けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

理化学研究所の調査委員会の「不正行為」が問われる日

2014-04-08 23:59:07 | 政治
引き続きのSTAP細胞問題についてのコメントである。

今日、小保方氏が理化学研究所に不服申し立てを行った。テレビのニュースなどでもその反論の要旨が紹介されていた。これらのマスコミでの扱われ方なども含めてではあるが、少し流れは形勢逆転の方向に流れ始めたように感じる。多分に思い入れもあることは認めるが、少しポイントを再度整理してみたい。

まず、以下のふたつの記事を見て頂きたい。

経済ニュースゼミ(小笠原誠治)2014年4月2日「理系は『悪意』の意味が分かっていない!(STAP論争)
弁護士ドットコム2014年4月7日「STAP論文『不正があった』とする理研調査委「最終報告書」 弁護士はどう見るか?

以上のふたつの記事は、両方ともある程度法律が分かる方、ないしは弁護士がどの様に見るかを解説した記事である。結論は同様で、理化学研究所側の判断に軍配を上げている。下段の記事の弁護士の言葉を借りるなら、「このような小保方氏の説明を前提とすると、真実と異なる実験結果の画像を意図的に使用したことが認められますので、規程が定める『改ざん』に該当することになります。」としている。上段の記事も同様で、「しかし、そもそもこうした規定や法律などで使われる『悪意』は、法律用語として解釈しなければいけません。」と指摘し、この「悪意」は法律用語の「悪意」であって、日常的に利用される一般名詞の「悪意」と解釈してはいけないとしている。さらに続けて「行為者が、ある事実について知っているか、知らないかを示すのが、『悪意』であり『善意』であるのです。」と解説し、その不正行為の不正性を認識していたかに関わらず、結果としてその行為で自らが何らかの利益を得ることが出来ることを知っていたか否かが論点であるとしている。

多分、理化学研究所の調査結果も同様の解釈をしており、もう少し正確に言えば、真っ当な研究者故にあまりに杜撰な研究データの管理、論文化プロセスなどに嫌気がさして、「研究者として許せない」とか「理研の伝統に泥を塗った」とかのバイアスがそこに加わり、自己肯定的に上述の様な法律家的な判断を下したのだろう。というか、常識的にその判断には弁護士を加えて「裁判でも負けない論理武装」も行っていたと思われる。
しかし、知れば知るほどこの様な一面的な法律論争が愚かに見えて来るのである。具体的には、上段の記事にも引用されている理化学研究所の「科学研究上の不正行為の防止等に関する規程」の内容を精査すると見えて来ると思う。法律的な解釈ということで、この規定に記載されている「定義」を確認してみたい。

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(定義)
第2条  この規程において「研究者等」とは、研究所の研究活動に従事する者をいう。
2  この規程において「研究不正」とは、研究者等が研究活動を行う場合における次の各号に掲げ
る行為をいう。ただし、悪意のない間違い及び意見の相違は含まないものとする。
(1)捏造 データや研究結果を作り上げ、これを記録または報告すること。
(2)改ざん 研究資料、試料、機器、過程に操作を加え、データや研究結果の変更や省略により、研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること。
(3)盗用 他人の考え、作業内容、研究結果や文章を、適切な引用表記をせずに使用すること。
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まず、「捏造」に関して言えば、ありもしないデータや研究結果を作り上げていなければ、これは「捏造」とは呼ばないことになっている。「改ざん」に関しても、「研究資料、試料、機器、過程に操作を加え、データや研究結果の変更や省略により」の部分に関しては「改ざん」の構成要件を満たしているが、問題は続く「研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること」の部分が今回のケースに該当するかが問題となる。もう少し言えば、「ただし、悪意のない間違い及び意見の相違は含まないものとする」の補足との関連で考えなければならない。「真正でないもの」という修飾語が「加工すること」に追加されているので、「真正でないもの」をどう理解するかと言っても過言ではない。では、次のケースを法律家はどの様に解釈するだろうか?例えば、実験で得たある写真を論文に掲載しようとしたとする。その時、その写真に大きさの比較となるものが載っていなかったために、後から縮尺を調整して「十円玉」や「物差し」を画像処理で挿入したとする。この時、これを「真正でないもの」と言って一人の研究者の研究生命を抹殺すべきなのか、それとも「悪意のない間違い」ないしは「意見の相違」と見なすのが正しいのか?答えは法律家でも一般人でも同じだと思う。昨日のブログでも引用したサイエンス作家の竹内薫氏の解説を私なりにかみ砕けば、小保方氏の加工はこの様なレベルだと理解できる。その様な判断を迫られている時に、理化学研究所や前出の弁護士などの判断は本当に正しいのだろうか?

それからもうひとつの写真に関しては、外部からの指摘の前に自分で単純な間違いに気が付き、理化学研究所の調査委員会に報告すると共に真に正しい写真を提出し、雑誌Natureに対しても執筆者全員の賛同のサインと共に、写真を差し替えた修正論文を再投稿しているという。理化学研究所はその写真の日付データを確認し、問題が発覚する以前からその写真が存在することを確認すると共に、さらにSTAP細胞の真偽が問題となり始めたころに行った再現実験で得られた写真についても小保方氏からの提出を受けているという。理化学研究所では(写真の日付の改ざんの可能性は論理的には皆無ではないが、その様な容疑を持ていないために)、Natureに掲載された写真は「ありもしないものを、あたかもあるかの様に偽装した」ものではなく、「あくまでもSTAP細胞を証明する写真が存在していることを理研が認識していながらも、小保方氏が誤って違う写真を掲載してしまったこと」を「捏造」と認定した訳である。面白いことに、4月1日の記者会見の際にスライドで示された写真には、小保方氏がNatureに差し替えを求めた修正論文に掲載されている写真を紹介していたが、そのスライドをホームページ上で公開している中で、ある日、急にその写真部分が削除されているという。この辺の流れからすると、上述の「改ざん」は議論の分かれるところかも知れないが、「捏造」に関しては完全に「シロ」と言って間違いがないと思われる。とてもではないが、裁判に耐えうる論理構成にはなっていないと思われる。

しかし、先の2件の記事が「クロ」と断定している背景には、法律家では分からない技術的な意味づけ部分を理解できておらず、理化学研究所が一方的に「不正行為認定」をする際の大本営発表を鵜呑みにしているところが多分にあるように思われる。勿論、私のこのブログも前出の竹内氏の論調をベースにしているのだが、最近漏れ伝わる小保方氏の主張とは整合性が取れており、私は個人的には妥当だと解釈した訳である。この様な流れの中で、多分、3月末までは雲隠れする小保方氏の動向を見て、「小保方氏、ノックアウト!」とマスコミは思い込んだのかも知れない。しかし、病院には入院しながらも、反論の記者会見を行うと宣言すると共にそれなりの弁護士を立てたことで、このままではマスコミ側が「裁判で訴えられるリスク」を感じ始め、そこで微妙に立ち位置を修正して小保方氏側に歩み寄っているのではないかと感じる。もう少し言えば、理化学研究所の小保方氏虐めを外野が糾弾する素振りを見せようとしている感じである。何とも嫌らしい根性である。

さて、それはさておき、小保方氏は理化学研究所に対して再調査を要請し、その中では理化学研究所の職員を排除した、完全な第三者による中立的で公平・公正な調査を求めているという。これが意味することは何か?ひょっとすると、この結果として「理化学研究所の調査委員会の不正行為が認定される」ということもあるかも知れない。少なくとも小保方氏は直接の聞き取り調査は1回しか受けておらず、論文取り下げに同意したこともないのに「同意した」と虚偽の情報をリークされたりもしている。公平性に欠ける一方的な調査で、しかもその調査に第三者が組み入れられていなかったことの決断の責任は、当然ながら野依理事長にあることは間違いない。下手をすると大粛清が行われ、日本においては非常に重要な理化学研究所の研究遂行に大きな支障が出ることも予想される。特定法人化の先送り程度ならまだしも、インパクトはそんな生易しいものではないろう。

明日以降、本格的な論戦が戦わされることになると思うが、やはり理化学研究所は道を誤ったとしか思えない。残念至極である。

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