kimitsuku独り言

日々の暮らしから感じたあれこれを
ひとりブツブツ独り言

北京~パリ 大陸横断クラシックカーレース

2011年02月28日 | 日記
        
 『北京~パリ 大陸横断クラシックカーレース』が、昨夜NHKで再放送された。
1月に見逃していたので今回はバッチリ予約し、90分間テレビに釘付け状態で
魅入ってしまった。北京~パリ15,000キロを37日間で走破するドキュメンタリー。
このレースの第一回は1907年、今回は2010年9月に開催され98組が参加した。
それぞれ100年近く前のクラシックカーを騙し騙し、北京を出発しモンゴルから
中央アジア、トルコ、イラン、ギリシャ、イタリアを走破しパリの凱旋門を目指す。
過酷なレース期間は、愛車のエンジントラブルや天候など数多のアクシデントに
見舞われ、その度にレース関係者や参加者、土地の人々に助けられ、笑いあり
涙あり、人生は生きるに値する、人間って素晴らしい…と、感動の連続だった。
子育ても終わったし何か挑戦してみたい…イギリス女性二人組、第一回大会で
優勝した超ヴィンテージカーITALAで参加した夫婦、単独バイク参加の還暦男。
 トラックを避けようと急ブレーキを踏んで路肩から落ち、車軸が大きく曲がった
ITALAはリタイアを覚悟したが、イランの修理工場の献身的な働きで元通り…。
パリに辿り着いた時の言葉「私たちって勇敢なのか馬鹿なのか」に、笑いつつ
涙が滲んだ。怖いもの知らずのイギリス女性二人組は、川中で立ち往生したり
トルコ山岳地帯で動かなくなったり、散々トラブルに襲われながらも堂々17位で
フィニッシュ。還暦バイク男性も、数々の苦難の末に無事ゴールイン。
人生は山あり谷あり、しかし果敢にチャレンジすれば道は拓ける…、改めて
そう考えさせられた番組だった。
不肖kimitsuku、まだまだチャレンジ精神を忘れず頑張らなくっちゃネ
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ラジオ深夜便の歌 この5年

2011年02月27日 | 日記
      
 昨夜というか今早朝というか、久し振りに聴いた懐かしい『ラジオ深夜便の歌』。
5年前にスタートした此のコーナーの最初の曲が、加藤登紀子の“檸檬”だった。
ご主人を亡くして暫らく活動停止していたが、NHKの依頼で作詞作曲した一曲。 
    庭に植えた檸檬の木が 少し大きくなって 
    春の風に誘われて 白い花を咲かせた
    いつの間に時が過ぎて いくつ春を数えたのか
    思い出だけがいつまでも 木漏れ日に揺れている
          …中略…
    何ひとつ変らない 何もかもあの日のまま
    ただひとつ貴方がいない それだけが夢のよう
          …後略…
5年前に聴いて胸に沁みた彼女の哀しみと喪失感が、再び心に甦った。
                      
 今までの『ラジオ深夜便の歌』特集として、何週か連続で放送するらしい。 
第1回目は平成18年の曲を取り上げていた。“檸檬”の他に小椋佳“船旅”、
みなみらんぼう“道程”、さだまさし“向日葵の影”などに、胸キュ~ン
歌は世に連れ、世は歌に連れ…その当時のアレコレが思い出されて懐かしい。
あれから、もう5年が過ぎたのネェ。
さて次回は、どんな曲を流してくれるでしょうか。楽しみ楽しみ
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日ハム:オープン戦初戦に勝利

2011年02月26日 | 日記
        
 いよいよ始まったプロ野球オープン戦、日ハムの初戦は昨年の覇者ロッテ。
1ヶ月のキャンプを無事に終えて、若手中心の日ハムメンバーが投打に大活躍。
抑えの中村勝が打ち込まれ9:8と辛勝だったが、まあまあの滑り出しだった。
期待のルーキー斎藤佑樹は、6回表に19球を投げ1安打1四球の無失点。
小谷野のファインプレーにも助けられ笑顔を見せていた。良かった良かった
この後は沖縄で楽天戦、その後は札幌ドームに移動しヤクルトと巨人を相手に
それぞれ二連戦を戦う。暖かい沖縄と違い札幌は寒いよぉ…今日の最高気温は
ー2℃、健康管理に充分気をつけて長いシーズンを乗り越えて欲しい。
今日の試合で鵜久森くんがセンター越えの二塁打 今年は頑張ってよねぇ…。
春の訪れと共に、いろいろ忙しくなるkimitsukuです。
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母 93歳の誕生日

2011年02月25日 | 日記
        
 今日2月25日は、母の93回目の誕生日。大正・昭和・平成の世を、力強く
生きた母も3年前に父を亡くしてから、めっきり老いが目立つようになった。
この2~3年は今回が最後の誕生日かと案じているが、何とか乗り越えてきた。
最近の衰え方をみると、来年は難しいかも知れない。
 先日、腰を痛めて臥せっている母を見舞ったが、体だけでなく気力が萎えて
「早く父さんの所へ行きたい」など、弱音を吐いていた。
今まで病気知らずで健康そのものの母だから、自分のことが思うようにならない
現状が歯痒いのだろう。近頃のことは覚えていられないが、昔の思い出話なら
細かいことまで具体的に記憶しており、生家の親兄弟たちを懐かしく思うよう。
いま母を通して、人が老いることを身近に体験させて貰っている。
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ボブ・ディラン 風に吹かれて

2011年02月23日 | 日記
          
   ボブ・ディラン    風に吹かれて
      壷 斎 散 人   訳詩   

  どれほどの道を歩かねばならぬのか  男と呼ばれるために
  どれほどの鳩は飛び続けねばならぬのか  砂の上で安らげるために
  どれほどの弾が撃たれねばならぬのか  殺戮を止めさせるために
  その答は  風に吹かれて  誰にも掴めない

  どれほど悠久の世紀が流れるのか  山が海となるには
  どれほど人は生きねばならぬのか  本当に自由になるために
  どれほど首を傾げねばならぬのか  何も見ていないというために
  その答は  風に吹かれて  誰にも掴めない

  どれほど人は見上げねばならぬのか  本当の空を見るために
  どれほど多くの耳を持たねばならぬのか 他人の叫びを聞けるために
  どれほど多くの人が死なねばならぬのか  死が無益だと知るために   
  その答は  風に吹かれて  誰にも掴めない

                         

 時代の代弁者と評されるアメリカのアーチスト、BobDylan(ボブ・ディラン)の
代表曲。強烈な反戦歌であり、世界の人々の心を動かし続けている平和への
メッセージソングである。
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『新・風に吹かれて』

2011年02月22日 | 日記
    
 五木寛之の『新・風に吹かれて』を読んでいる。若い頃は『青春の門』や
『朱鷺の墓』などの小説、またエッセイ類も読んでいたが、最近はちょっと
ご無沙汰していた。『新・風に吹かれて』は、2004年から2006年にかけて
書かれたエッセイで、老境を迎えた作者の身辺雑記…でしょうか。
 一読快笑 再読苦笑 可笑しくてやがてジンと胸に来る 五木エッセイの
真骨頂…と帯紙に書かれているが、まさしくその通りの五木語録が並ぶ。
 人が生きていくということは、ゴミの山を作ることだ…と始まる“簡素な生き
方に憧れて”や、中学当時の受験勉強を題材にした“努力が苦手な言い訳”
などは、思わず「そうそう」と共感し嬉しくなるテーマだった。
 ずぅっと以前に、A市の文芸講演会で五木氏の話を聞いたことがあったが、
強く印象に残っているのは、講演の内容より素敵なオー・デ・コロンの香りを
漂わせるお洒落な作家だったってこと…、そして私が勤務していたA市の
図書館に五木寛之文学全集を寄贈してくれたこと。かれこれ35年前の話だ。
 『風に吹かれて』というタイトルは、文壇デビュー当時に発表したエッセイの
タイトルであり、ボブ・ディランの代表曲でもある。いま『風に吹かれて』という
生き方のすすめと題した『新・風に吹かれて』。
座右の書と言うほど大仰な意味では無いが、常に見近かに置いておきたい
一冊と思う。
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ニュースの裏側

2011年02月17日 | 日記
      
 チュニジアから火がついた中東の反政府運動。エジプトでも30年間
政権を握っていたムバラク大統領が辞任して、現在はイラン・リビアに
飛び火したよう。民主化を求める国民運動がアラブ世界を変えようと
している。昨夜のNHKラジオ深夜便:ワールドネットワークは、エジプト
カイロ在住の中野真由美さん。18日間の『エジプト革命』の裏側を報告
していた。TV報道されたタウリール広場の激しいデモは、最初の3日間
そして駱駝に乗った大統領支持派が睨み合った2日間だけで、あとは
平穏な様子だったとのこと。中野さんも広場で友人とデモに参加したが、
身の危険は感じなかったと言う。面白かったのはプラカードに書かれた
エジプト人らしい、ユーモラスなスローガンやシュプレヒコール。
一例として挙げていた「空軍出身のムバラクよ、飛行機の準備は出来た。
今すぐ操縦桿を握って出発しなさい。さようなら」。
「エジプトは今、産みの苦しみを味わっている。もう間もなく新しい命が
誕生するだろう。子供の名前は、“希望”と決まっている」。
女性たちは唇と舌を震わせて歓びを表現し、リズミカルなアラビア語で
シュプレヒコールを叫び続けていた。広場に集まった人々は整然として
おり清掃もきちんと行なわれ、多分TVでは激しい場面ばかり報道され
ただろうが、実はちょっと違っていたのだとのレポートだった。
 確かに報道する側は、どうしてもセンセーショナルな映像を欲しがるし
甚だしい場合には、最初からシナリオめいたものが存在していたりする。
最近のNHKTVでも参加者から苦情が出ているし、以前に私も新聞社の
取材を受けた際、返答を誘導される雰囲気を感じたりした経験がある。
 一方的な報道に惑わされず、ニュースの裏側にも注意を払わなくちゃ…、
中野さんのエジプトレポートから、そんなことを考えさせられた。
八百長は相撲界ばかりじゃ無いってこと…、ご用心ご用心。


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天使の囁き…ダイヤモンドダスト

2011年02月17日 | 日記
      
 1978年の今日、北海道の幌加内町母子里(ほろかない・もしり)で、氷点下
41,2℃の最低気温が記録された。しかし気象庁の公式記録から外れた為、
惜しんだ町内の若者たちを中心に、この日を記念し『天使の囁きを聴く日』と
決めたそう。『天使の囁き』とは、ダイヤモンドダストのこと。
 -10℃以下の厳寒の朝などに、札幌でも観ることがあるダイヤモンドダスト。
空気中の水蒸気が小さな氷の結晶となって舞い落ちるさまは、寒さも忘れて
思わず魅入ってしまう北国の風情詩。誰が名付けたか知らないが、キラキラと
輝く細氷は、まさしくダイヤモンドダスト  名付けた人は余程の詩人でしょう。
                       
 kimitsukuいつも感心するのは、外国映画の邦題に優れたタイトルが多いこと。
だいたい原題は面白味の無いものが多いが、『哀愁』だの『追想』だの『逢引き』
だの、思わせ振りなタイトルに惹かれて観てしまうことが少なくない。
かなり以前は漢字二文字がヒット性あり…と見られていたが、タネが尽きたか
『魅せられて』や『流されて』となり、最近は直訳ものが多くなった…と思う。
 その昔、映画ファンだったkimitsukuも映画館へ足を運ぶ機会が減り、先日観た
『我が心の歌舞伎座』は、いったい何年振りだったのか思い出せない程
わざわざ出掛けるだけの魅力ある作品が無いのか、はたまたkimitsukuの感性
鈍化が問題なのか、単に外出が面倒なのか、慎重に見極める必要あり…
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イタリア版エルビス・プレスリーは70歳!

2011年02月16日 | 日記
    
 昨夜のNHKラジオ深夜便:ワールドネットワークは、イタリアはシエナ在住
大矢アキオさんのレポートだった。いつも軽妙で楽しい話を聞かせてくれる
大矢さん、昨夜の話題は『イタリア版エルビス・プレスリーは70歳』。
 1941年生まれというから今年70歳になるロックンローラー・リトルトニーは、
20歳の時『24,000のキッス』で一躍アイドルスターになった歌手。ギターを抱え
激しく体をくねらせて歌うプレスリーそっくりのパフォーマンスで、若者たちに
絶大な人気があった。その彼が70歳を迎えた現在も、袖にヒラヒラのフリンジが
付いた衣装でTV出演し、衰えることの無いロッカーパワーで歌っているとか…。
 大矢さん曰く「トニーおじさん元気だネェ」と、驚くやら呆れるやらだそう。
『24,000のキッス』は、1961年のイタリア・サンレモ音学際でリトル・トニーが歌い
2位に入賞したカンツォーネ。日本でも藤木孝が歌ってヒットしたっけ。
 …僕は貴方が好っき 好き好き好きのキッス 燃えて重ねるキッス
大矢さんは、イタリア語と日本語の両方で『キッス』と歌う大サービス。
   
 最近のシエナは日中の気温が12℃程で、朝夕は霧が立ち込める季節だそう。
細い通りを往く自動車は視界不良でノロノロ運転、只でさえ渋滞気味のシエナの
旧市街は歩いた方が早い位と、ぼやいていた。
 先日の集まりで昔のアイドルの話が出て、誰かがリトルトニーのファンだったと
白状し、その場に居た皆々で笑い合ったが恐らく全員が若い日を思い出し、嬉し
恥ずかしの青春を回顧したことだろう…とは、大矢さんの分析の言。
 洋の東西を問わず、アイドルに熱を上げ模倣し一体感を楽しむは青春の特権、
いやいや青春時代だけとは限らない、kimitsukuなんぞ未だに…だもんね。
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ナット・キング・コール 思い出の歌声

2011年02月15日 | 日記
        
 『今日は何の日』を見ていて、2月15日はナット・K・コールの命日と知った。
1930~65年代に活躍したアメリカのジャズピアニストであり、ハスキーボイスが
魅力的な歌手だった。遠い記憶を辿ってみると、初めてナッキンコール(愛称)の
歌を知ったのは中1の頃、「ツー・ヤング」と言う曲だった。
何故しっかり覚えているかって、英語の授業で先生に「Too Young」の意味を
尋ねたから…。先生の答は、それだけでは分からないが、Too Young To 何々
…と使い、何々するには若過ぎるの意味と教えられた。
ピンときたkimitsuku、何々はLoveに違いない、恋をするには若過ぎる…ってね。
あの当時の中学1年生としては、かなりオマセでしたねぇ。 
 思い起こせば、あの頃は映画や音楽や書物から多くのことを学んでいた。
映画は叔父が映画館に勤めていたので、いつもフリーパス。アメリカやフランスの
恋愛映画も見たい放題。音楽はラジオL盤アワーを愛聴し、書物は手当たり次第
乱読で、親の目を盗んではアブナイ雑誌も読んでいた。
ナッキンコールは、「ツー・ヤング」の他にも「モナリザ」「キサス・キサス・キサス」
「スターダスト」「スマイル」など、親しみやすい曲がヒットしていた。
 1965年2月15日、ナッキンコールは45歳で亡くなったが、時折り今でも深夜の
ラジオ放送などで、あの温かく艶っぽい歌声を聴かせている。
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