天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

人種差別の深淵「ミシシッピー・バーニング」

2022-08-09 16:04:42 | 映画
             
    正義と誠実を顔に描いたようなウィレム・デフォー(右)


1988年製作/126分/アメリカ
1960年代のアメリカ南部における人種差別問題をテーマに、アラン・パーカー監督が実話に基づいて描いた社会派サスペンス。ミシシッピー州で3人の公民権運動家が消息を絶った。FBIは2人の捜査官を派遣するが、彼らを待ち受けていたのは、非協力的どころか敵意まで剥き出しにして捜査を妨害する住民達だった……。たたきあげのベテラン捜査官をジーン・ハックマンが、その相棒の若手エリート捜査官をウィレム・デフォーが熱演。
加えて、美容師で保安官補の妻フランシス・マクドーマンドが光る。
南部にとって北から来た連邦捜査員など敵である。警察も司法も住民(白人)も暗黙に一枚岩となってFBIに刃向う。迫害され続けている黒人は証言どころかFBIと会話しただけで袋叩きにされる。よって貝が蓋を閉ざしたように生きる。
それをこじ開けて真相を究明するのは証言を得ること。
ジーン・ハックマンが保安官補の妻を口説いて証言を引き出すのが圧巻だが、落ちてしまうフランシス・マクドーマンドの演技がすばらしい。
南部の女は高校生時代を将来の夫探しにあて結婚して夢のない生活を送る。ニューヨークやシカゴへ出られない女の運命のようなものがフランシスの表情に凝縮されている。

諦めと投げやりと流される人生を顔で演じるフランシス・マクドーマンド

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なお、この素材は実話でないという指摘もある。
ハワード・ジンという人が、当時FBIは公民権運動には非協力的で、まったく当てになるような存在ではなかった。現に、ミシシッピーを含む南部における黒人や公民権運動家たちが受けている暴力や不当逮捕などを司法省に何度通報しても、FBIが捜査するようなことはなく、政府が何か動きを見せるのは、テレビが黒人問題を取り上げてアメリカの失態が世界に報じられたときだけだったと言う。
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理解できる指摘である。
映画の中で、白人至上主義団体KKKの指導者の演説を興味深く聴いた。
白人と黒人が交わってどちらでもない人間をつくるのは犯罪である。どちらの人種もないがしろにしてしまう。これは阻止しなければならぬ。
この論調にはあるていど筋が通っていて厄介である。
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われわれは敗戦で民主主義の国となり、人種差別反対などと気安く言う。そのときわれわれ日本人はほかの人種と生息の場所を共有していない。まず単一の人種で生きているといっていい。いわば対岸の火事を見て安全なところに身を確保したうえで理想論を述べることが多い。
十余年前、インドを旅した。北部のデリーやベナレスで人を見て彼らを怖いとは思わなかったが南部のチェンマイ(マドラス)へ行ったとき当地の人々の顔の黒さに驚いた。テレビで黒人は見ていたがナマで見るそこの人々の顔はコールタールを塗ったようであった。
連れが予約していた宿の主を怖がって違うホテルへ移る、おカネなら出すと言い張った。世界史を勉強し教養のある連れであったがぼくの説得を聞き入れなかった。
近所にインドカレーの店がありよく行くがそこのコックも真っ黒。中にぎょろ目が動いて最初、不気味であった。
人はやたすく人種差別反対のよう聞こえのいいスローガンを掲げるが実際はそう簡単ではない。
この映画は見る人おのおのの心の深層に差別意識はほんとうにないのか追及してくる。
しかと受け止めるべき内容である。


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