天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

動詞活用の名手小川軽舟

2018-05-24 13:49:04 | 俳句


5月17日の読売新聞に出た「週間新潮」広告に、
「同僚の女児を抱いた小林遼倒錯の芽生え」という文言があった。
この「芽生え」の意味を広辞苑で調べると、①芽が出はじめること。また、その芽。②種子から生えたこと。また、その草木。③物事の起り始め。きざし。
とある。

俳句において動詞は厄介な品詞である。1句に多用するとずぶずぶの腑抜けになって俳句の態を成さなくなる。よって初心者に「1句1動詞」というわかりやすい言い方で多用をいさめている。
小生が監督しているひこばえ句会で気づくことは、事態や物を写し取るという基礎において、動詞を誤って使ったり現状からほと遠い使い方が跡を絶たないということ。

「週間新潮」の「芽生え」は③物事の起り始め。きざし、であり、これは①の転用といえる。
動詞の多くは「芽生え」ように一つが多くの意味を有することが多い。
原義①から意味が派生していることが多く、②③を小生は原義からの「転用」と考えている。
このように多彩な意味を持つ動詞の使い方を初心者はムードで使ってわけのわからぬ一句にすることが多いのである。

そこで今回は、小川軽舟鷹主宰の動詞の使い方に着目して、動詞を見ていきたい。

【原義に忠実な使用例】
1)年の市煙を昇る火の粉疾し
2)寝袋に体温満ちぬ冬銀河
3)ソーダ水方程式を濡らしけり
4)肘あげて能面つけぬ秋の風
5)一つ抜いて箸立ゆるぶ木の芽和
6)偶数は必ず割れて春かもめ
7)八朔や太鼓うながす巫女の鈴


1)の「昇る」はほかに代る動詞がなく事態にジャストフィットしている。この句は席題でできたがそこにいた湘子が「よく見ている」と褒めたそうだ。作者は見ているもないのだがといいつつ、どこかでものをきちんと見ることの大切さに言及している。
そう、原義に忠実の中身は物をよく見るということに通じる。写し取ることに特化した動詞の使い方ということになる。
見る力と動詞の正しい使い方は結びついている。見る力がついていくと写し取る動詞を選択する力もついてくるのだろう。
2)の「満ちぬ」、3)の「濡らしけり」、いずれもほかの動詞と置き換えがむずかしい。つまり事態をよく移しているのである。
4)「肘あげて能面つけぬ」もまさに見える動詞の使い方である。
5)「一つ抜いて箸立ゆるぶ」は実感して誰しもが納得できる光景であろう。
6)「割れて」は可視的な光景ではないが分数の概念でありついていける動詞である。

7)の「うながす」だけがやや異なる。
ここに動詞の意味の転用はないが擬人化がある。したがって、巫女の鈴が太鼓に打つようにけしかけることはしないよ、という天邪鬼が出てきても不思議はない。それは承知のうえ、意味的には「うながす」の原義で行こうとする作者の意図が見て取れるのである。
この句群は藤田湘子が褒めた的確な描写力が前面に出たものである。
こういう句をよく読んで覚えるように小生は指導する。

【原義から転用した例】
次に挙げる動詞は明らかに原義を踏み越えて転用して味を出した句群である。
8)元日や乳に酔ひたる赤ん坊
9)闇鞣す水ゆたかなり蛍狩
10)火にかざす新海苔に色萌ゆるなり
11)かじりたる渋柿舌を棒にせり
12)覚めてなほ耳眠りをり春の雪
13)撞球に時間饐えたり木の葉髪
14)春の暮この世の時間沖積す


8)の「酔ひたる」のもとは酒であるが「乳に酔ひたる」と転用。9)の「鞣す」はもともと毛皮の毛と脂を除いてやわらかくすること。10)の「萌ゆる」は週間新潮と同じ転用例である。
11)の「棒にせり」は比喩の色合いが濃く、12)の「耳眠りをり」は睡眠からそうとう離れた使い方。13)14)のように「時間」と動詞を合すとその内容はがぜん抽象化する。
鷹主宰は動詞を原義で使うことも、転用することも巧みである。

13)14)のような抽象化は一句にカクテルのごとき複雑な味わいをもたらすが、小生はこれに用心深く距離を置いてみる。
自分自身が不得手な領域であるとともに、ひこばえの諸君もこの技を使いこなせないとみている。年季と器量が必要なのである。いいかげんな気持で手を出すと火傷する。
鷹主宰の模倣ならたいてい失敗するであろう。

15)雪女鉄瓶の湯の練れてきし
この句の「練れてきし」はかなり慣用的に使われている。つまり動詞は慣用的に使われることで原義から意味が転じていく傾向がある。
「練る」には「やわらかくする」の意があるが、水などいくら沸騰してもそう変わらないだろう。温泉を板で搔き混ぜるのであれば原義に近いが、「湯の練れてきし」は転用である。9)「闇鞣す」と似ているがそれよりは原義に近い。そして季語とあいまっていい味を出している。

鷹主宰の動詞使いの豊穣さが理解できるだろう。
原義で使うストレートがよく走るうえに変化球は予測不能の動きをして、読み手を籠絡したり楽しませたりする。
さて次の3句だが、これは簡単にグループ分けできない複雑なケースである。

16)傘させば雨音寄りぬ神の留守
17)岩山の岩押しあへる朧かな
18)道ばたは道をはげまし立葵


16)の「傘させば」は原義で「雨音寄りぬ」も表向きは原義。ただし雨音が寄るというのは感覚である。主宰をはじめ何人かしか感じない世界かもしれない。
17)の「岩押しあへる」は原義に忠実ともいえるが世界の内部での事象である。可視的な世界でなくこれは小川の洞察力が掴み取った動詞である。ぼくはこの句は彼の数少ないアニミズムの世界だと思う。
18)の「道をはげまし」は岩の中でのことではなく、可視的な世界でのできごと。できごととはいうものの、実は何も起きていない。
ただ道がある。道には当然、道ばたがある。その関係に作者は情をたっぷり注ぎかけている。そこから「はげまし」をアガルガムのように創り出している。
18)は今回挙げた中でもっとも小川軽舟の個性を出しているのではないか。彼以外たぶん誰もこの世界でこの動詞を使えないと思う。

小川軽舟は卓越した錬金術師であり、動詞に情を込めて転化する名手といえる。



(この一文は、来る6月9日のひこばえ句会での講義用のレジュメとして書いた。当日はもう少しこまかく解説する予定)
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3 コメント

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傘させば雨音寄りぬ神の留守「」 (TUKI)
2018-05-26 03:50:20
「雨音寄りぬ」は、雨音が近くなったということだと思うのですが、傘をさすまでは地面に跳ねる音であったり、屋根を打つ音であったりした雨音が、傘をさすことで傘に落ちる音として、我が身に近づいたという、極めて素直な感覚だと思うのですが。

追伸。本日はKBJに初めて行き、和風ハンバーグランチを食べました。写真で想像したとおり、美味しかった!
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そう素直じゃないよ (わたる)
2018-05-26 16:08:59
雨音なんて寄らないんだよ。そこで音を立てているだけさ。地面と傘とそんなに距離は変わらないよ。
感覚ではあるがそう素直でもない味付けがすでにある。
この事態に情をそうとうまぶしている。さらに擬人化している。動詞のそういうことに気づいて分析すrことで、作者の情の種類、また入れ方がわかる。
動詞は形容詞よりも情を入れ込むのに使い勝手のいい品詞なのだ。そのことを鷹主宰は熟知している。

KBJへのご来店、ありがとう。
返信する
プリントアウト (松東みどり)
2018-06-01 14:28:56
こんにちは。
この日のブログはプリントアウトして勉強しています。
ありがとうございます。
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