岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「信頼関係」が軽視される社会は…廣田信子さんの「まんしょんオタクのマンションこぼれ話」から。

2018-01-24 14:12:09 | 国民と国会と政治

日本人は他人を信頼していない?

10年前のご自身のブログからから引用されています。

読んでみてください。賛同されますか。

私は、日本の学生さんよりもう少し他人を信用していると思います。

しかし、社会経験の少ない学生さんにとっては、守りを固めるほうがよいのかもしれませんね。

どうでしょう。

以下、転載です。

日本とフィンランドの大学生を対象にした
対人信頼感の国際比較調査によると、

フィンランドでは、「他人を信用している」という項目に
肯定的な回答をしている人が7割を越えていますが、
日本では3割を切っています。

しかも、「他人を信用している」のうち、
ほとんどは「ややそう思う」であり、
「そう思う」とはっきり答えた人は2.7%しかいません。

逆に、
「この社会では気を付けていないと
だれかに利用されてしまう」
という項目に対しては、

フィンランドでは、「そう思う」人は2割ちょっとですが、
日本では8割がそう思っているという結果です。

日本では、ほとんどの人が、
気を付けていないと
誰かに利用されてしまうと思っています。

また、
「ほとんどの人は基本的に親切である」に、
フィンランドの学生は肯定が8割、
日本は4割を切っています。


この「利用される」「他人は信頼できない」
ということを前提に社会をデザインすると、
大変なお金がかかります。

相手を信用しないのですから、
信用しない者の間で取引をしようとすると、
幾つものチェックを入れなければなりません。
官がやろうが民がやろうが関係ありません。

いくらチェックを入れても、
なおそのチェック機関が信用できないのだから、
またチェック機関を入れるというようになって、
コストがかかってしょうがない社会になってしまう訳です。

こういう人間の信頼感をヨーロッパでは、
ソーシャルキャピタル、社会資本と呼んでいます。

日本で言う社会資本とちがって、
人間の信頼感、きずなのようなもので、
これがあるかないかが経済発展を決めると考えられています。

北イタリアと南イタリアは
随分経済発展の度合いが違いますが、

北にはソーシャルキャピタルがあり、
南にはそれがないからだと言われます。

「信頼」や「絆」がある社会は、
誰がチェックしなくとも、
みんなが社会の一員として良心をもって
「やるべきことをやる」という社会を自然につくります。

「信頼できない」
「他人に利用されないようにしなければ」という社会は、

「うまくやったものが得をする」
「チェックにさえひっかからなければいい」

さらには、チェックさえも
「形式だけ整っていれば、
自分の責任じゃないんだから、本気でやることはない」
というような考え方を増長させます。

また「不信感」の蔓延は、
社会全体の利益を考えなければならない
責任ある立場の人をも、実は誰も信頼していない。
そして、そのことを容認してしまって社会にしてしまいます。

そして、
「自分が損をしないように」というのが一番の関心事
というような社会とつくります。

「耐震偽装」問題も、EVの事故も、
最近次々に明らかになる企業の不祥事、
社会保険庁の問題も、
こういった社会が生み出した結果ではないでしょうか。

その結果法律は強化され、
されなるチェックの仕組みがつくられましたが、

それを本当に担える人がいないというのが
現状のようです。

そして、そのコスト負担は
結局私たちに返ってくるのです。

転載終わり

◎まんしょんオタクのマンションこぼれ話
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※写真は岡山京山公園にある戦闘機(F104でしょうか)。


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