高校公民Blog

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昭和/平成の参勤交代

2007-09-22 20:18:38 | 政治時事

総裁候補たちの形式

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 安倍晋三前総理は山口県大津郡油谷町(現・長門市)出身となっているけど、成蹊小中高と経て、例の平沢勝栄氏の家庭教師を受けたわけでしょ。つまり、実は江戸で育っているのです。前の総裁選で敗れた谷垣禎一だって、京都府福知山市で選挙区は京都ですが、学歴的に言えば、麻布中学高校ですから、江戸育ちなんですね。同じく今回の総裁選に出馬している麻生太郎だって、福岡県飯塚市出身ってことで、福岡選挙区ですね。でも、彼は学習院小中高大っていっているんです。なんでしょうか、みなさん、飛行機でお通いなされたんですかねえ(笑)。ちなみに、例の田中真紀子は、田中角栄の二世ですね。今でも新潟から出てますが、やはり、日本女子大付属小中高を出て、早稲田大学を出ています。今回のおそらく総裁に選ばれるだろう福田康夫は、父が有名な福田赳夫氏ですね。その彼は、麻布中高とでています。もっとおもしろいのは、加藤の乱で有名な加藤紘一は、山形県鶴岡市出身で、やはり二世ですが、彼は経歴を見ますと、中学で地元をおさらばしまして、東京の麹町中学へと転校しています。そのあと、名門日比谷高校を経て東京大学法学部へと入学しています。そのかれは、岸田森という役者にどうやら東京の日本語を教わっているんです(笑)。まさに、生まれ変わりだね。田舎を捨てる儀だよ。興味のおありの方は全部調べてみればいいと思います。
 つまり、こういうことです。これらの人たちは本当は東京で選挙すべき人たちなんですね。
 総裁候補のみなさんは二世、三世議員です。この事実はある程度自明ですね。しかし、こういう指摘はいかがでしょうか?

これで

「地元のみなさん」

もないのではないでしょうか?
 しかし、ここには一筋ではいかないからくりがあるのです。

東京一極集中

 実は、これは日本の高度経済成長の構造と重なっていきます。東京にすべてを集中させていく。安価な農村の労働力を東京へと集中させる。産業資本主義を駆動させる高度な技術を修得可能な優秀な頭脳を東京大学以下の受験ピラミッドシステムでリクルートし、東京に一極集中させる。こうして、今あげた政治の世界の東京集中があらゆる分野で行われたのです。アトランダムにいいましょうか。霞ヶ関の官庁街は壮大なる田舎っぺのるつぼとなったのです。日本の巨大企業群もそう、マスコミもそう、果ては読売巨人軍、吉田拓郎や井上陽水もそう、すべて、この物語にそって、東京へと集中していったのです。それを後押ししたのは何と地元なのです。加藤紘一はこうして地元語を捨て、東京語と中国語と英語を流暢にあやつる外務官僚となったのです。余談だけど、そう考えると民主党の河村たかしはなんだろうねえ。

昭和平成の参勤交代

 いまいいましたが、実はこうした東京一極集中を促進したのは、高度経済成長という経済の構造だったのです。それは、くりかえしますが、あくまで産業資本主義という近代的なシステムの要請だったといっていいのです。それは、おそらく、西欧社会でもみられた同様な現象でしょう。しかし、政治家のこのリクルートシステムはまったくことなります。次元が異なるのです。それは、やはり、まさに江戸時代の参勤交代を反復していると言った方がいいのです。だから、彼らは一世とはまったく違った環境に育ったにもかかわらず、地元をやはり一世の地元に置いているのです。おそらく、地元などという感覚はいっさいないでしょう。その感覚を培ったのは一世だったのです。そして、一世は何をしてきたのか?それは、実はこの東京一極集中とは相反する、矛盾する、あるいは非効率な、産業資本主義とは矛盾するものだったのです。それは、こうして東京へと集めた資本をもとに利潤をあげた、そのまさに利潤の非効率な再配分だったのです。税金という年貢を納め、藩主に引き渡す、その一部を藩主は収奪する。そして、同時に恩として財の再配分をするのです。そこに働いている論理は近代社会のものではありません。とにかく再配分するのです。市場とは関係ない論理がそこに働いていたのです。藩主たちは、江戸へと参勤交代に出向き、江戸表でこの再配分を行い、領民に恩をたれるのです。もちろん、江戸時代の参勤交代はまったく現代の参勤交代とは意味がことなりますよ。大体、だれも江戸詰めを強制していない。しかし、産業資本主義というシステムが彼ら政治家という殿様をも東京へと集中させていたのです。それは、江戸時代のように浪費を目的として徳川の封建体制が強制したものではありません。強いて言えば、高度経済成長という経済システムが強制していたのです。まあ、言い換えれば年貢の米が江戸でなるようになったと考えればいいですね。そして、領民にあくまで最後は還元するという要請は働いていたのです。田中角栄の日本改造計画や竹下登のふるさと創生などのプランはそれを象徴するものです。

森喜朗の嘆き



 小泉、安倍の派閥の領袖である森がこのような嘆きをしていたのです。小泉が地方へ行き、細かく入り組んだ棚田をみて、

「きれいだねえ」

とその美を賛美したというのです。森はそれがいかんというのです。きれい、じゃないだろう!

「大変ですね、あれを管理するのは!」

だろう!というのです。そこに、地方の痛みが分からなくなった地方議員が続出してきているという事実を指摘したのです。ましてや、派閥を否定する(山本一太!)派閥所属議員まで出てきている、出ていけばいいのだ、と森はいっているのです。地方の痛みもわからない、地方への分配という、それも均衡ある分配のためのきわめて精巧なシステムである派閥システムを理解しない人間がでてきたのだ、と嘆いているのです。そのあとが大事です。

「じゃあ、自分たちは何によって自分の地位を得たのだ!」

 東京に育ち、東京で学び、文字通り東京で育った彼らが、もはや高度成長の原動力となったシステム自体を理解できない体質として成人してしまったという事実。そして、地方への非効率な分配が非効率としてモロに数値化されてきてしまったという現実(国の累積債務!)。しかも、地方は市場や効率とは関係のない、収奪―再配分という依存関係が主だったという事実。
 しかし、地方に籍があるだけで、地方を忘れ、いや地方を捨て、東京で育ち、東京人となった彼らにはこれが非効率なシステムとしてしか映らない。そして、地方の自立のためのノウハウの脱落を無視した単純に地方への財源の委譲をするという議論か、東京がやはり上から計画しなければいけないという対象としてしか地方が映らないという(財務官僚的)現実。
 これが私たちが直面している現実です。
 私は少し上で河村たかしが名古屋弁を捨てないで東京にいるという現実を指摘しましたね。いま、実は、名古屋はトヨタ自動車のおかげで未曾有の好況なのです。名古屋弁を捨てずに、地方への財源の委譲を主張する根拠はこのあたりにあるのかもしれませんね。


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