古美術 崎陽

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大浦慶関連補足~ウィリアム・オルト

2010-03-11 15:45:06 | 長崎の歴史

「ウィリアム・ジョン・オルト」

(1)

1840~1905

英国アイルランド出身

早くに父親を亡くし、母親を助けるために

12歳の若さで貿易船に乗り込みます。


安政6年(1859)19歳になっていた彼は

中国で関税局に就職しましたが

日本の開国を知りいち早く来日

長崎にてオルト商会を設立。

英国領事館の記録には「1859年10月27日来崎」と明記


幕末の動乱期に

土佐を始め西日本諸藩と交渉を深め、

中古船や機材の輸入

長崎の有力商人の娘・大浦慶と提携して

九州一円から生茶を買い求め輸出。

わが国最初の製茶工場を設け

製茶業で巨額の利益を得ます。


オルト商会の事務所は、

大浦海岸通り7番地に建設され

2階建て洋館の堂々たる姿が多くの古写真に残されています


初期貿易の先頭に立つかたわら、

居留地自治会の初代役員、

プロテスタント教会の理事など、

居留地社会の中で中心的な役割を果たしました。


ウィリアム・オルトと妻エリザベスは元治元年(1864)に

オーストラリアで結婚し、

まだ新婚気分が醒めないうちに長崎にやってきました。

17歳のエリザベスは牛乳などが手に入らないと嘆いたという。

妻エリザベス(1847~1923)と二人の娘との4人家族でした。



 「長崎は本当に美しいところで、

  これ以上美しい所を私は知らない」

 彼の妻エリザベスは、

 後の回想録に長崎の印象をこう書き残しています。


明治元年の秋、

彼は大阪に支店を新設するため

家族と共に大阪の川口居留地に移り住み、

長崎の業務を同僚の英国人ヘンリー・ハントと

フレデリック・ヘリヤーに任せます。

その後大阪で1年半、横浜に2年間滞在しています。


明治4年(1871)に日本を後にします。

イギリス南部の町に大邸宅を構え、悠々自適の余生を送ります。


オルトは病弱でしたので

長崎にいる期間が短かったのですが、

もっと長く長崎にいたら

きっとグラバーやリンガーをしのぐ商人になったでしょう。

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