けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

民主惨敗の振り返り

2012-12-22 21:34:37 | 政治
民主党の代表選が延期になり、12/26の首班指名での対応も含めて、民主党の先行きは暗い。そもそも代表選延期の理由が選挙での惨敗の総括がまだであることであるのにもかかわらず、そのような総括の議論も起こらぬまま、(そうは言っても近いうちに行われるであろう)代表選への立候補者の動向などはニュースになる。この辺のチグハグさが問題の根の深さを物語っている。そこで、民主党に何の幻想も抱いてない立場で、何がいけなかったのかを整理してみたい。

(1)数の論理への信奉
政権交代を実現する上では、とにかく連立政権で衆院の過半数が必要である。しかし、細川政権ではあまりにも小規模政党の超連立となったために、短い寿命で終わった。この反省から、ひとつの政党でまとまりながら過半数確保できるように、強引な寄せ集め集団を作ってしまった。これは小沢元代表によるところが大きく、その政治的な志向性を横において、選挙で勝つことを最重要課題と位置づけてしまった。しかし、党内には全く異なるアプローチを志向する政治集団が混在し、党内での多数派が民主党の公式見解となるシステムを組み上げたために、党代表が変われば今までのやり方をチャラにして何でも出来るという醜い内輪での権力闘争を生んでしまった。党代表や主流派を誰が構成するかに関係なく、党としてのベクトルをブレさせない最低限のベクトルの方向性を明文化し、それに反する行動が起きないような集団の結集に留めるべきであった。

(2)ねじれ国会への対処法
現在の自民党もそうだが、衆院での多数を抑えながらも参院では単独では過半数を抑えられなかった。このため、国民新党や社民党との連立を余儀なくされたのであるが、この連立の影響で、大きな体格の牛の尻尾を握る小さなネズミに政権を振り回されることになった。国民が最初に民主党に幻滅したのは、日本郵政の社長人事であろう。天下りの根絶をうたいながら、社長人事でこれ以上ない典型的な天下りを許してしまったのは、国民新党からの強い要請と小沢幹事長(当時)が結託したからである。このひとつの綻びが、その後の大きな綻びにつながった。最後は普天間問題での社民党の政権離脱で、鳩山元総理は辞職に追い込まれた。この反省としては、国会が捩れている間は無理な連立を狙わずに、次の参院選までは手堅い政策に専念し、参院選後の安定議席数の確保に専念すべきであった。これは現在の自民党にも同様である。

(3)自民党への先祖がえりと存在意義
選挙で圧勝した直後の小沢幹事長(当時)は、次の選挙でも勝ち続けるために、地方の自民党の支持団体の強引な引抜を行った。様々な業界団体に対するだけでなく、自治体の首長選挙でも、箇所付けなどを利用して、金で言うことを聞かせようとし続けた。それは金の力で数を得て、その数の力で政権を牛耳るという昔ながらの田中派的な戦略である。自民党を否定したはずの民主党が、極めて自民党的な手法に走ることを誰も止められなかったのは、その前の参院選で安倍政権を崩壊に追いやった小沢元代表の功績を過大評価したからである。福田元総理との大連立構想でNoを突きつけたのにもかかわらず、その後も代表職に留まることを求めたりした経緯などにも、その初めて経験した参院選での勝利の呪縛に縛られて、身動きが取れなくなっていたことが伺える。結果、自民党への先祖がえりをした民主党は自らの存在意義を失い、坂道を転がるように国民の信頼を失った。

(4)事業仕分けに法的な根拠を与えられなかった失敗
民主党が最も評価されたのは明らかに業務仕分けであっただろう。自民党には逆立ちしても出来ないような省庁への切り込みは鋭く、多くの無駄を炙り出すことができた。しかし、この事業仕分けに法的な権限がないため、結果として族議員的な振る舞いをしだす議員が現れ、仕分け結果は骨抜きになった。もちろん、時の総理が積極的にその仕分け結果を尊重すれば良かったのであるが、様々な問題が山積してそれどころではなかった。鳩山元総理は普天間問題が尾を引き、党内の対立のきっかけにもなりかねない調停役を自ら行うことはせず、人任せにしてしまった。菅元総理に至っては、小沢元代表との脱小沢路線の争いに明け暮れ、それどころではなかった。もともと菅元総理は、でかいことをぶち上げて評価を得ることばかりを気にして、地道な仕事が出来る性格ではなかったから、この事業仕分けのフォローなど興味のかけらもなかったのだろう。野田前総理の時代には、既に事業仕分けは崩壊していたから、誰も何も信用しなくなっていた。総理大臣の順番が違っていたらこうはならなかったのだろうが、その点は残念なところである。

(5)総理大臣と党代表の違い
野党時代には、それほど能力のない党首を据えてもそれほど致命的なことにはならない。言ってみれば、反対して与党の足を引っ張るのが仕事のようなものだから、Noと言うのは非常にたやすい。しかし、与党第1党の党首はNoというのではなく国民にYesと言わせる政策を自ら立案し、それを実行に移さなければならない。これだけ、党首に求められる意味合いが違うにもかかわらず、総理大臣に足る人材を党首として選び出すことができなかったのが民主党である。鳩山元総理が普天間問題で苦しんでいるとき、菅元総理は「国民なんて、新しい対立軸をブチ上げて、そちらをアピールすれば普天間のことなど忘れる」と言うようなニュアンスの発言をしていたと言われるが、国の行方を左右しかねない日米同盟の崩壊の危機に直面し、その問題に正面から取り組むのではなく、ドサクサに紛れて話題を変えてしまえという発想は、如何にも攻めさえすれば良い野党の党首的な発想で、責任ある与党第1党の党首の考え方ではない。鳩山元総理も同様で、勝算がないことを隠してアメリカ大統領に「Trust me!」と平気で言えることなどからも、責任感の欠如という総理大臣には致命的な資質の欠如があった。この点に民主党議員は気がついていなかったのではないかと私は思う。

(6)客観的な振り返りと責任感の欠如
これだけ大敗をしながら、「私は民主党の基本的な考え方は間違っていなかったと思う」と公言してはばからない民主党議員は多い。しかし、本来は「正しかったところが何処であるか」を議論すべき時ではなく、「何処が間違っていたか」だけに焦点を絞り議論すべきところである。色々問題点を指摘されながら、その点についてはのらりくらり交わしながら、「でもここは正しい!」とそこだけを強調する発言からは、反省をする気持ちなどないことがわかる。有権者に「色々説明をさせて頂いたが、結局、最後まで理解してもらうことができなかった」と言っているのも全く同じである。悪いのは、我々の正しさを理解できない有権者だと言っている訳で、反省の欠片もない。選挙でのアピール用に達成した成果をアピールするための資料があっても良いが、せめて内部向けには「これ程我々の目指してきたことはできていない」という赤点の採点用紙を示してもらい、その採点用紙を見ながら政策を練って欲しかった。今回の57議席という予想外の数字は、そのことを突きつけた数字である。責任感があれば、客観的な振り返りができるはずだが、どうも民主党議員は与党の当事者意識が少なく、大きな問題に直面しても「今の執行部が悪いだけで、民主党全体が悪いわけではない」と考える傾向が強い。この責任感の欠如は、与党としてではなく1人の政治家として、その資質を疑られてしかるべきである。

以上、色々書いてきたが、マニュフェスとがどうのこうのとか、約束を破ったとかその辺の話をしだすときりがない。しかし、もっと大きな視点で見た時に、上記の6点については大いに反省していただきたい。そして、それは自民党にとってはも反面教師として参考にして欲しい。

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