けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

政治における責任とは?

2011-11-11 23:57:47 | 政治
面白いことに、毎回、こうである。

民主党の中の対立する議題の決着方法とでも言おうか…。今回はTPPの参加表明に関連し、野田総理が微妙な言い回しで交渉参加を表明した。はっきりと「参加」でもなく「不参加」でもなく、慎重に交渉を開始するということのようである。

先日の増税議論でも、「2010年代半ば頃まで…」ということで決着した。今回もそうであるが、相対立する者同士がお互いに「勝利宣言」するという不思議な光景だ。しかし、例えばTPPに話を戻せば、勝利宣言した反対派の代議士は昨日の夜、自らの支持団体の反対派の人々にプロジェクトチームの結論を報告した際に、けちょんけちょんに切って捨てられていた。しかし、「私は(大丈夫だと)信じている」と胸を張る。日本語を理解する人であれば、野田総理の言っていることが、結論として何を意味するのかは明らかなのだが、「信じている」ことで許してもらえると胸を張っているのだ。極めて不思議だ。

思えば、菅前総理の辞める、辞めない発言でも、殆ど誰もがこう理解するという言い回しを使いながら、喋った内容を文字に起こすと、何処にも明示的な表現を用いておらず、後になって「そんなこと言っていない」と開き直っていた。しかもご丁寧に、側近からマスコミに事前に情報をリークさせ、政治家や国民に強い思い込みを植え付けておいて、微妙な発言で窮地を切り抜けていく。良く言えば巧妙でもあり、悪く言えば老獪で汚いやり方だ。しかし、別に民主党だけに限らず、自民党時代も政治家はこのような決着の仕方が大好きだった。

これは何故だろう。それは簡単である。責任を取りたくないのである。

物事は結局、権力者側が主導権を握っている。だから、TPPで言えば野田総理が「やる!」と言えばそれで決まりなのだが、そう言われた側にはそれを言われた(許した)責任が生まれる。もし、本当に責任を取る気があるのであれば、TPPに参加した際に問題となる点をリストアップし、少なくともその幾つかについて「じゃあ、どうすればリスクを最小化できるか?逆にピンチをチャンスに切り替えるような、起死回生の戦略はないのか?」といった議論に真面目に取り組む様を支持者に示すべきである。しかし、今回、そのような行動を取った政治家を私は知らない。

つまり、一方は他方がメンツを保てるようにするために、どの様にすれば喜んでもらえるのか?に腐心し、建設的な前向きな議論はしたくないのである。負ける側も、それが分かっているから深追いはしないのである。一連の応酬は、単なる政治ショーと化した。「民主主義とは手続きである…」と言うが、明らかに意味を履き違えている。「手続き」は必要条件であって十分条件ではない。

かくして、議論が深まることなしに、物事はどんどん進んでいく。そして、「責任」の意味もどんどん曖昧になっていく。この「責任」に対する政治家の評価システム(通知表)のようなものは作れないものか…。

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