朝、長靴を履いて「ほまち畑」に繰り出した。畑といっても黒鐘公園西のはての根岸病院の敷地に隣接する荒蕪地である。笹と蕗と灌木が争っていて今年は笹を刈ってないのでこれが優勢。
劣勢の蕗だが花を42個も出していた。重さはそうないが壮観。
黒鐘公園西のはての荒蕪地
今日はこれを天ぷらにするのがテーマ。油を買ってきて鍋で煮ていると、アパートの補修に来ている青年(作業員)が管理人室にきて見られた。トイレが管理人室にしかないのである。彼は青森の出身でふきのとうを見て故郷を思い出し、東京の管理人にやけに野生があるのに驚いたようだ。
これぞ天然食材
天ぷらは生れてはじめてやる。
天ぷらをするのを今年のテーマにしている。手始めは、ふきのとう。これが出るのをずうっと待っていた。天ぷらは妻から禁じられている。台所を油で汚すのを警戒し、夫に朝食・昼食ほか夕食の準備も任せていながら天ぷらは許されていない。
けれど春から初夏にかけて出るあまたの山菜、野草など食べるのに天ぷらは絶好の料理法。これなくして野生を食べることはできない。
家の台所でなければいいわけでアパートの管理人室での天ぷらを去年の暮から考えていた。
天ぷらはむつかしかった。
ふきのとうが油でべちゃべちゃになった。おまけに辺りが油で汚れ紙を何枚も使った。妻が天ぷらを許さない理由もよくわかった。
けれどこれからである。俳句よりむつかしい天ぷらをどんどんやる。俳句と一緒でやらなければ成長しない。
天ぷらは小学校で教えてもいい科目。むかし、家庭科でチクチク縫うのとボタン付けを習った。これは今役だっている。家庭科という科目はもっと重視してよく、とくに料理には力入れるべき。まあ家庭科でやるより家庭でやるべきで、女の子・男の子という区別なしで特に天ぷらは習得させるべきだろう。野のものを食うのに必須である。
天ぷらにより食えるものはぐんと広がる。それは視界が広がり自由になることである。
本日の昼食。左は胡桃かけ豆入り玄米。あまったふきのとうは夜も食べる
一碗に野の香を散らすふきのたう
火力の問題かもしれません。さて、どうするか。