(5)
海外の文物が集まる先進地長崎の商人乾堂は、
時勢を冷静に見詰める「開明派」だった。
安政四年(1857)乾堂は江戸で越前藩主松平春嶽に会い、
次のように説いている。
「今や開港、貿易の機に至りました。
内は農、外は通商に励み、
その利益で西洋の兵器や機械を購入し、
志士を海外に留学させるべきでございます」
乾堂は開明派の幕臣勝海舟と大変親しかった。
勝は元治元年(1864)弟子の龍馬を連れて来崎した際、
乾堂に龍馬を紹介したとみられる。
乾堂は「時代を変える」と意気込む大柄な青年に
大きな魅力を感じたのではないだろうか。
古美術崎陽
海外の文物が集まる先進地長崎の商人乾堂は、
時勢を冷静に見詰める「開明派」だった。
安政四年(1857)乾堂は江戸で越前藩主松平春嶽に会い、
次のように説いている。
「今や開港、貿易の機に至りました。
内は農、外は通商に励み、
その利益で西洋の兵器や機械を購入し、
志士を海外に留学させるべきでございます」
乾堂は開明派の幕臣勝海舟と大変親しかった。
勝は元治元年(1864)弟子の龍馬を連れて来崎した際、
乾堂に龍馬を紹介したとみられる。
乾堂は「時代を変える」と意気込む大柄な青年に
大きな魅力を感じたのではないだろうか。
古美術崎陽