きのうものを見て俳句を書こうと西武線に乗り、横瀬で降りた。9時40分ころ歩き出す。
山へ登ってハアハアすると俳句どころではない。だいたい秩父鉄道沿いに三峰口のほうへ車道をだらだら歩く予定であった。
羊山公園はなだらかだから入ったのだが先へ行くにつれて山道化していった。
ジョギングシューズが頼りない。
400m足らずの小山だが意外に上り下りがありハード。
いけないのは残り2.5キロの標識。
そうとう歩いても1.5から減らない。
0.3になってから歩数を数えた。500歩あるいても着かない。
標識の目的地もあいまいなら距離はいいかげん。0.3が1.5くらいあった。
結局2時間の歩行だったが標識のおかげでえらく疲れた。
二十七番札所とかいう大渕寺で着いてほっとしてリュックをおろした。
ここの住職をはじめ寺男かと思った。右へ左へよく動いてじっとしていない。
鼻歌をうたひ住職落葉掃
愛想のいい方で暑いと山歩きはたいへんですねとあいさつされる。お邪魔しますと答えて汗のシャツを脱ぎ着替える。
近くに水が出ている。延命水という札が掲げてある。住職の自慢の水ゆえ褒める。
名水の湧く音しづか冬の寺
典型的な神社俳句で湘子が生きていたら怒るだろうな。
寺に水もらひて昼餉小鳥来る
糸垂るるような湧水冬日和
山裾の寺に茶立つる小春かな
「茶立つる」などといってもブタンバーナーで湯を沸かして注ぐだけのこと。ラーメンにも湯をかける。
せいぜい6キロほど歩いただけだが山の中に人家があった。
街から離れたところに家があると、いったいこの家の人は何をしているのかいつも気になる。日本でもそうであるし外国でも同じことを感じる。
山中の家はぼくにとって永遠の謎である。
何を得て暮らす山家か落葉雨
冬枯やまつすぐ煙上がる家
落葉がすごくて土が見えにくい。あやうく捻挫しそうになった。
空足を踏みてころげし落葉かな
秩父鉄道の影森駅付近から見る武甲山は横瀬よりずっと迫っている。
秩父の山々も荒々しい。
風荒ぶ山肌白し葱囲ふ
秩父嶺や雲を繰出し冬ざるる
伊那出身のぼくはやはり山が近い秩父のような地勢に力を得る。