「ウィリアム・ジョン・オルト」
(2)
ウィリアム・オルトとその家族は
二度と日本の土を踏もことはありませんでした。
しかし、昭和60年(1985)にオルト家の血をひく人物
モンゴメリー子爵夫人が長崎を訪れました。
オルトのひ孫にあたります。
子爵夫人の祖母は、
ウィリアムとエリザベス・オルトの四女ナンシー。
友人からオルト邸が現存していると聞き
先祖の住宅を見たいという思いにかられたようです。
同夫人の長崎訪問で夫人の母親が
有名な小説家ダフネ・デュ・モーリエであると知られるようになりました。
グラバー園に残る~旧「オルト邸」
オルト商会のウィリアム・ジョン・オルトの邸宅
元治元年(1864)~明治元年(1868)の4年間居住
イギリス人の設計で
大浦天主堂やグラバー住宅を手掛けた天草出身の職人
小山秀之進が施工したものと言われている。
ベランダの高い天井を支えているタスカン様式の
列石柱(天草の石を使用)が印象的で、
三方にベランダをめぐらせた重厚な木造・外壁石積の建築。
裏手には当時の厨房・倉庫、
また、崖に造られた天然の貯蔵庫(年間を通して20℃前後)が
そのまま残されています。
前面ベランダ中央の切妻屋根のポーチ横には、
日本最古で最大級の木香バラが茂っている。
国指定重要文化財(昭和47年5月15日)指定
明治13年(1880)から2年間、
創立期の活水学院校舎として使用され、
その後はリンガーの長男の手に移り
長く住居として使われましたので
別にリンガー(兄)邸とも言われます。
古美術 崎陽 HP