
2月16日 岡山市さんかく岡山での講演です。
この日、朝早くに福島市を新幹線で出発され午後1時30分の講演に駆け付けていただきました。
新幹線では爆睡しましたとのことです。
福島市というはるか遠い街から朝立ちで岡山まで来て講演できるというのもすごいことです。
時間は有効に使えると思いますがやはり大変なことです。
永遠瑠 マリールイズさんはウガンダ出身で2013年に帰化されています。
岡山には縁があります。
なんどか来岡され講演を聴く機会がありました。
しかし、ウガンダ⇒福島そして岡山というつながりが理解できていませんでした。
講演ではそのあたりも聴くことができました。
ただ私の耳は中耳炎の後遺症と加齢のせいで十分に聴き取ることができませんでした。
それを補ってくれたのが著書『空を見上げて―ルワンダの内戦 そして希望』です。
講演はその著書(素晴らしい)のエッセンスといえるものでした。
興味深いのは、ウガンダ・福島そして岡山はどう繋がるのかですね。
ウガンダの歴史と内戦による悲劇が重要な要素なのですがとても簡単には語ることができません。
マリールイズさんは「命と教育」について実体験により深く考察し行動に移し続けている人です。
ルワンダの技術高等学校で洋裁の技術を身につけ、同校で教員として27歳まで働ていました。
現地に派遣されているJICA(青年海外協力隊)のカウンターパートナーとして福島(福島文化学園)で洋裁の研修を受けます。
そのホームステイ先の高齢の女性に日本語の書き順を教わり、その80歳の方が毎朝(まいあさ)新聞を読んで理解していることに驚きます。
マリールイズさんの母親は読み書きができません。
大切なことを手紙では伝えることができません。
明らかに教育環境のちがいなのです。いかに教育が大切か身に沁みます。
このことが後にウムチョムゥイーザ学園(ウガンダ)の学校設立に繋がります。
1994年研修を終えたマリールイズさんはウガンダに帰ります。
ところがとんでもない内戦が勃発してしまいます。
元をたどれば、アフリカが西欧の植民地だったことに起因する「つくられた民族対立」だったのですが50万人以上の人々が虐殺されてしまいます。
明日をも知れぬ危機的な状況の中での難民キャンプ生活でした。
当時日本から医療NGOの医師が支援に入っており奇跡的な出会いがマリールイズさんとありました。
彼女は日本語やフランス語が話せたので医療NGOの通訳として雇われ生活が保障されました。
その医療NGOが岡山市に本部を置くAMDA(アムダ)です。
ウガンダ・福島・岡山とつながりました。
1994年12月、留学生と再来日を果たします。留学生なら家族で日本に来ることができます。
研修生時代の知人の尽力です。
1995年桜の聖母短期大学に聴講生として入学。
以後、「ルワンダの教育を考える会」を設立。
ウムチョムゥイーザ学園設立に繋がります。
学園の通信です。
日本で資金を集め現地で進めるというかたちです。
中村哲師のペシャワール会のような存在です。
なお、AMDAのホームページを検索すると現在までつづく支援の様子がわかりました。
このブログでも2011年に書いていました。内容をすっかり忘れていました(-_-;)。帰化される前ですので永遠瑠という名を使用されていません。こちらです。
お読みいただきありがとうございました。
平和こそもっとも大切なこと。それを支えるのが教育!!
戦争を手段と考える指導者を許してはなりませんね。