けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

民主主義の王道を行け!

2014-02-04 00:03:29 | 政治
橋下大阪市長が辞任と出直し市長選出馬の意向を示し、記者会見を行った。産経新聞を読むと、その辺の熱い思いが伝わってくる。

産経新聞2014年2月3日
【橋下氏、松井氏会見ライブ(1)】ついに正式表明「僕は市長を辞めます!
【橋下氏、松井氏会見ライブ(2)】出直し市長選は「都構想の設計図作らせてもらうため」
【橋下氏、松井氏会見ライブ(3)】「住民の後押し得て、議会の意思を超える」
【橋下氏、松井氏会見ライブ(4)】他党を挑発「反対なら、選挙で首を取れ」
【橋下氏、松井氏会見ライブ(5)】「日本では選挙を軽く考えている」
【橋下氏、松井氏会見ライブ(6)】「公明は人の道に反した。絶対に許せない」

久しぶりに橋下節炸裂といった感じで、多くの報道陣が集まったようだ。勿論、コメンテータたちは橋下市長に注目が集まること自体が不愉快だから、色々な形で選挙に討って出ること自体の正当性を否定するような発言が多いようだ。その為、あたかもここで大阪都構想の是非を選挙で問うかの様に解説しているようだが、これらの会見内容を読むと、それは大きな間違いであるという橋下市長の主張が良く分かる。ポイントは、大阪都構想の是非を問うのであれば、それは都構想の全体像を示した上で、賛成/反対の綺麗な2者択一の議論に絞り込んで住民投票を行うのがスジである。だから、市民が明確に意思表示を行うためには、その住民投票を問うのに必要な情報を整理するところまでは推進するのが行政と議会の責任であり、現在の状況は議会側がこれをサボタージュする戦略に討って出ているので、この態度を是正するためにはここで民意を示すことが最良の方法だとしている。

勿論、正直なところ日本維新の会は既に以前の「飛ぶ鳥を落とす勢い」など微塵もなく、先の衆院選で候補者を立てずに選挙協力までした公明党にまで公然と裏切られる状況である。どう見ても完全な逆境で、国会内の東西対立、東京都知事選でのドタバタぶり、石原共同代表の辞任示唆など、見るからに泥舟そのものである。そんな中で、橋下大阪市長は共同代表でありながら実質的には大阪都構想に集中せざるを得ず、大好きなツイッターでのつぶやきも早々にして全力で都構想にまっしぐらである。しかし、議会には多数を握られ、如何ともし難い状況である。

この状況に引き込んだ最大の原因は、橋下市長の慰安婦発言であることは間違いない。あの時から、急に維新の会の熱が冷めたのが手に取るように分かった。しかし、冷静に考えてみれば、この辺に民主主義の本質が逆説的ではあるが反映されていると思った。

昨日のブログでも触れたのであるが、ある種の政治家や報道機関は自らの主張を押し通すために、国民に対して真実を客観的に知らしめるための情報発信を行う代わりに、意図的に情報を捻じ曲げたり、誰かの発言の一部分を切り出して、その切り出された発言という「事実」を利用して、その背景にある発言の意図という「真実」を恣意的に捻じ曲げ、結果として多くの市民に誤った判断を導くミスリード戦略を頻繁に行っている。これは紛れもない事実である。橋下市長の慰安婦発言にしても、明らかに本人の発言全体の文脈から伝わる本意とは異なる、「ああは言っているけど、本音はきっとこうだ!」的なレッテル張りで議論を断ち切ろうとしている。ガブリ四つの議論を吹っかけてくるのなら良心的だが、ゲリラ戦で「デマゴーグ」を振りかざして勝負してくるのだから性質が悪い。

だから、今回の橋下市長の決断の意図は、多分、以下の様に整理できるのだと思う。

ひとつには、「真実」を大阪市民に正確に伝えるための手段として、選挙というアプローチを選んだということである。都構想に反対する既得権益の保有者(ないしは改革と言うものを生理的に受け入れることが出来ない人々)は、ありとあらゆる方法でその阻止を図ろうとする。2年前の大阪ダブル選挙の際に、4年の任期で大阪都構想を完成させるという公約だったから、牛歩戦術的に遅延戦略に出れば結果的に構想を廃案に近づけることができる。だから、先の選挙の公約に示したスケジュール感での進展を阻害し、ズルズルと時間切れを目指す勢力がいる。建前上は「議論しましょう」と言いながら、実際は間逆の向きを向いているのである。この様な事態を大阪市民に強く訴えることが今回の目的であり、その意味では狙い通りの効果を得ているのではないかと感じている。

もうひとつのポイントは、民主主義にはコストがかかることを市民に伝えるということである。ここでの「コスト」にはふたつの意味がある。出直し市長選に要するコストは5~6億円らしい。これは税金から捻出されるので明らかにコストである。しかし、大阪府/大阪市の行政の2重化に伴うコスト削減のためには、選挙のコストは「大阪市民が払うべきコスト」として自覚してもらうというアピールが裏にある。そして、民主主義とは手続きが必要で、その手続きがあるからこそ独裁者の暴走を食い止めることができる。しかし、それは時として逆の改革のブレーキにも働き、既得権益などの反改革派の人達が現状維持のための武器として活用することができる。この様な手続きは非常にまどろっこしいが、しかし、民主主義社会を選択した我々はこのコストを払わなければ前には進まないという「決断」をしてきたのである。それは橋下市長にとっては高い高いコストだが、そのコスト自体を否定しているのではなく、そのコストに真っ向からがぶり四つで立ち向かうことこそが民主主義なのである。

さて、この様な民主主義の根幹にかかわる部分について一石を投じた橋下市長であるが、この石を受け止めるべき他党の取り組みはどうだろうか?報道によれば、誰一人、橋下市長の投げた石を正面から受け止める者はいないらしい。どうせ負けるのが見えているからである。橋下市長は負ければ身を引くと宣言しているから背水の陣である。しかし、その覚悟を持つ人は対立勢力にはいない。極めて理解に苦しむ状況である。

おりしも、中国・韓国からの言われの無い歴史攻撃にウンザリした人々にしてみれば、橋下市長の過去の慰安婦発言は的を得たものであると分かるはずである。だから、今となっては慰安婦発言を理由に橋下市長を攻撃しても殆ど効果はない。というか、敵に塩を送るような効果にもなりかねない。

ならば、無投票で再選が決まり、選挙費用のコストが無駄にならないかと言えば、多分、そうはならないだろう。今回の東京都知事選でも多くの候補者が現れた。その候補者の多くは多数の主役の影に埋もれて陽が当たることはない。しかし、それでも世に自らの名を知らしめたい、(それが高尚か否かは別として)政治信条を訴えたいという人は意外に多くいたという事である。だから、日本維新の会以外の既存政党から候補者が出なければ、そこで選挙に立候補した人は仮に知名度が皆無の人であってもその注目度は東京都知事選の比ではない。結局、何名かの立候補がみられ、選挙のコストは避けられないのだろう。そして、記録的な得票率で橋下市長は大勝することになる。その時、既存政党の議員たちはどの様に振舞うのだろうか?

良くも悪くも、橋下市長は民主主義の何たるかを熟知しているようだ。何年か後、民主主義の教科書に彼の一挙手一投足が掲載される時代が来るのかも知れない。

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