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天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

ジェイクとシャリース~僕は歌姫だった~

2021-02-15 06:50:46 | アート

歌姫であった時代


きのう、ふとテレビをつけるとそれに目が釘付けとなった。NHKドキュメンタリーセレクション「ジェイクとシャリース~僕は歌姫だった~」(17:00 ~ 18:00)である。

【番組概要】

アーティストのAIがお薦めのドキュメンタリー番組を紹介する。トランスジェンダー男性であることを公表し、ゼロからの再出発を決意したフィリピンの国民的スターを追う。
【番組詳細】
フィリピンの貧しい家庭からアメリカンドリームをつかんだ少女シャリース。アジア人アーティストで初となるビルボード・アルバムトップ10入りから7年後、自らの性自認が“男”であること、つまりトランスジェンダー男性であると公表した。「ジェイク」と名前を改め、シャリースとしての名声も歌声も捨てての再出発。自分の本当の声を見つけるまでの等身大の姿を追う。エピローグでは、AIとジェイクのアフタートークも!

フィリピンの美空ひばりかH・ヒューストンか、というくらい歌のうまい少女が出る。家が貧乏ゆえろくに学校も行かず賞金の出る歌のコンクールに出まくって稼ぐ。
やがて名が知られ彼女はアメリカでデビューするに至る。このときすばらしい女性と感じる年ごろになっていて、胸の谷間を感じさせたり、身体の線を強調するものを着るようになる。歌がうまいと身体全体をキュートに魅力的に見せるものだなあと痛感する。
われわれの思惑と異なりこのころから“彼”は、息苦しさを感じていたようだ。「整えらえた場所で別の人が成功するのを見ているようであった」と述懐する。

それで自分の自認する性である男へ舵を切る。乳房を切除して男性ホルモンを定期的に注射して身体つきから男と思われる風貌を得ていく。自分をあるがままに見てくれた父を幼少のころ亡くしたこと。母が自分を同性愛者であることを認めない頑固さに彼は悩む。
母が娘を同性愛者であるといい本人もそれを認めているが、ぼくはそのニュアンスは違うのではないかと感じた。
自分が自分を男と認識しているのなら女性と愛し合うのは同性愛ではなく異性愛ではないか。ここはジェイクに質してもいいし教えてもいいところではなかったか。そこだけ製作者の詰めが甘かったように思ったがほかは構成もよく文句なく出来であった。

記者会見でジェイクは根堀り葉掘り記者たちの質問攻めに遭うが笑顔を絶やさず、「興味を持って聞いてくれて嬉しい」と言うのはさすがであった。トランスジェンダーについてはとにかく当事者が何でも答えないといけない、自分は率先して話す義務がある、という姿勢がさわやかであった。彼は内面のやわらかいものを守るために鋼鉄の鎧を身につけて記者たちの質問に応じたのであろう。強靭な意思を感じたが答えはソフトですばらしかった。
ジェイクがさらに賢明と思ったのは、彼が乳房を切除しただけでおそらく股間にメスを入れなかったことである。これは報道されなかったが性器形成みたいなことをしていないと感じた。そこへ踏み込んでも自分を傷つけるだけで空しくなる。それをわかっている感じがした。


自分の求める自分になったジェイク

シャリースとジェイクの場合、【間性(半陰陽)】なのだろう。広辞苑はこれを、
「雌雄の中間的性質を示す生物個体。雌雄いずれかのかたよりがある場合には雌間性、雄間性とよばれる。性染色体と常染色体との量的関係や内分泌の異常などが原因」と解説する。

その心理を匹夫は想像するのみだが、天気雨みたいなものなのか。ジェイクがシャリースであったころ、まわりから「よい雨ですね」と言われ続けたのだろう。しかし自分の心中は「晴れだよ、太陽が出ているでしょ」と言いたかったのかもしれない。しかし人にはジェイクの周りに雨がしかと見えている。
ならば自分で雨の部分を消して晴にするしかない。
自然の場合それはかなりむつかしいが、間性の場合、自分が決断することで打開できる社会的な事象であることをジェイクは身をもって示したと思った。


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