岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

8 沢知恵 大島青松園コンサート2024 これから  8

2024-08-31 06:58:02 | 沢知恵さん

車は入所者の送迎用です。ちなみに陸運局のナンバープレートは付いていません。

こちらは2016年の「瀬戸芸」開催時の様子です。

解剖台は簡単な日よけの屋根の下です。鳥栖喬さんの部屋は面影もありません。

今、解剖台はドームの中にあります。

社会交流会館です。大島青松園の歴史などが紹介されています。貴重な写真や道具そして文化・社会活動の部屋など見切れないほどです。

展示室は撮影がだめです。入口のみ写しました。

中央のジオラマを撮影できればいろいろ案内できるのにと残念に思いました。

港に向かって歩きます。人通りはまったくありません。

四国四区寄贈図書館とあります。4区というのは中四国8県ブロックのことです。8県の連合立の療養所でした。

長島愛生園など国立の療養所ができるより20年ほど前に設立されました。

のちに国立療養所になり厚生省に移管されました。

消防車が港の近くに配置されていました。ナンバープレートのところには福祉○○と掲示されていました。

業務別にナンバーが振られているのですね。

消防車は、懐かしいランクルの消防仕様ですね。全国の消防団で活躍していました。

狭い路地に適しているので大島にぴったりです。マニアに人気ですよ。大島で見ることができます。

この天皇とは昭和天皇ですね。戦後すぐに天皇の全国巡幸がありました。

昭和天皇が大島の沖を船で渡っていたおり、その時に詠んだ歌が碑になっています。

右手の松には案内板があり源平の合戦の折に負傷して逃げてきた平家の落人が島にとどまり、そのお墓があったと書かれていました。

西日がきつくなっています。

桟橋には官有船とタコタコ観光タクシーが停まっています。

音響映像などの機材は官有船で、観客はタコタコ観光タクシーに乗ります。正面は高速のタコタコ観光タクシーです。

かつては官用船と言われていましたが、今は官有船ですね。官の所有の船ということでしょうか。

※下の写真は2016年大島への官用船の乗船を待っている瀬戸芸の参加者です。

船のサイズが違いますね。後ろの船は小豆島へのフェリーです。

参加者は女性ばかりです。芸術を支えているのは女性です。

高速船(クルーザー)に乗り込みました。

中央のブルーのドレスは沢さんです。見送りです。船内からの撮影です。

乗り込みます。

出発です。みるみるうちに大島が遠ざかります。

桟橋に停まっている官有船と海上タクシー、そして見送りの人々が小さくなってしまいました。

2019年撮影:旧桟橋から手を振って見送る沢さんとスタッフの皆さん。

あっという間に大島が小さくなりました。

官有船では20分の船旅と書かれています。10分ちょっとしかかからなかったように思います。

短時間でしたがクルーザーの爽快さを楽しみました。

左が五剣山、右手が屋島です。

西には逆光の女木島。

屋島は見る方向によって山容が変わります。

高松の街が近づいてきました。

高松港に入ってきました。左から女木島、男木島、豊島です。

左手に高松城、右手に桟橋です。方向転換をして着岸します。

みなさん、クルーザーの船旅を楽しまれました。

もう一艘のタコタコ観光タクシーも着岸します。

お疲れ様でした。

かつては隔離の島だった大島ですが、高松の街からわずかな場所にこんな自然豊かな島があることは貴重なことです。

実はヘリポートもあります。緊急時にも対応ができる機能を備えています。

未来のことになるかもしれませんが、ハンセン病を語り継ぐ島として、また「瀬戸内海の真珠」のような島として光り輝いていくことが可能だと思います。 

災害支援の港として整備することも可能ではないでしょうか。

 

最後に、沢さんの最新アルバム『花はどこへ行ったの』に収録された「いのちの歌」(Miyabi 詞/村松崇継 曲)の一節を書いて終わります。

いつかは誰でも この星にさよならを

する時が来るけれど 命は継がれていく

生まれてきたこと 育ててもらえたこと

出会ったこと 笑ったこと

そのすべてにありがとう

この命にありがとう  ♬

 

 

長文、お読みいただきありがとうございました。

感謝です。

来年は瀬戸芸です。大島も参加予定になっています。

ぜひ訪問してください!

 

ウクライナに平和を!

ガザを救え!



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