天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

清原に酷い執行猶予

2016-06-01 03:46:13 | 世相


清原和博に懲役2年6月、執行猶予4年が言い渡された。

ぼくはこの判決を憂慮する。
なぜ執行猶予4年をつけたのか。即収監して2年6月服役させるほうが本人のためになるのではないか。
意思の弱い男を娑婆に放り出すと再び同じことに手を出す可能性がはなはだ高い。
収監することで彼の人間関係を小さく地味にすることこそ更生の基礎ではなかろうか。

娑婆に出た清原に適切な更生プログラムやそれを施す専門的施設などが用意されているのだろうか。
佐々木さんとかほかの元プロ野球の友人たちが好意で世話するといっても限界があろう。またそういった旧知の人々と関わって彼の心は逆に卑屈にならないのか。そういったことのすべてがちやほやすることでありそれが彼を増長させたという見方もできる。まわりに人が群がると大きく見せたがる男なのだ。

アル中地獄から生還した男を知っている。ぼくの務めた会社の上司でいま75歳。
彼はぴたっと酒を断ってもう10年になる。彼は「一滴飲んだら死ぬだろう」と笑ってぼくに話した。
彼を支えたのは4番目の妻であった。前の妻たちは酔った彼に殴る蹴るの暴行を受け耐えられなくなって去って行った。
最後の妻は気丈で「あなたと付き合った3人の人たちは結局役に立たなかったわね」とときに皮肉をいうこともあるらしい。
この愛情深い妻と彼自身の努力(断酒の会に通いその幹事を務めるなど)がミックスして彼をどん底から引き上げた。
犯罪から立ち直ろうとする男には妻が必要である。女ではだめ。戸籍を入れていいという女である。
しかし清原に心底支えてくれる妻がいるか。

清原にいま必要なことは毬藻のように社会の底に沈むことではないのか。
だいたい保釈金を払って出たときから覚悟をない。そういう特典を利用できるのは金のある一部の人である。俺はそういう一部の人間なんだという奢りを清原に感じた。
あらゆる奢りや見栄を断つことが更生につながる。

いちばんいいのは即監獄に入って娑婆との接触を断つことではないのか。監獄がいちばん優秀で現実的な更生システムである。
監獄の中の地味な人間関係のなかで静かな暮らしを繰り返すことで自分が見えてくる。自分を井戸を掘るようにして見ることがすごく大切。
社会は国家権力は司法は個人に対して応対が雑である。
市民が裁判官をつとめるのなら(清原の案件が裁判官裁判であったかどうか知らぬが)杓子定規の法の適用を越えた執行猶予なしの判決が出てもいいのにそうはならなかった。

司法が迷える子羊にさらに負荷をかけて犯罪をまた犯させるような印象である。
監獄で静かに過ごす時間を清原から奪ったことがあとでどう出るか、とても心配である。
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1 コメント

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Unknown (千乃里子)
2016-06-01 20:57:52
全く同感です。
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