「後藤 象二郎」
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天保9年(1838)~明治30年(1897)
土佐藩士、政治家。伯爵。
農商務大臣、逓信大臣、大阪府知事など。
諱は正本(まさもと)、のち元曄(もとはる)。
象二郎は通称、他に保弥太、良輔。
雅号は暢谷。不倒翁など。
土佐藩の馬廻格・後藤助右衛門正晴の長男として
高知城下片町に生まれる。
少年期に叔父吉田東洋の少林塾にて学ぶ。
安政5年(1858)吉田の推挙により幡多郡奉行、
文久元年(1861)には御近習目付、
その後は普請奉行として活躍する。
だが翌年に吉田が暗殺されるや失脚。
文久3年(1863)に藩政に復帰し、
前藩主山内容堂の信頼を得るとともに、
江戸の開成所にて蘭学や航海術、英学も学ぶ。
元治元年(1864)大監察に就任。
後藤は公武合体派の急先鋒として、
武市瑞山らを切腹させるなど土佐勤王党を弾圧。
古美術 崎陽