長崎奉行補足~18 2013-10-14 04:35:48 | 長崎の歴史 牛込忠左衛門勝登』~8 また、この取引で仕入れた品物を 他都市の商人に売却。 莫大な利益が長崎に生まれた。 重忝はこの益金で長崎市街の整備を行った。 市街を80町に整備し、 長崎奉行所を西役所と立山役所に分散。 さらに、寛文3年(1663)の寛文大火により 焼失した長崎聖堂を再建した。 シーボルトの鳴滝塾で知られる鳴滝の地名を 京都の鳴滝にちなんで命名したのは重忝である。 延宝8年(1680)には、 長崎の町中で俳諧・連歌を行なう者を それぞれ一夜ずつ奉行所に召し寄せ 歌や詩を作らせて鑑賞している。 古美術崎陽 長崎の歴史 « 長崎奉行補足~17 | トップ | 長崎奉行補足~19 »
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