生の方が
印象深かった。
(一部をテレビで、文章は新聞で)
知識ではなく
人間観が問われますね。
私は原爆ドームは
いつか学会か何かで見ました。
むかし、被爆した先輩が身近にいて
その体験から仕事を選んだのだ
とよく言っておられたことを
思い出します。(いまは故人です)
コメントありがとうございました。
どうも「現場」から考えることしか
私にはできないようです。
しかし、当日の広島は私の思考範囲を超えていたようです。
ただ、平和公園に身を置いただけのような気もします。
一切の価値判断を停止し、身体が二つの目となったようでした。
考えるのはこれからのようです。
※あのような式典でのあいさつは、本当に難しいようにも思いました。