サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

前衛美術評論/針生一郎(評論家)/84歳

2010年05月26日 | 毎日がメメント・モリ

<訃報>前衛美術評論の草分け、針生一郎さん84歳


5月26日21時36分配信 毎日新聞


 前衛美術評論の草分け、針生一郎(はりう・いちろう)さんが26日午後、急性心不全のため死去した。84歳。葬儀は6月1日午前10時半、川崎市多摩区南生田8の1の1の春秋苑。喪主は長男徹(とおる)さん。

 仙台市出身、東大大学院で美学を専攻。画家、岡本太郎らの前衛芸術研究グループ「夜の会」に加わり、アバンギャルド芸術評論の第一人者として活動。日本共産党に入党したが、安保闘争などをめぐる党の指導を批判し、61年に除名された。

 「原爆の図 丸木美術館」(埼玉県)や金津創作の森(福井県)の館長、美術評論家連盟会長などを務めた。和光大名誉教授。日本アジア・アフリカ作家会議代表世話人として、海外の芸術家とも積極的に交流。文芸評論家としても知られた。「戦後美術盛衰史」など、著書多数。

ずいぶん昔のことだが美術大学にいた知人たちに、大学紛争の頃の「美大全共闘」の話などを聞いた事があった。どちらかというと黒ヘル関係が多かったような気がする。
たとえば多摩美術大学などでもバリケードが構築されたが、そのとき教授側で闘争の前列に立っていたのが、委員長であった針生一郎であった。
その闘争に関しては、玉砕主義であり、批判も多かったと聞く。
この人は山村工作隊からの日本共産党の除名者の一人なのだろうが、その後も政治的オルガナイズには長けているのか、美術評論家連盟の会長などを歴任している。
本も何冊か読んだことがあるが、美術評論にイデオロギーを持ち込みすぎた嫌いがあり、その文体もあまり好きではない。
前衛美術といえば、その頃「ハプニング・パフォーマンス」を標榜する一群の芸術家の中に赤瀬川原平さんなどもいた。その赤瀬川さんなんかは、イデオロギーに対しては恥じらいを持っているようで、現在「老人力」はともあれとして飄々として古典絵画の面白さなどを自分の感性と言葉でわかりやすく話しておられるのは、まったく好感がもてる。トマソンも好きだったし、白洲正子さんなどとおしゃべりしているのも味があってよかった。
結局、タイプは全然異なるが、針生一郎と赤瀬川原平の差のようなものが僕の中にもあり、それがもうひとつ針生一郎に距離を置いていたところのような気がする・・・合掌!

 

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