北小金探訪

江戸川の支流の坂川とその支流である富士川を中心とした日々の風景

一月寺

2009年03月22日 | 名所
虚無僧(こむそう)」はご存知だろう。籠のような深編笠を被り尺八を吹く僧侶のことだ。

虚無僧は、普化宗という禅宗の僧侶のこと。
この普化宗の総本山のひとつ「金竜山一月寺」が、小金宿にあった。





この普化宗は宗教的観点からすると、宗派の体をなしていないこともあり、宗派として認めない説がある。
ということもあるが、幕府からは一宗派として公認された存在だった。

一時はかなりの勢力を誇っていたようだ。こんなエピソードがある。
水戸街道沿いにあるので水戸藩の大名行列は一月寺の前を通っていた。その際、一月寺の樹木の枝が長槍の邪魔になるので、伐るように申し入れたところ、一月寺側から「槍をねかせればよかろう」と拒否されたため、水戸藩側が一月寺の前を迂回したという。

江戸期の普化宗は、檀家を持たず、法事などもしなかった。虚無僧は托鉢で生活していたらしい。一月寺は、虚無僧になりたい者から公認料をとったり、虚無僧の道具一式を販売することで収入を得ていたらしい。

ただし、宗派の体をなしていないという指摘があるとおり、事実上、誰でも虚無僧になりえた結果、庶民に喜捨を強要する無頼の輩も珍しくなかった。
こうした苦情に対して一月寺は取締りを行ったが、その際に取締り料を受け取っていた。そうなると今度は取締りを擬して取締り料を騙し取る者が現れたりして、問題がなくなることはなかった。
また、「仙石騒動」の関係者が虚無僧として潜伏するなど、犯罪者の隠れ蓑になることもあった。
こうしたことから、明治になると普化宗は禁止された。

実は、一月寺はいまも同じ場所にある。
しかし、昭和になって一月寺は日蓮正宗に改宗し、現在に至っている。
今の一月寺は普化宗とは無関係だ。


(ezk)


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