どれくらい泣いただろう。
彼は自分の前に置かれた大盃に気付いた。
酒がタップリと注がれていた。
手を伸ばして掴み、一気に飲み干した。
喉元を通り過ぎた酒が五臓六腑を刺激する。
それで怒り悲しみが収まるわけではない。
隣に鈴木順吉が肩を並べるように腰を下ろし、黙って彼を見守っていた。
背後の大広間に集まっていた者達も同様だ。
動いているのは遺体を清めている女達だけ。
彼女達は一心不乱に遺体と格闘していた。
彼は鈴木の顔を見ずに尋ねた。
「足利学校を覚えているか」
下野国の足利に置かれた最高学府のことだ。
大陸渡来の四書五経を中心に据え、あらゆる事を教えた。
兵学や医療・薬学とかもだ。
彼も鈴木も同じ時期にそこで学んでいた。
「覚えている。あの頃は楽しかった」
「ああ、楽しかった。・・・人の成り立ちについてはどうだ」
鈴木は苦笑い。
「人、あれか・・・、覚えていたのか」
「お前の仮説は分かり易かった」
「あれは単純すぎたかな」
「そんな事はない。・・・もう一度、聞かせてくれ」
鈴木は彼の横顔を見た。
「人とは、産まれた赤ん坊が産着を着せられるように、
色々な見えない着物を、歳を重ねるごとに着せられる。
子供としての着物。男としての着物。女としての着物。
刀扱いの巧い人としての着物。算盤勘定の巧い人としての着物。
武士としての着物。僧侶としての着物。人の上に立つ者としての着物」
彼は鈴木と視線を合わせた。
「聞いてくれるか」
「いいとも」
「今の俺は・・・、木村家の総領としての着物を破られてしまった。
孫としての着物も、子としての着物も破られてしまった。
夫としての着物も・・・親としての着物も・・・」
心の奥が震動を始めた。
連動するかのように身体のみならず、手足の指先までもが震えた。
歯が噛み合わず、言葉も続かない。
鈴木が彼の様子を心配気に見守りながら、大盃に酒を注いだ。
彼は震える手でそれを掴むと、零れるのを無視して再び一気に飲み干した。
喉元が濡れても気にしない。
彼は溜めていた物を吐き出すかのように、言葉にした。
「まるで・・・、人としての皮を剥がれたようだ」
鈴木は慰めの言葉を探しているらしい。
彼はすっくと立ち上がった。
遺体を清めている女達に声をかけた。
「死んだ者全員の髪を集めてお守り袋にしてくれないか」
女達に異論はない。
すぐに一人がそれに取り掛かった。
次に彼は、大声で郎党の頭・信平を呼んだ。
背後から大きな返事が返ってきた。
ドカドカと足音を立て、手傷を負った大柄な男が彼の前に跪いた。
「申しわけ御座いません」
彼が聞きたかったのはそういう言葉ではない。
「それよりも襲撃の様子を話せ」
信平の説明によると、夜盗の人数は十数人。
夕闇に紛れ、表と裏の両門より押し入って来たのだそうだ。
近くを街道が通っているので、見慣れない人間がいても怪しまれる事はない。
さらに、街道沿いには神社仏閣が多く、人が集まる場所にも事欠かない。
おそらく、何れかの無人の社寺を集合場所とし、夕暮れを待っていたのだろう。
木村家の郎党の数は多い。
しかし、半数以上は屋敷の外に居住。田畑を中心に分散していた。
屋敷内の長屋に住んでいるのは十八人。
ただし全員が戦えるわけではない。
四家族の老若男女で十八人なのだ。
実際に戦力として数えられる男は僅か八人。
十数人の敵に不意を突かれれば、太刀打ちできる数ではない。
それでも、女子供老人を長屋に残し、男八人は刀槍を持ち出して戦った。
「捕らえた者とか、討ち取った者はおらぬのか」
とたんに信平の言葉が重くなった。
「幾人かに手傷を負わせたのみです」
敵は手馴れた事に、表・裏の両門を内より閉じ、短槍を持った二人を一組とし、
双方に張り番として残した。
その為、屋敷外に居住する郎党達が異変に気付き、駆けつけたものの、
敷地内に入るのに手間取ってしまった。
結局は門を突破するのを諦め、塀に梯子をかけるしかなかったのだ。
「ただの夜盗と思うか」
「それは・・・」
「夜盗であれば、蔵を破る筈」
信平は首を捻った。
「いいえ、破られておりません。近付く気配すらありませんでした」
「すると狙いは」
「旦那様も帰りに襲われたたとか」
「そうだ」
「となると、・・・当家潰しではないかと。ただ理由が・・・」
「やはりそう思うか。夜盗の中に見知ってる者はいたか」
「いずれも覆面をしておりました」
隣の鈴木が口を差し挟む。
「お主の方はどうだ」
「斬る自信があったのか、素顔を晒していた」
彼の言葉に場が騒然とする。
遺体を清めていた女達までが手を止め、彼の次の言葉を待つ。
彼は待ち伏せされた経緯を説明した。
話しながら、敵が彼の居場所を掴んでいたことに気付いた。
どうやら迂闊にも、昼日中より見張られていたらしい。
額に刀傷痕のある男の話になると、幾人かが名前を知っていた。
代官の与力で、名は原田甚左。
上司は数人いる関東代官の末席に連なる吉本重四郎だそうだ。
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自宅待機していましたが、他の部署で欠員がでました。
慣れた者ということで私が選ばれましたのです。
あまり好きな部署ではありませんが、そうも言ってはいられません。
新人の補充ができるまで、という事で引き受けました。
遠隔地にある部署のため、通勤が大変です。
始発で始まり終電で終わる一週間でした。
PCに触れるのは一日一時間程度。
暫らくの間、新人補充まで、更新ペースが乱れると思います。
ごめん。
今、サッカ中継を見ています。
日本対バーレーン戦。1-0。
内田、点にはならないけど、巧い。
彼は自分の前に置かれた大盃に気付いた。
酒がタップリと注がれていた。
手を伸ばして掴み、一気に飲み干した。
喉元を通り過ぎた酒が五臓六腑を刺激する。
それで怒り悲しみが収まるわけではない。
隣に鈴木順吉が肩を並べるように腰を下ろし、黙って彼を見守っていた。
背後の大広間に集まっていた者達も同様だ。
動いているのは遺体を清めている女達だけ。
彼女達は一心不乱に遺体と格闘していた。
彼は鈴木の顔を見ずに尋ねた。
「足利学校を覚えているか」
下野国の足利に置かれた最高学府のことだ。
大陸渡来の四書五経を中心に据え、あらゆる事を教えた。
兵学や医療・薬学とかもだ。
彼も鈴木も同じ時期にそこで学んでいた。
「覚えている。あの頃は楽しかった」
「ああ、楽しかった。・・・人の成り立ちについてはどうだ」
鈴木は苦笑い。
「人、あれか・・・、覚えていたのか」
「お前の仮説は分かり易かった」
「あれは単純すぎたかな」
「そんな事はない。・・・もう一度、聞かせてくれ」
鈴木は彼の横顔を見た。
「人とは、産まれた赤ん坊が産着を着せられるように、
色々な見えない着物を、歳を重ねるごとに着せられる。
子供としての着物。男としての着物。女としての着物。
刀扱いの巧い人としての着物。算盤勘定の巧い人としての着物。
武士としての着物。僧侶としての着物。人の上に立つ者としての着物」
彼は鈴木と視線を合わせた。
「聞いてくれるか」
「いいとも」
「今の俺は・・・、木村家の総領としての着物を破られてしまった。
孫としての着物も、子としての着物も破られてしまった。
夫としての着物も・・・親としての着物も・・・」
心の奥が震動を始めた。
連動するかのように身体のみならず、手足の指先までもが震えた。
歯が噛み合わず、言葉も続かない。
鈴木が彼の様子を心配気に見守りながら、大盃に酒を注いだ。
彼は震える手でそれを掴むと、零れるのを無視して再び一気に飲み干した。
喉元が濡れても気にしない。
彼は溜めていた物を吐き出すかのように、言葉にした。
「まるで・・・、人としての皮を剥がれたようだ」
鈴木は慰めの言葉を探しているらしい。
彼はすっくと立ち上がった。
遺体を清めている女達に声をかけた。
「死んだ者全員の髪を集めてお守り袋にしてくれないか」
女達に異論はない。
すぐに一人がそれに取り掛かった。
次に彼は、大声で郎党の頭・信平を呼んだ。
背後から大きな返事が返ってきた。
ドカドカと足音を立て、手傷を負った大柄な男が彼の前に跪いた。
「申しわけ御座いません」
彼が聞きたかったのはそういう言葉ではない。
「それよりも襲撃の様子を話せ」
信平の説明によると、夜盗の人数は十数人。
夕闇に紛れ、表と裏の両門より押し入って来たのだそうだ。
近くを街道が通っているので、見慣れない人間がいても怪しまれる事はない。
さらに、街道沿いには神社仏閣が多く、人が集まる場所にも事欠かない。
おそらく、何れかの無人の社寺を集合場所とし、夕暮れを待っていたのだろう。
木村家の郎党の数は多い。
しかし、半数以上は屋敷の外に居住。田畑を中心に分散していた。
屋敷内の長屋に住んでいるのは十八人。
ただし全員が戦えるわけではない。
四家族の老若男女で十八人なのだ。
実際に戦力として数えられる男は僅か八人。
十数人の敵に不意を突かれれば、太刀打ちできる数ではない。
それでも、女子供老人を長屋に残し、男八人は刀槍を持ち出して戦った。
「捕らえた者とか、討ち取った者はおらぬのか」
とたんに信平の言葉が重くなった。
「幾人かに手傷を負わせたのみです」
敵は手馴れた事に、表・裏の両門を内より閉じ、短槍を持った二人を一組とし、
双方に張り番として残した。
その為、屋敷外に居住する郎党達が異変に気付き、駆けつけたものの、
敷地内に入るのに手間取ってしまった。
結局は門を突破するのを諦め、塀に梯子をかけるしかなかったのだ。
「ただの夜盗と思うか」
「それは・・・」
「夜盗であれば、蔵を破る筈」
信平は首を捻った。
「いいえ、破られておりません。近付く気配すらありませんでした」
「すると狙いは」
「旦那様も帰りに襲われたたとか」
「そうだ」
「となると、・・・当家潰しではないかと。ただ理由が・・・」
「やはりそう思うか。夜盗の中に見知ってる者はいたか」
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隣の鈴木が口を差し挟む。
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「斬る自信があったのか、素顔を晒していた」
彼の言葉に場が騒然とする。
遺体を清めていた女達までが手を止め、彼の次の言葉を待つ。
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話しながら、敵が彼の居場所を掴んでいたことに気付いた。
どうやら迂闊にも、昼日中より見張られていたらしい。
額に刀傷痕のある男の話になると、幾人かが名前を知っていた。
代官の与力で、名は原田甚左。
上司は数人いる関東代官の末席に連なる吉本重四郎だそうだ。
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あまり好きな部署ではありませんが、そうも言ってはいられません。
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遠隔地にある部署のため、通勤が大変です。
始発で始まり終電で終わる一週間でした。
PCに触れるのは一日一時間程度。
暫らくの間、新人補充まで、更新ペースが乱れると思います。
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今、サッカ中継を見ています。
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内田、点にはならないけど、巧い。
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