名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

「石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実」を読んで

2009年02月24日 | セカンドルーム

 

昭和30年1月2日、三重岩稜会の石原国利、澤田栄介、若山五朗が前穂高岳東壁をアタック中、残り30m地点でトップの若山五朗が滑落した。
確保していた石原国利は、すぐ停止すると思っていたが、非情にもナイロンザイルは音もショックも無く切断し、若山は谷底に消えていった。
残った二人は、悪天候と極度の疲労で動きが取れず、吹雪の中を岩壁の小さなテラスでビバークをして救援を待った。
ようやく天候が回復し、奥又白池でベースキャンプを張っていた岩稜会メンバーによって救出されたが、若山の捜索は困難を極め、遺体の収容は雪解けを待つことになった。
当時は麻ザイルの全盛時代であったが、発売間もないナイロンザイルの評価は高く、麻の数倍の強度を持ち、軽量でザイル捌きも良く、先進的なクライマーを中心に導入されつつあった。
そんな矢先の切断事故は、登山関係者のみならず社会の注目を集め、事故の原因が明らかになる前に、さまざまな議論や憶測が飛び交い始めた。
ナイロンザイルは簡単に切れる筈が無く、結び目が解けたとか、アイゼンで傷を付けたとか、取り扱い上のミスによるものである等など、岩稜会パーティーの名誉を著しく傷つけるような論評が大勢を占めた。
その中で岩稜会の名誉を決定的に傷つけたのが、昭和30年4月29日に、当時日本山岳会関西支部長で大阪大学教授篠田軍冶氏の指導のもとに、東京製綱工場内で行われた公開実験であった。
実験の結果、麻は簡単に切れたがナイロンザイルは切れなかったことで、岩稜会は厳しい立場に追い込まれ、世論やマスコミは「権威」に傾き、公開実験はナイロンザイルの強度を裏付ける結果となった。
岩稜会の会長であり、遭難死した若山五朗の実兄の石岡繁雄氏は、滑落時の状況などから「ナイロンザイルの岩角欠陥」があると確信し、それを裏付けるため手製の装置を作って実験に取り組む一方、未だ見つからない若山五朗の体にしっかりとザイルが結ばれていることを確信し、遺体収容に全力で取り組んでいた。
ここから岩稜会と石岡繁雄氏の、穂高の氷壁より長くて険しい「権威」との戦いが始まる。
公開実験でエッジにアールを付ける不正を質し、マスコミの取材や関連記事の掲載、公開質問状などを通してナイロンザイルの誤った認識を正していった。
7月31日に東壁下で収容された若山五朗の遺体には、ザイルはしっかりと結ばれ、その先は千切れていた。
その後もナイロンザイルの切断事故が相次ぎ、世論やマスコミも「岩角欠陥」論に傾いていったが、日本山岳会が発行する「山日記」の記事訂正は無く、東京製綱と篠田軍冶氏も実験結果の誤りを認めることは無かった。
昭和34年9月に、公開質問状に対する篠田氏の回答や謝罪が無いまま、石岡氏の実験結果や主張が世論の支持を得たこともあって、岩稜会と三重県山岳連盟は相次いで声明を出して「ナイロンザイル事件」に終止符を打った。
紆余曲折を経て昭和51年12月、日本山岳会は「山日記」の誤ったザイルの記事の訂正とお詫びを掲載し、21年目にしてようやく決着した。

以上が、「石岡繁雄が語る氷壁・ナイロンザイル事件の真実」のあら筋であるが、この本は単に山岳遭難ドキュメントに留まらず、未だに消費者保護や製造者責任が軽視される現代社会への警告の書と読み取った。
学界の権威が大企業と組んで前に立ちはだかれば、弱い立場の被害者がその壁を切り崩すことは至難の業であることは、四日市喘息、水俣病、イタイイタイ病などの例が証明している。
弱い立場の被害者は、声を潜めてじっと耐えている間に被害が拡大していった。
正義感に燃えて立ち上がった町の医師や弁護士が手弁当で戦い、当時被害者側に因果関係の立証責任があるという厚い壁を破り、長い時間をかけて公害認定を勝ち取っている。
石岡氏は旧制八高、名古屋大学山岳部0Bで、穂高屏風岩の初登攀など実績のあるアルピニストであり、工学部で学んだ理論・経験をもとに半生をかけた執念が、「権威」の壁を切り崩し、若いクライマーの名誉回復と、国を動かしてPL法の先駆けとなる規範を作った。
その間、ナイロンザイル切断事故が繰り返されている事は前述の通りであるが、公害事件と被害者の多寡は違うが本質は変わりない。

著者の相田武男氏は元朝日新聞記者で、常に新しい事件を追い続ける記者にとって、やや色褪せはじめた題材を20年間に亘って追求し、弱者・正義の側に立って現代社会に問いかける記者魂に迫力を感じた。
二人の執念があいまって、人を拒む「権威」の実態を見せてくれたが、「真実とは何か」を見極める難しさも教えてくれた。
なお、石岡繁雄氏が書いた「ナイロン・ザイル事件」が井上靖の目にとまり、小説「氷壁」が誕生した。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 楢峠スノートレッキン2 | トップ | 冬の雨 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
長文をどうも (山里の住人)
2009-02-26 16:00:26
Reiさん
長文を読んで頂き、どうもです。
新田次郎は山岳描写が丁寧で、好きな作家の一人です。

季節が1ヶ月ほど進んでいるようですね。
暖かくて過ごしやすいけど・・・
返信する
氷壁 (Rei)
2009-02-26 11:42:01
本日のブログ読み初めてすぐ「氷壁」のモデル?と思い浮びました。
細かくは忘れましたが、小説は友情も恋愛もあり面白く読んだ記憶です。

亡夫は新田次郎ファンで何冊か遺っています。たまたまいま「芙蓉の人」読んでいます。

今週は雨ばかり、変な天候です、
誰かが「菜種梅雨」なんて言っていましたが、まさか・・・まだ2月です。





返信する
氷壁 (山里の住人)
2009-02-25 08:38:50
ドラマの裏にもう一つのドラマがあったことを知りました。
新しい素材は良い面とリスクもあるので選ぶのが難しいですね。
返信する
ナイロンザイル (山裾の人)
2009-02-24 23:16:51
こんばんわ はじめまして
ナイロンザイルの問題当時は議論されましたね。
あの氷壁を何度も読みました。
今はテフロンでしょうか?
細い糸でも体重を確保できるとか・・・
最近は軽とらに薪を積む時くらいしかザイルを使ってません。
返信する

コメントを投稿

セカンドルーム」カテゴリの最新記事