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岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「無国籍」 陳天璽 CHEN Tien‐shi

2005-11-05 10:17:46 | 世界のなかま
すでに読まれた方も多いのではと思いますが、遅まきながら
「無国籍」について書いてみます。

皆さんは、入国審査で困難に遭遇したことはありませんか。
日本国籍があれば、あまり経験しないかもしれませんが、
それでも、入国理由や持ち物によってはトラブルが待っています。
入国する国の政情も関係します。
(国籍を持つことで見えなくなっていることも多い)

私も、仕事柄、多くの荷物を持参しなくてはならなかったので、
いろいろなトラブルに巻き込まれた経験があります。
入管に留め置かれる不安は並大抵のものではありません。
書類の不備で国境から送り返されたこともあります。
(このように書くと、大変な体験と思われるかもしれませんが、
単なるビジネスマンレベルの話です)

そのような入国時の恐怖感が、1人の女性の生涯の生き方を
決めた。
「無国籍」は貴重な体験談の本であり、現在の国際社会の
持つ非情な一面を告発する本でもある。

「ある日、私は国境のはざまに立たされ、どの国にも入れない
経験をした。21歳の春のことだった」

著者の陳天璽さんはかって無国籍だった。
両親は生まれ故郷の中国から台湾に渡り、その後、日本に移住した。
もちろん、食べていくためである。
天璽さんは、両親が働いていた横浜中華街で生まれた。
1971年のことだった。

ところが翌1972年、日中国交正常化という政治的決断が
田中角栄によってもたらされると、日本と中華民国(台湾)は
「国交不正常化」されてしまった。
中華民国という国は、国交上はないことになった。

華僑の人たちは、中華人民共和国の国籍を取るか、国交のない
中華民国の国籍を取るか、日本に帰化するか,選択を迫られた。
ところが、選択肢はもうひとつあった。
それが「無国籍」だった。
「無国籍」を「超国籍」と判断し、「無国籍」を選択したのが、
天璽さんの両親だった。
国家に翻弄されたからこそ、国家を超える可能性にかけたとも
いえるのだろう。

1人の少女はその後、どのように育っていったかは、
本を読んでいただくしかない。

後年、研究者となった天璽さんが、ブルネイの無国籍華僑の
王さんに会った時の思いを紹介しておきます。

「それは、無国籍として生きてきた王さんや私に共通した思い
かもしれない。
王さんも私も『住んでいる国を愛したい』と感じている。
だから住み続けているのだ。
しかし、国は私たちを愛してくれているのだろうか?
私たちは愛されることなく、この土地で生きていかなくては
ならないのだろうか。
涙で質問もままならない私の肩を王さんは静かに抱いてくれた」

「国は私たちを愛してくれているのだろうか?」

障害者自立支援法が国会を通過した時の、当事者の方々の思いでもあった。

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