アンリ・ルソー作『夢』(ニューヨーク近代美術館蔵)
目を傷めて読書量が減ったなかで今年はじめて読んだ原田マハはよかった。
2012年の山本周五郎賞受賞作品『楽園のカンヴァス』は、アンリ・ルソーの魅力をいかんなく描くとともに、その周りで活躍する男女の時空を超えた恋物語としている。
素材への切り込みの斬新さと絵をめぐる人間たちのリアリティとが調和して小説ならではの世界を開拓している。
原田マハはキュレーターとしての実績を小説に生かしている。
ウィキペディアによると、キュレーター(英語: curator)とは
英語の元の意味では、博物館(美術館含む)、図書館、公文書館のような資料蓄積型文化施設において、施設の収集する資料に関する鑑定や研究を行い、学術的専門知識をもって業務の管理監督を行う専門職、管理職を指す。
物語は、ニューヨーク近代美術館が所蔵するアンリ・ルソー作『夢』には、別に描かれた『夢をみた』があるのではないか。それを幻の大物コレクターが持っていて世界的に優れたルソー研究家二人がバーゼルに極秘で招かれる、というところからはじまる。
一人が男性でニューヨークから、もう一人は女性で日本からやって来る。
『夢をみた』にはその制作にまつわる誰が書いたか不明の文献もあり、それを二人は読み解いて、『夢をみた』の真贋を判定するという展開。
くだんの絵に裸体で登場するヤドヴィガ、その夫の配達夫ジョセフ。彼らが必死で支える売れない絵描きルソー、ルソーの才能をいちはやく見出すピカソ。1900年初頭の物語と現代の絵をめぐる市井の人間たちの厚情を文献が伝える。
小説のなかに小説を潜ませた感じで芸が細かい。
原田マハのキュレーターならではの視点は、コレクターという人種はこれがほしいという「そういうスイッチがついている人種」という言い方にある。
あるコレクターは著名な美術館の理事になり、所有する作品を寄付し、名誉を得、美術館のロビーに張り出されているプレートに永遠にその名を残す。あるコレクターは作品を買い漁り、飽きれば転売して、また新たな作品を買い続ける。またあるコレクターは、自分だけの密やかな楽しみとして、名作を寝室に飾り、文字通り添い寝する――。
さらにキュレーターだから言えるのは次のような文章にあるだろう。
自分は研究者や評論家など、作品の遠くにいて作品を論じる専門家には向いていない。好きな作品をみつめ続け、作品のもっとも近くで呼吸ができる仕事につくのがいいのだ。それはきっと、キュレーター。いや、ひょっとすると、監視員かもしれない。
ルソーやピカソたちがまだ有名にならないころ描き散らした絵はいくつあるかわからない。切磋琢磨している貧乏画家たちはカンヴァスや絵具を買う金にも窮した。描いたカンヴァスを安く売る。それを安く買った別の画家がその上に自分の絵を描くようなことは頻繁に行われていたという。
作者がこういった事実を巧み取り込んで壮大なロマンの隠し味にしているのも見逃せない。
紫陽花に秋冷いたる信濃かな 杉田久女
俳句をはじめたころこの句は評価できなかった。どのようによくて世評が高いのかわからなかった。
初心のころは師匠や先輩方から「季語は一句に一つ」と教えられていたこともあってなんで秋の寒さを感じるころ紫陽花が出てくるのかわからなかった。
ところが10年ほど前から久女の観察眼にえらくひかれはじめた。
紫陽花という花はしぶとい。
毬のような花の形が崩れないでしっかり茎についていて風雨に耐えて冬に入る。
山茶花はちりじりに散って土に紛れるし、椿はかくんと首が落ちるように果てる。
紫陽花は赤みをのこしたまま秋を迎えるものもあるし、まだ緑のままのもある。
久女のこの句は自然は折り重なって進んでいる、ということを教えてくれる。
春になっても落葉はうず高くあるわけだし夏になってもそれは腐らないで林の中に存在する。
久女は山国へ行ったもの珍しさから見たまま書いたのであろうが紫陽花と秋冷のかかわりは絶妙である。コロンブスの卵といった感興である。
紫陽花という花の本質と秋冷という季題の本意とがこれ以上なく引きあっている。
舞台はどこでもいいようでいて「信濃かな」は「秩父かな」よりも音感が冴える。
俳句の先生方がおっしゃるように季重なりはテーマが拡散してむつかしいのであるが季重なりが決まることもある。
季重なりが決まったとき一句は、ハリウッドの美男美女スターの結婚が長続きしているかのような不思議な光彩に包まれる。
嫌な夢を見た。
自分がつくった雑誌の表4(裏表紙のこと)に定価が印刷されていない。
しかたないので定価だけ小さいワッペンを貼り付けている。
おまけにそこに載せた衣服には価格を入れる必要があったみたいで「値段の版下は?」と誰かに問われている。ハンシタなんていう音感もはるか彼方へ行っていた。
ぼくはパソコンをひらいてイラストレーターであわてて値段を打っている、という夢である。
もう定年退職して4年になるがむかしやっていた仕事の夢を見るとは…。
10年くらい前は大学を卒業できない、単位が足りていないという夢を見てあせって起きることがしばしばあった。
過去から亡霊が追いかけてくる。
きのうNHKテレビ(Eテレ)で朝6時から「100分de名著」をやっていた。
サルトルがテーマであった。
サルトルは大学時代にえらくひかれたので復習のため見た。
「自由であることは自由であるように呪われていることである」という言葉をかつて呪文のように唱えていたことを思い出した。
「自分が踏み出すから道ができる」みたいなことをサルトルは言っていて、当時えらく新鮮に感じたものだ。
サルトルにならえば定年退職した男など何をしてもしなくてもいい身の上ゆえすべてから解放されていいはずである。
それがもう終わってしまった過去の映像が襲ってくる。
いやはや人間の意識は困ったものである。
ただし夢はいいこともある。
先日はけっこういい女が夢に登場した。そうとう美人なのだがいままで生きてきたどの局面でも会ったことのない顔立ちであった。
もうすこし続いてくれと切望したのだがあっけなく美人は消えて行ってしまった。
この夢の話は妻にはしない。
見も知らぬ女が夢に霜の花
きのうものを見て俳句を書こうと西武線に乗り、横瀬で降りた。9時40分ころ歩き出す。
山へ登ってハアハアすると俳句どころではない。だいたい秩父鉄道沿いに三峰口のほうへ車道をだらだら歩く予定であった。
羊山公園はなだらかだから入ったのだが先へ行くにつれて山道化していった。
ジョギングシューズが頼りない。
400m足らずの小山だが意外に上り下りがありハード。
いけないのは残り2.5キロの標識。
そうとう歩いても1.5から減らない。
0.3になってから歩数を数えた。500歩あるいても着かない。
標識の目的地もあいまいなら距離はいいかげん。0.3が1.5くらいあった。
結局2時間の歩行だったが標識のおかげでえらく疲れた。
二十七番札所とかいう大渕寺で着いてほっとしてリュックをおろした。
ここの住職をはじめ寺男かと思った。右へ左へよく動いてじっとしていない。
鼻歌をうたひ住職落葉掃
愛想のいい方で暑いと山歩きはたいへんですねとあいさつされる。お邪魔しますと答えて汗のシャツを脱ぎ着替える。
近くに水が出ている。延命水という札が掲げてある。住職の自慢の水ゆえ褒める。
名水の湧く音しづか冬の寺
典型的な神社俳句で湘子が生きていたら怒るだろうな。
寺に水もらひて昼餉小鳥来る
糸垂るるような湧水冬日和
山裾の寺に茶立つる小春かな
「茶立つる」などといってもブタンバーナーで湯を沸かして注ぐだけのこと。ラーメンにも湯をかける。
せいぜい6キロほど歩いただけだが山の中に人家があった。
街から離れたところに家があると、いったいこの家の人は何をしているのかいつも気になる。日本でもそうであるし外国でも同じことを感じる。
山中の家はぼくにとって永遠の謎である。
何を得て暮らす山家か落葉雨
冬枯やまつすぐ煙上がる家
落葉がすごくて土が見えにくい。あやうく捻挫しそうになった。
空足を踏みてころげし落葉かな
秩父鉄道の影森駅付近から見る武甲山は横瀬よりずっと迫っている。
秩父の山々も荒々しい。
風荒ぶ山肌白し葱囲ふ
秩父嶺や雲を繰出し冬ざるる
伊那出身のぼくはやはり山が近い秩父のような地勢に力を得る。
きのうの大相撲九州場所で白鵬の大技「やぐら投げ」に目をみはった。次の瞬間、行司式守伊之助が上げた軍配の方向に唖然とした。
だって遠くからみていても足が土俵に残っており、白鵬の体はきれいに回転して隠岐の海の上になって落ちているではないか…。
解説の中村親方(元琴錦)は、そうなるように土俵際へ誘った感じで白鵬には余裕があったと見たが、ぼくもそう感じた。そうでないと、ああはきれいに決まらない。
軍配は情けなかった。当然、物言いになって、あっさり差し違いとなった。
式守伊之助は処遇を聞きに行ききっと謹慎させられるだろうと思ったら、今日の新聞はやはり出場停止処分を伝えている。
まあしかたない。
パリで起きた惨劇に比べれば軍配がどっちへ行こうとたいしたことではない。