kimitsuku独り言

日々の暮らしから感じたあれこれを
ひとりブツブツ独り言

一瞬を切り撮る

2010年11月30日 | 日記
         
 今日から12月、早くも2010年を振り返る、『流行語大賞』が決まったよう。
残念ながら『ゲゲゲの~』や『AKB48』には、興味が無いのでパス。
 それより東京写真記者協会が選んだ、『2010年の最も優れた報道写真』
スポーツ部門賞の写真を見て、「やっぱりあれかぁ…」と、快哉を叫んだ。
W杯2010大会の準々決勝ウルグアイ対ガーナ戦、ガーナの得点を防ぐ為
思わず手を出してしまったウルグアイの2選手、『鉄壁の2枚ブロック』だって。
あの試合はこの反則が無ければ、ガーナチームの勝利が濃厚だったかも。
ペナルティを取られたスアレス選手は、ウルグアイの負けを覚悟してベンチに
戻ったが、何とガーナ選手がFKを失敗し試合はPK戦に…。
この際のウルグアイ監督のコメントが、良かったわねぇ。
「目の前にボールが来たら、止めようとするのが選手だ」と、スアレスを庇った。
結果ウルグアイは世界ベスト4に、7試合5得点のフォルランはMVPに輝いた。
    
   
  一瞬を切り撮るカメラ技術ではあるけれど…。
今朝のNHK・TVで、高性能小型カメラを話題に取り上げていた。ペンシル型
腕時計型は知っていたが、最近は眼鏡やネクタイにカメラ機能を付けたものも
あるそうな…、まるでスパイ映画みたいな話
 街角でインタビューを受けた若い女性たちは、盗撮された経験があると答え
「そんなカメラは売って欲しくない」と、抗議していた。
 スカートの中を盗撮される心配のないkimitsukuも、何処で誰が何を写そうと
しているのか、不快&不安&不審を覚えずにいられない。
どうやら科学技術の発展は、一方で人間不信の大きな遠因になっているらしい。
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京都南座の吉例顔見世興行

2010年11月30日 | 日記
      
 京都に師走の訪れを告げる、吉例顔見世興行。
このところマスコミを賑わせている市川海老蔵の“まねき”は
そのままに、今日から恒例の年末顔見世興行が始まった。
海老蔵は、かなりの怪我らしく南座の舞台には代役が立つ。
 海老蔵が勤める筈だった舞踊劇『阿国歌舞伎夢華』の伊達男
名古屋山三には、片岡仁左衛門が出演することになり、思いも
かけず“孝玉コンビ”が復活して、昨年公演の再現となった。
2007年夏、これまた怪我のため途中降板した『女殺し油地獄』の
ピンチヒッターも、仁左衛門でしたよねぇ。
 もう一つの出し物『外郎売』は、片岡愛之助が勤めるとか。
幾ら急な代役とは言え、市川家の演目を愛之助が演じるとは…。
伝統を重んじる歌舞伎界に、実力主義の新風は吹くだろうか。
       
 歌舞伎界の人気スター海老蔵に、何があったのやら知らないが
今回の不祥事を肝に銘じ、ホンモノの役者に成長して欲しいもの。
『いよっ成田屋ぁ』、しっかりお願いしますよぉ~
 
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札幌ホワイト・イルミネーション

2010年11月29日 | 日記
          
      冬の札幌の夜を彩る、ホワイト・イルミネーション。
     降り積もる雪が、いっそう幻想的な光景を引き立てます。
     1981年から始まった冬のイベントは、現在37,000個余の
     電飾に煌くファンタジーワールドを、楽しませてくれます。
     2010年も残り1ヶ月、灯りが美しく瞬く夕刻どきに、ふと
     頭をよぎる、葉 祥明氏の詩。
       忘れかけた何かを思い出させる、小さな宝石のような詩。
     
     前に進みなさい! 
     人生を振り返るのは 過去に浸るためでなく 未来を見透すため
     立ち止まるのは 旅を止めるためでなく 人生の旅を続けるため
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現代への視点2010 ~歴史から学び、伝えるもの~

2010年11月28日 | 日記
       
 H新聞社主催のフォーラム、『現代への視点』を視聴してきた。
~歴史から学び、伝えるもの~と副題が付いており、澤地久枝氏、
姜尚中氏、保坂正康氏の3方がパネリスト。
 澤地氏は「事実の検証からはじまる」と題して、昭和6年の満州事変
からミッドウェー海戦、太平洋戦争へと続いた歴史を読み解き、未来は
過去の中にある…の言葉を引用して、歴史を知ること・検証することを
提言された。この夏は体調を崩していたそうだが、メリハリのある力強い
口調で、聴衆の心を掴んでいた。
 姜氏の講演は、「韓国併合で日本は何を失ったか」。
在日二世であり政治学者でもある氏は、韓国併合100年の今、朝鮮半島で
起きている紛争をひも解き、日本がかつてドイツが行なったような東西の
架け橋になれたら…と、夢を語っていた。現在、韓国は北朝鮮に砲撃され
アメリカと共同で軍事訓練を行なっている。東アジアの平和の為に日本が
出来ることは何か…、虹を架けるとは…と、課題を示された。
 保坂氏は「今、歴史から何を学ぶか」と題して、日本近代史を解説した。
昭和の時代は、『教育・治安維持・情報の一元化・暴力』の四つの壁に囲まれ、
人間が益々矮小化していったと話された。過去の歴史から何を学び、未来へ
伝えるべきか、一人ひとりが考えて欲しいとも…。
 会場は中高年の男女で満員、熱心にメモを取りつつ聞き入っていた。
私はどういう訳か昔から歴史が好きだったが、考えてみると学校の授業で日本
近代史は出てこなかった。その評価が難しいという事情もあったのだろう。
「未来は過去の中に在る」。久し振りに真摯な歴史観を聴いて大きな感銘を受けた。

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映画 『アラビアのロレンス』

2010年11月27日 | 日記
       
                
 昨日の『晩年の美学を求めて』に登場した、“アラビアのロレンス”を、もう少し。
トーマス・E・ロレンスは、オスマン帝国に支配されていたアラブを解放するために
尽力したが、結果として母国イギリスからもアラブからも毀誉褒貶の評価をされた
実在のイギリス陸軍将校であり、考古学者。
そのロレンスの栄光と挫折を描いた、1962年製作の映画『アラビアのロレンス』は
映画ファンのkimitsuku一押し、世界映画史上に輝く壮大で美しい映画だった。
広漠と続く白い砂漠の美しさ、地平線から蜃気楼のように現れる黒い人物、鉄道を
爆破するスペクタルシーン、駱駝の大軍を率いて砂漠を往くロレンスとアラブ族など
印象的なシーンの連続。画面を効果的に引き立てる音楽も、素晴らしかった。
      
              
 ロレンスを演じたピーター・オトゥールの好演もあり高い評価を得て、作品賞などの
1962年アカデミー賞7部門に輝いたが、惜しむらくは主演男優賞は『アラバマ物語』
G・ペックに…。確かに『アラバマ物語』は、アメリカの良心を描いた佳作だったが…。
『冬のライオン』、『チップス先生さようなら』など幅広い演技力で何度かアカデミー賞に
ノミネートされたP・オトゥールは、永年の功績を認められ2003年の特別賞に輝いた。
                        
T・E・ロレンスは現在も評価が分かれるらしいが、1935年5月、オートバイ事故で死亡。
46年の波乱に満ちた生涯を終えた。 
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晩年の美学を求めて

2010年11月26日 | 日記
      
                 
 『晩年の美学を求めて』というタイトルに惹かれて、読んでみた
曽野綾子のエッセイ。以前の『戒老録』や『引退しない人生』にも
通じる身辺雑記。著者が70歳を過ぎた頃に書いたエッセイ集で、
「なるほどねぇ』と、頷ける28編から成っていた。
他人の好意にすがらずに生きる。孤独との付き合い方。自律と
自立。分相応を知ること。人生の後始末。晩年と老年…etc
 中でも私が興味を持ったエピソードは、“カプリ島にて”。
1962年、カプリ島を旅行した際に出逢ったイギリス老紳士の話。
かつてイギリスの諜報機関に居たというその老紳士は、アラビア
沙漠で放牧民の衣装を着た白人男性と遭遇したが、とても白人と
思えない荒れた分厚い指の皮膚に驚き、そのまま声を掛けずに
通り過ぎた…。後に、その異様な放牧民が“アラビアのロレンス”
だったことを知ったそう。ロレンスが報告書の中で、この老紳士の
ことを書いていたのである。
旅の行きずりに知った面白い人生が、自分の心を豊かに輝かせる。
多くの人生に立ち会わせて貰ったことは、今でも大事な財産である。
まぁそういったエピソードが書かれていた。
                
 ふいに、自分が出逢った多くの高齢者たちの顔が思い浮かんだ。
明治・大正・昭和・平成の世を、逞しく生き抜いた人々の顔・顔・顔。
長かった一生を物語る、深い皺に刻まれた人々の暮らし・人生・歴史。
高齢者介護に携わった20余年に出逢った多くの人々と、その人生。
私も彼らとの出逢いを財産とし、多くのことを学んでゆきたい。
曽野綾子さんのように、『晩年の美学』を求めて…。
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ジェラール・フィリップ と 三島由紀夫

2010年11月25日 | 日記
      
 永遠の恋人ファンファンこと、フランスの俳優ジェラール・フィリップ。
『肉体の悪魔』、『パルムの僧院』、『花咲ける騎士道』、『夜ごとの美女』
『赤と黒』、『しのび逢い』、『危険な関係』、『モンパルナスの灯』などなど
あぁ懐かしい映画の数々。愛称ファンファンとは、「愛すべき坊や」の意。
フランスのみならず世界中の女性に愛され、一世を風靡した俳優だった。
優美にして繊細、気品に溢れる美貌。ファンファンが活躍したのは1940年
~50年代。その後、アラン・ドロンが世に出て、これまた女性たちを騒がせた。
イケメン好みkimitsukuが思うに、G・フィリップは正真正銘の正統派二枚目。
旧き良き時代のフランス映画界を代表する、華のあるスターであった。
 対してA・ドロンは、類い稀れな美貌の上に野心とバイタリティに満ち満ちた
新しい時代のスターだったと思う。
   
 では三島由紀夫が、日本を代表する二枚目…じゃ、ありません。
『仮面の告白』、『禁色』、『金閣寺』、『潮騒』、『鏡子の家』、『豊穣の海』など
数多くの話題作を著した小説家。『美徳のよろめき』がベストセラーになって、
“よろめきは美徳なり…”と、流行語になったこともあった。
貴族趣味や皇室崇拝を標榜していたが、1970年11月25日、『盾の会』を率いて
自衛隊市ヶ谷駐屯地に篭城、隊員に決起・クーデターを呼びかけた後、自死。
あまりにも衝撃的な出来事で、世の中を震撼とさせた事件であった。
憂国の士・三島らしい、激しくも潔い45年の生涯だった。
                        
 三島に先立つこと11年前の1959年11月25日、愛すべきファンファンが36年の
生涯を終えた。まだ若々しい美貌のまま逝ったファンファンは、いついつまでも
永遠の二枚目として、彼を愛する人々の思い出の中に生き続けている。
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最近の『常用漢字』事情

2010年11月24日 | 日記
           
 『常用漢字』とは、一般社会生活において使用する漢字の目安として
選ばれた1945字をいう。この度の閣議で、新しく196字を追加し5字を
削除すると決定したそう。追加される漢字は、「俺」「柿」「瓦」「熊」「鍋」
「誰」「嵐」「虹」「欝」「彙」などの196字。
高校卒業までに読みに慣れ、主なものを書ければ良いのだそう。
追加された漢字は、パソコンなど情報機器の普及が背景にあるらしく
教育的見地よりも現状追認と考えるべきなのだろう。
逆に、「粋」や「宴」「匠」「館」「雅」等が含まれていないと知り、あらぁ…。
                    
 昔々小学生だった頃、国語の授業で漢字には意味があると習った。
象形文字、川や山や鳥などの文字を例に、漢字の変遷を聞いた。
子供心にも興味深い話だったので、よく覚えている。
 中国を旅行した際に、漢字の国である中国で略字が多いことに驚き
殆ど意味を成さない漢字に、強い違和感を感じたものだった。 
 この度の見直しで、漢字教育がどのように変わるのか不安もあるが、
表意文字の意義を失わず、美しい日本漢字を未来に残したいものと思う。
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樋口一葉 『たけくらべ』

2010年11月23日 | 日記
        
 今日は1896年、若干24歳で亡くなった樋口一葉の忌日。
初めて一葉を知ったのは、中学校の授業で習った『たけくらべ』。
何故はっきり記憶しているかと言うと、学校祭のクラスイベントで
知ったばかりの『たけくらべ』展示コーナーを作ったから…。
鼻緒の切れた信如の下駄、美登利が信如に与えた紅い布切れ、
紙メンコ、造花の水仙など、遊び心でそれらしく展示したのだった。
なかなか面白いアイデアだったでしょ…
東京の下町を背景に、少年少女の淡い恋心を描いた『たけくらべ』は
一葉の瑞々しい文章が生きる、日本近代文学を代表する一冊。
         
 一葉が居住していた台東区竜泉町に建つ、『たけくらべ記念碑』。
森鴎外や幸田露伴に認められるも早世した一葉を偲び、親交のあった
佐佐木信綱が詠んだ二首が、残されている。
         
  紫の 古りし光に たぐへつべし 君ここに住みて そめし筆のあや 
   《 紫式部の昔の輝きに なぞらえても良いであろう、
    一葉君が此処に住んで 筆を染めて著した『たけくらべ』の見事さは 》
  そのかみの 美登利信如らも この園に 来あそぶらむか 月白き夜を
   《 その昔の 『たけくらべ』に登場する美登利や信如たちも
    この公園に来て遊ぶだろうか 月の白い夜に 》
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いい夫婦の日…私が選ぶベストカップル

2010年11月22日 | 日記
        
 11月22日が『いい夫婦の日』に制定されたのは、今から22年前。
『余暇開発センター』なる団体が提唱したらしい。HPを開いてみると
“パートナー・オブ・ザ・イヤー”“川柳コンテスト”などが載っていた。
2010年ベストカップルには、野村克也&沙知代夫妻、佐々木健一&
北斗晶夫妻が選ばれていた。ふぅ~ん、なるほどねぇ…
また今年の川柳No1は、“仲のいい 夫婦が多い 坂の町”ですって。
 
 ところで不肖kimitsukuが選ぶベストカップルは、今は亡きN夫妻。
二人とも脳梗塞のため身体が不自由になり、老人福祉施設で暮らして
おられたが、いつも互いを気遣い助け合って生活されていた。
奥様の車椅子を、言葉が不自由なご主人が押して…介護職員も共に…、
建物内を散歩するのが日課だった。壁に貼られたポスターを見ながら
奥様が話し掛け、ご主人が「うんうん」と応える会話を楽しんでいた。
教職にあったご主人には毎年、多くの教え子から年賀状が届き、それを
二人で読みながら、思い出話を交わしていた様子が忘れられない。
また体調を崩して点滴を受けていた奥様のベッド横で、ご主人が奥様の
やせ細った腕を撫でて労わっていた光景は、未だに脳裏を離れない。
“仲良きことは 美しき哉”という言葉が、ぴったりのご夫妻であった。
 その数年後、前後して亡くなったN夫妻は、今も天国で『いい夫婦』を
続けていることでしょう。
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