天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

心して下れバイデンさん

2024-07-21 05:19:59 | 身辺雑記
     
       生死の際に挑んだ竹内洋岳さんの集大成


アメリカ大統領選、現職のバイデン大統領への風当たりが強くなっている。
選挙戦撤退を勧める声が民主党支持者からも上がり、当人もそれに何らかの答えを出さなけければならぬ状況となっている。
人の名前を言い違えるなどの記憶障害を指摘されているが、何よりも老いを感じさせたのがタラップなど階段を降りるとき、バランスを崩してふらついたことである。
小生は「茄子の花老人しやしやり出るべからず」と自戒の句を書いたが、これをバイデンさんと共有したい気持ちである。

年を取っていちばん衰えが顕著に出るのが下るときである。
先日久しぶりに高尾山へ登った。あそこはケーブルカーがあるので下山にそれを使おうかという気に一瞬なった。
けれどそれに乗ると速く下ってしまう。するとものを見る時間が激減する。目的は俳句を書くことだったのでそれはよくないと思い、足を使って降りた。俳句を書くことは歩くことである。乗り物の移動はだめなのだ。
そのとき下山は怖いと再確認した。
踏み外すと転倒、転落が待っている。若いころ、3000m級の山をしょっちゅう歩いていたときから下山は嫌である。
藪沢小屋に勤務していたとき夏山の終わりにそこで使った毛布を標高500m下の長衛小屋に下す。その荷は頭にかぶさるほどの量。毛布と共に下るのはとても嫌だった。反対にそれを担いで登るほうがよかった。重いものを担いで登ると喘ぐが転倒の危険はほぼない。転んでも近くが地表であるから手をつけばいい。
けれど下山は前が空間なのだ。足がもつれると体が飛んでしまう空間なのだ。

8000m級の世界の高山を極めた猛者で下山に転倒して死亡した人はたくさんいる。
峰を極めたあと栄光を娑婆へ持ち帰ることができずに死ぬ登山家が大勢いる。遺体が発見できない場合もある。
竹内洋岳氏の『下山の哲学』を読んだときこの人のスタンスに共鳴した。サブタイトルの「登るために下る」に込められた思いに打たれた。彼は世界にある8000メートル峰全14座の日本人唯一の登頂者。14座成し遂げた人は世界に29人しかおらず、その1人である。
ヒマラヤ8000m峰14座完全登頂とは、14の山すべての頂から無事に下ってくるということ。「生きて還ってこなければ、下山しなければ、登山ではない」とつねづね語り、それを実現してきた竹内さんの哲学に心酔したのである。

先日の高尾山で下山は怖かったが捻挫せず下りることができた。これは大いなる自信となった。
前日、前々日、かなり運動量をこなしていた。休んだほうがいいかと思った日に足が動いたことも自信となった。今まで下山で転倒したことはない。
転倒する日まで高尾山は遊べる。自分を過信しないが踏ん張りが利くのはうれしいことである。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 湘子『黑』 7月中旬を読む | トップ | 夏を寿ぐ緑たち »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (サチ)
2024-07-21 09:26:39
サチです。

ごめんなさい。家にはパソコンが無くスマホもメールが送信も出来なくて
なので昨日の返信をコチラで書きます。

私は山の初心者で3千メートル級の北岳を登るのは無理でした。

そこで特訓が開始。高尾山や大山など色々と登りトレーニングして無事に北岳を登りました。

北岳のバットレスが感動しました。

北岳の俳句を沢山つくり私に見せてくれました。
返信する

コメントを投稿

身辺雑記」カテゴリの最新記事