ナツミカン(夏蜜柑)の実である。
近所にはナツミカンを植えているお宅が結構ある。
食用目的ではなく、観賞用なのだろう。
大概、実は採られずに木についたまま、放置されているような状況だ。
うちにはナツミカンはないんで、味の方は分からない。
手入れもされていないようなので、酸味だけで甘みはあまりないのかも。
父の実家の庭に、やはり放置状態のナツミカンがあって、落ちたのを食べたらそんなだったもの。
いつまで経っても木になっている実を見るたび、勿体ないなあと感じている。
今日も朝からいい天気。
昨日、一昨日は車のフロントガラスに、うっすら氷がはっていたが、それもなし。
日中も10度にはなったようで、暖かであったのだろう。
でも、午後には風が吹き始めたので、また肌寒くなっていたが。
昨日の朝、喉の痛みが治まって、早寝の効果が出たかと喜んでいたが、夜になってまた痛み出しであった。
今朝も似たような感じで、早寝の効果はあるのだろうけど、完治ではないのがもどかしい。
風邪薬を飲んでおとなしくしているしかないのがねえ。
でも、朝は調子が良かったので、水戸の植物園まで行こうかとも考えていた。
結局、諦めたのは、完治に向かっているのであろう状況なのに、悪化させるのもバカらしかったから。
で、たまりこんでいた娘のプリントやテスト、切り取った新聞などの整理をしていた。
小学校は毎日のようにプリント類を持ち帰るので、気がつくととんでもない量になってしまう。
ほとんどのお宅は、国語や数学の丸がついたプリントは、確認したら処分しているみたい。
私は学科ごとにファイリングしている。
それで、たまに過去のプリントが必要になると、コピーとらせてと頼まれることもある。
部屋が散らからないようにするには、それがいちばんいいのかもしれんなあ。
切り取っていた新聞記事に、キラキラネームのがあった。
息子の頃にはまだ珍しい、だったが、最近は当たり前なだけでなく、凄まじいようで。
マリアやマリン、キララなども、初めて聞いた時は「え?」だったけど、今じゃおとなしい部類だ。
娘の学校には奇抜な名の子はいないけれど、漢字表記をそのまま読めない子はクラスにもいる。
最近は、例えば漢字二文字の片割れだけでそう読めるのに、わざわざもう一字くっつけるのも流行りらしい。
「碧」だけで「あおい」と読めるが、「碧海」「碧空」で「あおい」と読ませるといった感じか。
「詩」「美音」「紅葉」「翔馬」「天愛羅」「黄熊」
これ、読めるかね?
「ぽえむ」「りずむ/めろでぃ」「めいぷる」「ぺがさす」「てぃあら」「ぷう」
順番にこうである。
黄熊をぷうと呼ぶのは、クマのプーさんからだよなあ、と思うと頭痛である。
そういえば「光宙」でピカチュウとかもあったような記憶がある。
息子は「天愛羅」は一文字変えると「天麩羅」だよなあと、笑っていた。
正直、親は子供が大きくなることを全く想定せずにつけているなあと、記事で並んだ名前を見て感じる。
小さい頃は「てぃあら」ちゃんや「めろでぃ」ちゃんは可愛いだろう。
でも「てぃあら」ちゃんも「めろでぃ」ちゃんも、いつまでも小さなお嬢様ではないのだ。
やがては、50、60のおばさんになるんだよ。
自分の親がそういう名前だったらどうか。
そう考えれば、名付けも慎重になると思うんだが、今の親はそうではないようだねえ。
私は絶対に、親がそういう名だったら、恥ずかしくてしょうがないよ。
かつて「悪魔」という名を申請しようとして、役所で止められた話があった。
が、今のキラキラネームを見る限りでは、まだ「悪魔」の方がかわいいと感じたりもする。
他所の国の言葉で気が利いたものを付けようとしているなら、日本語だとどういう意味になるのかも考えてほしい。
差別用語など、明らかに後々いじめの火種になりそうな名をつけられた子が可哀想だ。