古美術 崎陽

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長崎で活躍した人~「ケンペル」~14

2013-02-07 05:45:13 | 長崎の歴史
補足~3


鎖国と言う言葉がどこから来たかを探ると、

ドイツ出身のオランダ東インド会社の医師

ケンペルに遡ります。

1690年に来日し、

オランダ商館長の江戸参府に随行して

日本見聞記である「日本誌」を残した人です。

この日本誌が、ほぼ80年後に日本に広まった

と言われております。

フランスの啓蒙思想家モンテスキューや

ボルテールらが研究の対象とし、

話題となっていたにも関わらず、

一世紀に届かんとする月日を経て

日本へ届いたのです。

このケンペルの日本誌を翻訳した人が、

志筑忠雄という人で、

ケンペルが日本を訪問してから約110年後なのです。

ケンペルは日本誌で何を言っているのか

「当時の日本が全国を鎖国して・・

 敢えて異域の人と通商せざらしむ事は

 実に所益あるによれりや否やの論」

という論旨で、鎖国の是非を考察しているようです。

鎖国は天理に反すると一般論を述べ、

例外の国として日本を挙げ、

いかに日本の鎖国が妥当であるか検証しているようです。

半世紀の後に黒沢翁満が、

発禁処分になった「異人恐怖伝」

という題名で刊行されました。

鎖国論が異人恐怖伝になったのです。

この鎖国論の写本が日本で広く読まれていたようです。

大田南畝は鎖国論に序文を書き

宣伝につとめたようです。

また、松平定信は鎖国論を必読の書としておりました。



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