北小金探訪

江戸川の支流の坂川とその支流である富士川を中心とした日々の風景

幸田貝塚

2009年04月19日 | 名所
小金は、下総台地の北西端にある。
台地の間に、谷津と呼ばれる低地がある。高低差は十メートル前後。


縄文時代の前期(6000年以上前)にはここまで海が入り込んでいて、谷津は入り江だった。旧東京湾の一部だった。
坂川や富士川も海の下だった。縄文時代には、こうした海に近い環境に人は住んでいた。


北小金には、縄文人の集落だった貝塚がいくつもある。
なかでも坂川に隣接する幸田貝塚(こうでかいづか)は関東有数の大きな集落だ。

いまは公園になっている。


北小金周辺には縄文から古墳時代の遺跡が十数箇所見つかっている。

畑にも貝塚の貝と思われる白いものが点在している。



ちなみに「幸田」と書いて「こうで」とよむ。
もとはこの地は「荒田(こうでん)」といわれていたが、印象が悪いので漢字を「幸田」に変更したらしい。
そして最後の「ん」がいつの間にか抜けてしまったようだ。
閑話休題。

こうした地形は、縄文の頃から住宅開発が盛んになる昭和30年代半ばまで、ほとんどかわらなかったらしい。
台地は自然の砦となり谷津は自然の堀となる。
この地形をいかし、戦国時代には平城があちこちにつくられた。小金周辺で知られている城跡は約10箇所ある。
この幸田貝塚近辺にも城があったらしい。いまや城があったであろう台地には住宅が並ぶ。


貝塚と城跡。小金の歴史を語る上で欠かせない要素だ。


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