「五代友厚」
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天保6年(1836)薩摩国鹿児島郡長田町城ヶ谷に
『三国名勝図会』の執筆者で記録奉行の
五代直左衛門秀尭の次男として生まれる。
(後に分家する)
安政4年(1857)に薩摩藩藩士として長崎海軍伝習所に学ぶ。
ここでの経験はその後の功績の元にもなります。
文久2年(1862)に海外視察のため上海に渡る。
このとき30万ドルで売りに出されていた汽船を
12万5千ドルまで値切って購入します。
文久3年(1863)に発生した薩英戦争では、
この上海で購入した天祐丸に乗船して
英国艦隊に拿捕され
寺島宗則とともにイギリス海軍の捕虜となった。
このため無実の疑いをかけられ脱藩。
長崎で出会った同じ薩摩藩士の野村盛秀の
取り成しによって一年後に疑いが晴れ
薩摩に帰藩し船奉行副役に任命されます。
この薩英戦争で西洋との格差を痛感し、
技術習得のための欧州留学生派遣を提案して認められます。
慶応元年(1865)五代自身も欧州を視察し、
そこでの経済活動で数々の功績を上げたのです。
古美術崎陽HP