推理小説界の重鎮、短編の名手…佐野洋さん死去
読売新聞 4月28日(日)0時8分配信
短編の名手でコラム「推理日記」でも知られた推理小説界の重鎮、佐野洋(さの・よう、本名・丸山一郎=まるやま・いちろう)さんが27日午後9時25分、川崎市内の病院で肺炎のため死去した。84歳だった。
故人の遺志で葬儀は行わない。後日、お別れの会を開く。
東京都生まれ。東大在学中に、日野啓三さん、大岡信さんらと同人雑誌「現代文学」を創刊。読売新聞地方部時代の1958年、「宝石」「週刊朝日」共同募集の懸賞探偵小説で「銅婚式」が2位入選。59年、長編第1作「一本の鉛」で作家専業に。日本推理作家協会賞の「華麗なる醜聞」など、スマートで技巧的な推理小説で、人気作家となった。作品は短編だけでも1000作を超える。
73~79年に日本推理作家協会理事長を務めたほか、「小説推理」誌で73年から2012年まで39年間、474回にわたって名物批評コラム「推理日記」を連載。現役作家による推理文壇批評として親しまれ、09年には菊池寛賞を受賞した。死刑廃止運動や辰野事件、布川事件などの冤罪(えんざい)事件にも積極的に関わった。1997年に第1回日本ミステリー文学大賞。
佐野洋は、東大在学中に日野啓三、大岡信らと同人雑誌「現代文学」を作っているが、佐野洋だけはミステリーというか中間小説の分野に入っていった。
読売新聞で記者との二足の草鞋であったが、ほどなく作家専業となっている。
佐野洋というペンネームも「社の用」から来ているというところがニヤっとさせられる。
佐野洋はミステリー界では交流が広く、親玉というか世話役のようなポジションにあった。
また共産党シンパであったとことも有名だ。社会的発言もよくなさっておられた。
膨大な文庫作品が残っているが、それほど派手な作品ではないし、代表作と言われてもちょっと困るところもある。
○○探偵シリーズなどのシリーズ化を基本的には拒否した人だった。
僕の中では、職人気質の短編の名手であり、新幹線の中でどこからでも読めるし、読んだあとも捨ててしまってもかまわない、申し訳ないが、そういう意味で気軽につきあわせていただいた書き手だった・・・合掌!
佐野洋の本名は丸山で、「さのよいよい」から佐野洋にしたそうですね。