映画『UNloved』の万田邦敏監督が殺人犯に共鳴し、心に惹(ひ)かれていく女性の姿をスクリーンに焼き付けた究極の愛の物語。殺人事件を通して出会った死刑囚と平凡な女性、そして弁護士の奇妙な緊張関係をじっくりと映し出す。映画『犬猫』の小池栄子がこれまでのイメージを一新し、ヒロインを鬼気迫る演技で熱演。豊川悦司や仲村トオルらベテラン相手に堂々と渡り合う。一生に一度の愛にすべてを賭ける主人公が選んだ驚きのラストシーンに注目。[もっと詳しく]
孤独な魂たちの奇跡の邂逅に、誰も、立ち入ることは出来ない。
万田邦敏監督の『UNloved』という作品も『ありがとう』という作品も、僕は未見である。
この作品がキネ旬で9位になり、高崎映画祭では最優秀作品賞、主演女優賞、主演男優賞、助演男優賞を総なめしたということも聞き、どんな作品なんだろうと、興味を持った。
ある意味で映画作品の大半は「愛」のかたちを描いている。
その「愛」がどれだけ、異常であろうが、反倫理であろうが、複雑であろうが、凄惨であろうが、表現というのはなんでもありだと僕は思っている。
ただ、単独表現である詩や散文とは異なり、映画というのは集団制作行為であり、観客はある一定の時間、強制させられながら、スクリーンを見続けるという特殊性がある。
映画の観方などというものは、百人百様でいいのかもしれないが、僕にとってはある一定の時間、スクリーンに釘付けになることが出来るか、あるいは緊張をもって(それが軽やかなコメディであろうが)スクリーンに対峙できるかどうかが、映画の評価の分かれ目となっているような気がする。
脚本の構成や、役者の存在感や、美術・小道具・衣裳・メイキャップなどの作りこみや、照明・撮影・サウンドなどの意図や、ポストプロダクションの効果やCGやSFXやの技法や・・・それらが、総合的に組み合わされて作品としての水準を構成したり、あるいはそのなかの一部に夢中で偏差した入り込み方をしようが、どちらにせよ、その密度を感じられるかどうかが、作品水準の分水嶺となっている。
どんなに話題の作品であろうが、また制作予算の多寡ということは関係なく、テレビドラマはそういう風には観ないし、期待もしていない。
『接吻』という作品も、現実世界のリアルとは異なり、映画的世界特有のリアルを、感じられた作品であった。
プロデューサーが与えた命題は「死刑囚との獄中結婚」というテーマ。
そこから、万田邦敏と妻珠美の脚本の共同作業が始まった。
「死刑囚との獄中結婚」・・・もちろん滅多にないわけだが、いくつかの事例はある。
記憶に新しいところで言えば、2001年6月の大阪教育大付属池田小学校で8人の殺傷に至った通り魔的大量殺人事件の宅間死刑囚に対して、支援者の複数が、結婚を申し出て、ひとりと獄中結婚をしている。
当然、万田夫妻も脚本構想過程で、その獄中結婚のケースも頭にはあっただろうが、そういう事例をなぞりたかったわけではないことは、はっきりしている。
宅間死刑囚と獄中結婚をした女性は、アムネスティ運動にかかわっていた女性であり、内面はわからないが、死刑廃止を訴える手段のひとつではないか、というように推測はできる。
けれど、『接吻』という作品で、獄中結婚を望む遠藤京子(小池栄子)という女性は、収監されている拘置所に足繁く通っては差し入れをし、公判の傍聴には欠かさず駆けつけるが、一般的な支援者という位置とはかなり異なっている。
そして、京子が映画の中での坂口秋夫(豊川悦司)という無差別殺人者を知ったのは、たまたま見た逮捕時のテレビニュース報道であり、もちろんそれまでに縁もなく、彼女が死刑廃止運動をしていたわけでもない。
京子は20代後半のOL。事務仕事をしているが、同僚からは、残業仕事を押し付けられながら断れず、その暗さ、地味さに陰口を囁かれるような孤独な女性に設定されている。
どういう少女時代を過ごしたのか?両親との関係は?なぜこの職場にいるのか?
説明はなにもないが、誰にも相手をされずに、鬱屈しながら、そういう自分にもうすっかり慣れてしまったというように見える。
そんな京子が、たまたまテレビで見た坂口秋夫に衝撃を受ける。
なににか?逮捕の瞬間、カメラに向けてみせた秋夫の笑顔にである。
新聞の見出し風に言えば、「無差別殺人の凶悪犯、不敵な笑い」といったものである。
京子は天啓に打たれたように確信する。
「この人はわたしと同じだ」
京子は、すぐにコンビニに出向き、新聞を片っ端から手にして、ノートブックを買い、一心に坂口秋夫に関するスクラップブックをつくりはじめる。
そして、京子のストーカーじみた追っかけが始まる・・・。
秋夫は国選弁護士の長谷川(仲村トオル)に対しても、公判の場でも、完全黙秘している。
京子は、長谷川を通じて、接見を申し入れ、手紙も差し入れる。
「一言、あなたの声が聴きたい」と。
しかし、秋夫は相変わらず、沈黙したまま。
とうとう結審を迎え、裁判官は秋夫に最終弁論を促す。
秋夫は、はじめて口を開く。
「ありません」
その声を聴き、京子は勝ち誇ったような歓喜の笑みを浮かべる。
私に向かって、発された言葉だ!
京子は、拘置所の近くのアパートを借り、OLも止めて近くの工場で働き、接見だけを愉しみにしている。
秋夫と京子は、ふたりにしかわからぬ親愛に包まれている。
マスコミにも追っかけられるが、そんなことも意に介さない。
長谷川は、一審の死刑判決に対して控訴をさせようとするが、秋夫は相変わらず沈黙したまま。
京子はますますいきいきしてくるが、秋夫は殺害のことを思い出し、夜中に魘されるようにもなる。
長谷川は強引に控訴を承諾させるが、それを知った京子は・・・。
京子の妄想めいた「絶対愛」は、「殺人」という犯罪のことなど、ほんとうはどうでもよかったのではないか。
社会的な非難や、被害者家族の苦しみも・・・。
京子と秋夫は長い長い間、世の中から無視されてきた、絶対的な孤独を味わってきた、だれも守ってはくれなかった。
そんな世の中の人間たちから、どう思われてもいい。
私ははじめて自分と一緒の人間を見つけた、そして愛した、その感情で高揚している、あたしと秋夫は理解しあっている。
この「盲目」的高揚には、打算も利害も犠牲心もなにもない。
あるとすれば、たぶん生まれてはじめての、「愛」の確信のみである。
京子は、ここではじめての「充実した人生」を生きることになったのである。
淀んで孤独なOL生活から、秋夫という存在に瞬間的に惹かれ、接見のなかで短い時間ではあるがいっしょにいることに安堵し、声を出しながら文字を躍らせ続ける。
こうした時間の経過の中で、変貌し、自信を持ち、存在感を増していく京子という女性の変容を、小池栄子はまことに迫真の演技で表現している。
映画の主題ということでは、キム・ギドクの『ブレス』という作品が、想起される。
満たされない主婦である主人公は、ある日テレビで何度も自殺を繰り返す「失語症」の死刑囚を見かける。
主人公は死刑囚と接見し、春夏秋冬の絵を面接室に飾り、歌を聞かせ、そして抱きしめる。
キム・ギドクは何者も入りこむことができない「死」の前の刹那的な不可能性の愛を、とても現実にはありえない設定なのだが、映画的世界ではそれも「極限の愛の貌」なのだということで、描き出した。
一方は「完全黙秘」、一方は「失語症」、両方とも過剰にしゃべるのは死刑囚に心を寄せた女性のほうである。
「接吻」という映画は、なんら感傷を誘うものがあるわけではなく、社会矛盾に異議申し立てをしている映画でもない。
しかし、もし「愛の映画」という軸を立てれば、紛れもなく「愛」のひとつの純化された状景を描いた作品である。
「♪ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」
秋夫は悪夢の中で、京子は秋夫との憑依のような同化のため、この歌を口ずさむ。
京子も秋夫も、誰かに心からこの歌を送られたことなどたぶんなかった。
そんな孤独な魂たちは、世界から隔絶する中で、奇跡的に交わることになる。
その場所には、誰も、立ち入ることは出来ない。
kimion20002000の関連レヴュー
『ブレス』
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TB,それにコメントもいただいて、どうも
ありがとうございました!
ギドク監督の「ブレス」未見なんですよ。
記事を読ませてもらって、観てみたくなりました。
小池栄子の迫真の演技も印象に残り
もっとたくさん映画に出てもらいたいなぁって思いました。
小池栄子のチャキチャキの少女時代を、NHKで再現していた番組を見たことがありますけどね。
イエローキャブで巨乳タレントの一人として色物扱いされていた時期もありますが、なかなかしたたかに成長していますね。
相手を思うというより自分の世界に入りこんでしまうという意味で
「アデルの恋の物語」を
思い出したりもしました。
トラックバック&コメントありがとうございました。(*^-^*
相手に過剰に話しかけて相手の意志を誘導する
思い込みの激しい愛は怖いですけど、
本人にしたら至って真面目なだけなのかもしれない・・・。
純化された状景の狂った愛なのかしらね。
生きているという実感を、彼女ははじめて持ったんでしょうね。強烈でした。
文学としてみれば、狂った恋ほど、美しさもあります。
死刑になるのは彼の方だけど、何だか逆に(自分は死なない)死への道連れに彼を選んだのではないかという気がするんです。一種の代替行為というか。
作者がどう考えているかは全く解りませんが。
最後の「ほっといて」は言葉と裏腹に、世間的な交渉を求めていますね。幕切れの彼女にはそれまでにない、凄く人間的なものを感じます。
小池栄子は見事でしたね。体が健康的すぎるイメージはありますけど。(笑)
>体が健康的すぎるイメージはありますけど。(笑)
イエローキャブ所属ですからねぇ。
でも、NHKの番組で、彼女の生い立ちを追ったドキュメントみたいなのを見たんだけど、なかなか行動力のある子ですね。
スパッとしているというか、度胸のある子です。