高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

常葉菊川と斎藤祐樹

2007-04-30 18:05:14 | 時事ネタ

常葉菊川と斎藤祐樹

 
これは私個人の特殊な問題だと思いますが、実は、この春の甲子園で常葉菊川が優勝したと言うことを知りませんでした。これでも、私は静岡県の公立高校でメシを食っていますが、その私が知らなかったのです。大体、私はとうの昔に甲子園への関心は失っています。
ところが、そういう私でも早稲田実業を卒業したかつての甲子園の星の斎藤祐樹選手の動向は情報として入ってくるのです。常葉菊川ってところで、何か、情報として優勝したという以外であるんですか?
そりゃあ、通のなかではいろいろあるんでしょうね。しかし、私のような、野球に関心がそれほどあるわけではない人間の耳目には常葉菊川の情報は入ってこないのです。
 ただ、野球がうまいということ、ただ野球で勝ったということ、では、情報としての差異をうむことはできません。情報として差異のないところに、この社会での価値を生むことはできません。
 だから、世間は、あのあどけなく、甘いマスクのハンカチ王子を追いかけるのです。女の子が追いかけるのです。そこに、電車代がうまれ、ついでに飲んだお茶の売り上げアップがついてき、その情報を伝えるニュースの視聴率が上がり、スポンサーがニュースにつき、野球報道の番記者の給料が上がり、その給料で高級な液晶テレビが買われ、・・・・・もうよします(笑)。こうして、風邪が吹いて、桶屋が儲かるわけなんです。

異なれ、異なれ

 消費社会において、価値を生み出し、こうした循環を生み出すのは、実は、異なること、異なる情報、異なる効用があること、それが、他者の欲求を刺激すること、これなんです。この循環が、すべてなのです。同じであってはならない。同じCDROMを2枚もっていて何になるんですか(笑)?


 ビーチバレーの浅尾美和(上写真)、ボクシングの亀田兄弟、レスリングの浜口親子を考えてみてください。普通にビーチバレーをやるのではなく、かわいいビジュアルがあることで人は、ビーチバレーを楽しみます。単にビーチバレーではなく、そこに異なるビジュアルという要素が付加されたとき、人はお金を落とすのです。効用を満足させるのです。浅尾は決して日本一ではありませんね。しかし、人は一目みたいと足を運ぶのです。
 これは、亀田兄弟についても、浜口親子についてもいえます。彼らがもっているそれぞれのスポーツの能力+αの情報の価値、これが彼らの価値を高めているのです。私はそういう意味では、アニマル浜口はとても芸人、それも売るということにたけた商人にみえますね。




現在、農業が注目されていますね。何も東国原知事だけではありません。地方が地方の個別性の局地、その自然条件の中でそこだけしかできない自然を見つめ、独自の産物をつくるということが少しづつ成功物語をつくりつつあります。単に、受験勉強をして、金太郎飴のような問題集読解能力しかない、つまり、たんに、「・・・大学」に所属したという個別性のない能力がどういう運命を辿っているかは、たとえば、城繁幸の「若者はなぜ3年で辞めるのか」をお読みになられると理解できると思います。そこには、たんなる奴隷労働しか残っていないのです。

 しかし、現状は学校の先生の世界が60直前の決断で動いています。そこから飛び出たら何もない、という所属だけが命の人間は、追いつめられると、ますます過去の遺産へと回帰します。それは、地獄を呼び込むだけです。


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