けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

「捏造記事」を読めば分かる「怖い怖い詐欺」の罪悪度

2014-04-02 23:57:12 | 政治
まず、何も言わずに以下の私が捏造する嘘の記事を読んで頂きたい。「」でくくった範囲が捏造記事である。お間違いなく。

【ここから捏造記事】「以前にもO157による食中毒の原因を疑られたカイワレ大根であるが、その後も食中毒や癌の原因の可能性が否定できないことが話題になっている。先日のノロウイルスによる食中毒の事件においても、患者からの聞き取り調査の中でカイワレ大根を食べたとの証言があった。様々な食中毒事件でその原因を疑られるカイワレ大根。この疑惑は食中毒だけでなく、癌発症のリスクも否定できないとの噂に発展している。(某政治団体の)医師○○氏は、先日、団体職員の患者ががんで死亡した際に、その死因にカイワレ大根が関係している可能性があることを訴えている。その死亡した職員の家族は、『主人はカイワレ大根に殺された』と訴えており、医師も『政府はカイワレ大根による癌発症のリスクについて隠匿しているのではないか?』と訴えている。」【ここまで捏造記事】

さて、これだけの捏造記事を読むと、流石に無茶苦茶なことを書いているとお叱りを受けるかも知れない。これだけのことを、「捏造記事」との断り書きを書かずに書いたら、誰かから訴えられてもおかしくはない。それだけの数の読者がいるかどうかは横に置いておけば、このブログが炎上して、ブログを閉鎖しなければならなくなるかも知れない。しかし、この様に誰もが疑らない原因は、記事がターゲットにしているのが「カイワレ大根」だからであり、この記事のターゲットが「放射線」となると話は違うようだ。もう少し言えば、「食中毒」や「癌」が「放射線被ばく」「甲状腺癌」「白血病」に置き換えられると、あまり根拠などなく「可能性が否定できない」レベルの内容を大々的に、さも事実ではないかと誤解を与える様な風評被害拡大キャンペーンを展開しても、多くの人がその報道に免罪符を与えてしまい、横槍を入れるのに躊躇するようである。

何を言っているかと言えば、下記の記事である。

Global Energy Policy Research
原発事故、福島で甲状腺がんは増えていない — 報道ステーションの偏向報道を批判する・上
ゆがんだ情報をなぜ拡散するのか? — 報道ステーションの偏向報道を批判する・下

これは、テレ朝の報道ステーションが東日本大震災から3年目の先月3月11日の放送で、「甲状腺がんが原発事故によって広がっている可能性がある」という内容を放送したことに対する批判記事である。これはジャーナリストの石井孝明氏の記事であり、私のブログでも何度か引用させて頂いたことがある。例えば、「公平公正な松江市教育委員会のメッセージに気が付かない大新聞社の誤解」や、「事件の一面だけを見る危険さ(「復興庁幹部の愚かな発言」から)」などで引用させて頂いている。詳細は記事を読んでもらうとして、テレ朝は明らかに意図をもって偏向報道をしており、そこで登場する医師なども(上記の捏造記事では「某政治団体」と書いたが実際は)「中核派」のお抱えの医師だそうで、かなり偏った意見を持った人々を登場させている。科学的なデータの読み方は恣意的な悪意があると天と地ほどの差を生じ、例えば「甲状腺がんの発症例は全国では100万人に1~2人」であるのに対し、福島県では「27万人の甲状腺診断調査が行われた中で、33人の甲状腺がんが発見された」と言われると、素人であれば「原発に起因する甲状腺がんが激増している」と結論づけられそうである。しかし、ここには明らかなトリックがある。全国で「100万人に1~2人」というのは甲状腺がんの検診などを受けていない人を含めた数であり、甲状腺がんは進行が遅く致死率も低いため、実際に検診を受けた27万人の中にごく初期の甲状腺がんが疑られる患者が多く見られたとして、それは統計的な対応関係として比較できるものではない。その辺の統計処理がなされた上での報道であれば分からないでもないが、報道は全て「可能性も否定できない」という口調でなされており、そんなことを言うならば「カイワレ大根が癌の原因となる可能性を完全には否定できない」と言うのと大差ない。せめて、「統計的には有意な差として認められる」ぐらいのことを言える程度まで詰めてから言って欲しいが、こと「放射線」に関しては、デマを吹聴しても怒られないという風潮が存在している。しかし、その異常さを理解できない人でも、私の捏造記事を読めばその無茶ぶりは分かるはずである。根拠のあるリスクを指摘するなら分かるのだが、如何わしいバイアスのかかった証言者と承知で「怖い怖い詐欺」のインタビューをして垂れ流す様は異常としか言いようがない。

この「怖い怖い詐欺」はいつしか特定秘密保護法案、集団的自衛権やTPPなどに置き換えられ、その真の怖さとその背景を定量的に議論することなく、イメージ戦略だけで突き進むことに繋がっていく。根底にあるのは全て同じで、反政府的な姿勢を貫くことが正義だと勘違いしている様である。それは、戦時中に多くの国民を戦場に追いやるのに加担した自分の罪深さに対する懺悔の気持ちによるのだろうが、結果として逆に振れ過ぎる振り子が新たな被害者を生むかも知れないことには気が付いていない様だ。

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STAP細胞騒動の新展開に思う

2014-04-01 23:58:28 | 政治
今日のトップニュースは、理化学研究所が小保方氏のSTAP細胞論文に対して、捏造認定を行った話題だろう。今日は以前に引き続き、この話題にコメントしてみたい。

まず、大枠のところで確認しておきたいことは、小保方氏の研究活動の取り組み、とりわけ論文化の作業における責任感の無さは全くもって弁解できない状況にある。また、理化学研究所において、共同研究者が今回の不正を見抜けなかったとの結論を出したことも、これまた極めて妥当だと思う。共同研究者が悪意を持って論文執筆に取り組むということは、普通の良識ある研究者では到底思いつかないし、投稿前の論文原稿の確認・推敲も、内容の論理的展開の妥当性を中心に行われるのが普通で、不正の発見などを意識するなど考えにくい。また、小保方氏の行った論文化作業上の不正行為、すなわち写真の加工と異なる条件の写真を掲載した2点については、当然ながら不正行為と見なされるのは致し方ないことで、これにより論文の信頼性が著しく貶められたのも事実である。ここまでの整理については間違いないだろう。小保方氏もここまでの論点については多分、同意するのだと思う。

今回、理研が捏造認定したことに小保方氏が「とても承服できない。不服申し立てします。」と反論するポイントは、一言で言えば「捏造」という言葉の定義が両者で異なる点に尽きる。参考までにWikipediaで「捏造」を引けば、「実際になかったことを事実のように仕立て上げること。『捏』の読み方は古くは『デツ』であるため、でっち上げの語源ともなっている。」とあり、小保方氏からすれば「実際にSTAP細胞はあった。でっち上げでは決してない。」と思っているから、「捏造」などと言われれば承服などできる訳がない。まずは「STAP細胞の存在については、今後の検証を行うにしても、存在することを前提とする立場を取って欲しい」と言いたくなるのは人情であろう。それに対し、理化学研究所はどう考えたかと言えば、あまりに研究者としては幼稚な行動が目に余り、結果として理化学研究所の権威を失墜させてしまったので、取りあえずは小保方氏を断罪する厳しい立場を世界に示して理化学研究所の威厳を取戻すことが最優先と考えたのだろう。その意味では、STAP細胞の存在の有無を2の次にした決断であると言える。

これは、不正が「故意」で行われたのか否かの認定によるところが大きいと思う。記者会見で記者が「不正は故意のものと考えるか」と質問したのに対し、調査委員会の石井委員長は「そのように理解しています」と答えている。小保方氏は、「故意」とは悪意を伴うものに対して用いる言葉と考えているだろうから、本人は悪意がなければ「故意」と思っていないのかも知れない。法律用語の世界では「未必の故意」という言葉があり、「未必の故意とは、実害の発生を積極的に希望ないしは意図するものではないが、自分の行為により結果として実害が発生してもかまわないという行為者の心理状態のこと。刑事裁判上では、故意があるものとして裁かれる。」ことを指している。つまり、積極的な悪意がなかったとしても、実害の発生を大いに予見できている状況で、その実害に対する回避措置を意図して取らなかったことを指している。理研の重鎮ともなれば、これだけの杜撰なことをしていれば、当然、理研に大きな実害が及ぶことが予期できるので、その立場に立てば疑いもなく「未必の故意」が認定されて然るべきと考えたのだろう。しかし、多分、小保方氏はこの実害の発生を全く予期していなかったのだと思う。それは、小保方氏の無責任さに寄るところが大きいのだが、もし予期できていたのなら、余程の悪意の塊の人でない限り、あれだけのノーベル賞級の世紀の大発見を嘘偽りで発表できる訳などない。それは、そう考えるのが自然だろう。

ただ、そうは言っても、本人も「不確実で、勘違いが介在し得る作業を気にせず平気で行った」という自覚はあると思う。「多分、この写真でいいんじゃないかな?」とか、「結果は正しいんだから、見やすい写真に加工しよう」などという行動が、一抹の不安もなく行われたとは思い難い。あくまでも、誰かが再現実験を成功させてくれれば、その後は論文にミスが見つかってもチャラになると考え、気軽にことに及んでしまったのだと思う。この意味で、当然ながらそれ相応のペナルティを受けても当然ではある。だから、「捏造」とか「故意」という言葉を使わずに、小保方氏がどのように考えていたかを明確にし、そしてそれを理化学研究所は「悪意がないのは認めるが、幼稚で未熟な研究者としてあるまじき行為」とか断罪していれば、双方の溝もそれほど深くはならなかったと思う。しかし、理化学研究所はその様な理性を持ち合わせておらず、永久追放的なニュアンスで断罪してしまった。

ただ、前回のブログ「小保方氏のSTAP細胞騒動の裏側を覗く」でも書いた通りであるが、そのペナルティを受けるべきと言う話と、実際にSTAP細胞が存在するのか否かの話(もし存在すれば、論文はいい加減でも大いなる偉業であることは間違いない)は別々に論じられるべきであり、その点の見方が理化学研究所や多くのマスコミの反応には見られない。私が理化学研究所の責任者であるならば、論文執筆の作業の中の不正行為の解明と、STAP細胞の再現実験は当然ながらパラレルに行っているだろう。理化学研究所が一発逆転を狙うなら、何処よりも早くSTAP細胞の再現実験に成功し、その再現実験で得られた写真などで元論文の修正・差し替えを行うようにNatureに依頼すべきである。そして、その再現実験をよりスピィーディに実施するためには、小保方氏の協力が必要不可欠である。小保方氏を蟄居の身に追いやるのではなく、研究の第一線に呼び込み、彼女の作業が杜撰でも熟年の研究者が今度こそは一緒に作業して、完璧なまでの裏データを抑えるのが最短コースなのは間違いない。しかし、今回の記者会見でも理化学研究所と小保方氏は対立関係にあり、とても、一緒に再現実験の研究を遂行できそうには見えない。もはや、STAP細胞の手柄などどうでも良いから、小保方氏の処分を早急にしてしまいたいという意思の様なものすら感じとれる。

断定はしないが、あの様子を見ていると理化学研究所の中に権力争いの様なものがあり、今回の小保方氏の失策を権力闘争のクーデターに利用しようとする勢力と、そうはさせじと必要以上に早期の幕引きを狙う勢力がぶつかっていて、学術的な議論が二の次になっているように思えてしまう。今回の話題の中で「研究ノートが2冊」ということが取り上げられたが、これは極めて象徴的で、計算機上でのシミュレーションなどで仮想的な世界での実験がある部分までをカバーするEngineeringの世界であればいざ知らず、現実世界の現象がほぼ全てである生物学の属するScienceの世界では、何時でも気軽に再現実験を行うことは出来ないことが多く、事細かに実験条件をメモして将来の再現実験を容易にするのが「常識中の常識」であり、それすら出来ない彼女のことを「生理的に受け入れられない」と感じたベテラン研究者が多かったのではないかと思う。これが、(論文の杜撰さとは一線を画して)彼女の業績を正当に評価しようという行動にブレーキをかけ、結果として一発逆転の道を閉ざしているのだと思う。

しかし、これは理研にとっても日本にとっては不幸なことであり、その様な(悪い意味ではあるが)常識破りの人であるからこそなし得たかも知れない偉業を、みすみす無駄にしてしまうかも知れない行動である。理化学研究所もそうだが、下記の記事の様にマスコミも彼女を単なる使い捨ての「女」として利用している。とても、世紀の大発見をしたかも知れない人として扱ってなどいない。

産経新聞2014年3月26日「朝日新聞デジタル、小保方氏が『”大人AKB48”で歌手デビュー!』架空悩み相談掲載→即削除でおわび

私は本当に疑問なのだが、これで1か月後にSTAP細胞が再現できたと何処からか報告が上がった場合、理化学研究所やマスコミはどの様に小保方氏に向き合うのだろうか?そこまで考えて報道しているマスコミがどれだけいるのか、相当怪しいと思ってしまった今日1日である。

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