けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

「原爆は国際法違反?」の質問を活かせ!!

2013-09-03 23:56:17 | 政治
先月末のニュースであるが、下記の記事があった。

産経ニュース2013年8月29日「『原爆投下も国際法違反か』シリア化学兵器使用で米国務省に質問飛ぶ

私は産経新聞でこの記事を読んでいたのだが、淡々と事実を記したニュースであった。その後、このネタをもう少し掘り下げた下記の記事が見られた。

J-castニュース2013年8月30日「『原爆も化学兵器と同じ国際法違反になるのか』ロイター記者の質問にネットで称賛の声

こちらの方ではロイターのArshad Mohammed記者への賞賛に加え、第2次世界大戦中における原爆の国際法における扱いについても言及している。つまり、「原爆使用はハーグ陸戦条約の付属書陸戦の法規慣例に関する規則第22、23条に違反している」ということで、勿論、ハーグ陸戦条約締結時には原爆は存在していなかったので、毒ガス兵器などの非人道的兵器に対するハーグ陸戦条約の扱いをベースに、それを遥かに凌駕する原爆の使用は国際法に違反するということらしい。実際、日本国内でも東京地裁は1963年12月7日、原爆投下は国際法違反であるとした判決を下し、その判決はそのまま確定しているという。この原爆を引き合いに出すまでもなく、日本とアメリカの間では戦時中に国際法を巡る応酬があり、日本側が沖縄の空襲を「国際法違反だ」としてアメリカ政府に抗議する一方、アメリカ側は日本軍による中国への爆撃について「国際法違反!」と批判していたという。であれば、桁違いの被害を考えれば「国際法違反」であることは疑いもない事実である。

ところでこのロイターのArshad Mohammed記者の質問に対し、ハーフ副報道官は「アサードさん」とファーストネームで呼びながら、一方では「私はその質問を受け入れるつもりすらないですよ」と無碍に無視を決め込んでいた。つまり、報道官のレベルではこの手の質問に対しては想定内であり、如何に対処するかを完璧に準備して黙殺を決め込むのである。

ここから先は意見の分かれるところであるが、私はアメリカには「広島、長崎の惨劇」を事実として自覚してもらう一方で、これは過去にあった悲しい歴史として位置づけ、日米両国でこれを乗り越えていく未来志向の対応を支持したい。これの意味することはつまり以下の様なことである。歴史的な惨劇を捉える場合、それを「現在の基準で過去を裁く」のか、「過去の基準で過去を裁く」のかというふたつの基準が存在する。事実としてみれば、アメリカはこれまで原爆投下について公式に日本に謝罪などしていない。むしろ、原爆が戦争を早期に終結させる結果を導いたので、原爆の使用自体は正しかったというスタンスですらある。しかし、韓国が日本に対して行うような補償要求を、日本の原爆被害者はアメリカに対しては求めてはいない。勿論、日本政府に対しては原爆被害者認定と共にその補償を求めることで、実質的な被害者救済を実現していた。日本政府の対応が十分だったとは言えないかも知れないが、少なくとも被害者に寄り添う意思だけは日本政府内にはあったということである。一方で、日本の戦後復興から高度経済成長におけるパートナーとしてアメリカを評価し、惨劇よりも未来を見つめることで現在の日米関係がある。多分、今後も原爆の被害補償をアメリカに求めることはないだろう。

この様に考える背景には、原爆という非人道的な兵器を現在の基準で捉え、その使用(原爆投下)に対する責任を現在の基準に照らし合わせて評価していては、決して日米双方で納得できる結論に到着などできないという事実がある。アメリカとしては、その当時の国際法に照らしても原爆投下は国際法違反という側面があるのかも知れないが、それを横に置いておき、「過去の基準に照らし合わせれば、自国兵士の命の犠牲を数千人レベルで防ぐことができれば、敵対国の国民の命を数万にレベルで犠牲にしても致し方ない」という「過去の基準で過去を裁く」べきであるという考えに基づいており、それ故にシリアの化学兵器使用を引き合いに出して「現在の基準で過去(原爆)を裁くとどうなる?」という質問を黙殺したのである。
これは、アメリカとしては死活問題で、ベトナム戦争や朝鮮戦争など、様々な悲惨な戦争を繰り返した歴史の中で、「現在の基準で過去を裁く」ことが世界標準となってもらっては困るのである。だからこそ我々は、アメリカこそ「現在の基準で過去を裁く」ことと「過去の基準で過去を裁く」ことの差異を熟知していると認識すべきである。

さて、この様に書けば「過去の基準で過去を裁く」ことと「現在の基準で過去を裁く」ことの違いを最近、どこかで聞いたことがあることを思い出してもらえたと思う。それは、橋下大阪市長の慰安婦発言である。日本や韓国のマスコミは、こぞって橋下市長を「現在の基準で過去を裁く」べきところを、「過去の基準で過去を裁く」ことで逃げようとする悪い奴と決め付けていた。しかし、実際には橋下市長が何を言ったかといえば、「現在の基準で過去を裁く」立場に立って、慰安婦として辛い人生を歩んだ被害者に対しては明確に謝罪をしている一方、法的な責任については「過去の基準で過去を裁く」のが筋論として、強制連行の有無を軸に議論を行うべきだと主張した。この手の議論を行うとき、よく引き合いに出されるのは「例えば、アメリカの奴隷制度を議論するとき、『過去の基準で考えれば、当時の奴隷制度は仕方がなかった』という考え方は現在では許容されず、当然ながら『現在の基準で考えて、奴隷制度は決して許されるべきではない悪習慣』だと断じるべきである」という主張が出てくる。これを引き合いに出して、橋下市長の言動を「過去の基準に照らし合わせて、(強制連行がなかったなら)慰安婦制度は仕方がないなどと結論付けるのは言語道断」と議論を進めるのだが、その様な人には私は問うてみたい。

具体的には、奴隷制度で辛い目に合っていた奴隷の子孫の方々が、「過去に酷い目にあったから、今、当時の悲惨な祖先の生活に対する損害賠償を求める」と言い出した時、「そうだそうだ、賠償すべきだ!」と賛同するのだろうか?もし仮に、祖父母や曾祖父母の時代がそれなりに経済的に余裕があったとして、奴隷を雇っていた履歴が何処かに残されていた時に、個人補償を急に求められたら、それを仕方がないと支払いをするのであろうか?答えは「否」である。理由は簡単であり、道義的な責任に対する謝罪は「現在の基準」に照らし合わせて行うことはやぶさかではないが、法的責任に限定するならば、過去の悪しき制度に対する請求を遡及的に遡って今頃になって認めてしまっていては、今後、無限に過去に遡った請求が起きかねない。中国、韓国を例に取るなら、元寇の時代に被害を受けた人間の子孫が家系図などで明らかになった時、その損害賠償を今頃になって求めるなどという話はありえないのである。さらに言えば、かって中国に支配されていた韓国は、その歴史の中で虐げられていたことに対する損害賠償請求を今頃になって請求できることになってしまう。

法の秩序、法的安定性のためには、過去の事案に対する法的責任は、決して遡及的な考え方など導入せずに、「過去の基準に照らし合わせて過去を裁く」べきであり、そうでなければ無限の蟻地獄に引きずり込まれてしまうのである。

先日のブログ「欧米諸国の第3者の目線で戦略を見直せ!」の中では、「現在の価値観で当時の慰安婦を嫌悪(断罪)する日本」を演じることで、「当時の価値観で慰安婦を間接的に利用(肯定)していた日本」と現在の日本を切り離し、既に現在の日本は当時の日本とは違うのであるとアピールすることの重要性を説いたが、これは道義的な責任に対しては「現在の基準で過去を裁く」姿勢を示し、法的責任についてはこれと切り離し「過去の基準で過去を裁く」道を模索することに他ならない。しかし、この切り離しをより多くの第3者に支持してもらわなければ、この作戦は成功しない。だからこそ、今回のシリアに対する化学兵器と広島・長崎の原爆投下を引き合いに出したロイターの記者の質問が、この手の問題を理性的に考えるその考え方の整理に役立つのではないかと思う。この考え方を地道にアメリカに対して訴えれば、アメリカの中の良心派の人々は少なくともこの意見を真面目に聞いてくれるだろう。勿論、ハーフ副報道官の様に黙殺する人もいるだろうが・・・。

ついでにアメリカに対しては次のメッセージも合わせて伝えるといいだろう。

第2次世界大戦中においては、原爆は当然ながら国際法的に禁止されていたはずであるから、過去の基準で原爆を裁けば国際法違反となることはあるだろう。しかし、アメリカにはアメリカなりの事情があり、「過去の基準で過去を裁く」ことを法的拘束力を持つ形で議論しようとするなら、決してそれを受け入れられないだろう。だから同盟国日本は未来に目を向け、これまでのアメリカの日本に対する友好的な歴史を通じ、将来に渡り原爆に対する国家的な損害賠償を求めることはしない。だから、「過去の基準で過去を裁く」ことと切り分け、ルース前駐日大使がアメリカ合衆国政府代表としてはじめて広島平和記念式典に参加したように、(法的拘束力は伴わない形で)「現在の基準で過去を裁く」ことに目を向けて頂きたい。我々日本人は、歴史の中で韓国に対し国家予算の15倍をも超える膨大な実質的な補償を行うと共に、歴代総理が謝罪を繰り返してきた。それは現在の基準で過去を裁く行為に他ならないが、法的責任については日韓基本条約で完全かつ最終的に解決済みとしている。日本と韓国の未来のためには、「現在の基準で過去を裁く」日本の行動を認識して頂くと共に、補償問題として「過去の基準で過去を裁く」ことを切り分ける必要性にはご理解を頂きたい。その様な相互の理解が、日米の関係強化に役立つと共に、アジア地域の平和と安定にも役立つはずだ・・・、と。

アメリカは確かに狡さを伴う国だが、少なくとも韓国、中国とは異なり共通の価値観を有しているはずであるから・・・。

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