けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

正義を振りかざす放火魔に騙されるな(森元総理の暴言問題)

2014-02-21 23:11:11 | 政治
最近、「あれっ?」思う記事があった。森元総理の暴言問題である。今日はこの記事について思うことを書かして頂く。

最初に断っておくが、私は当初、森元総理は大嫌いであったが、私の2年ほど前のブログ「人は見かけによらないか?(その向こうにある希望)」あたりから、彼の評価を見直した。だから、少々、彼に肩入れしている感があるのは認める。しかし、その様なバイアスを除いても、同じ結論にたどり着くのではないかと思っている。

では順番にみて行きたい。まず、最初に私が森元総理の暴言発言を知ったのは下記の記事である。

時事ドットコム2014年2月20日「浅田選手は『大事なとき転ぶ』=森元首相

短い記事だが、浅田真央選手がショートプログラムで16位と出遅れたことについて「見事にひっくり返ってしまった。あの子、大事なときは必ず転ぶ」、「負けると分かっている団体戦に出して恥をかかせることはなかった」と発言したとして、配慮を欠くと非難している。私はこの関連の記事を幾つかの新聞で読んだ時、「あり得ない」と思った。この「あり得ない」の意味は、そんな酷いことを言うのが「あり得ない」のではなく、森元総理がその様な発言をして真央ちゃんを傷つけることなど「あり得ない」という意味である。しかし、多くの新聞社が引用しているので、少なくとも「その様な発言があった」ことは事実であろうと思った。であれば、何でそんなことになるのだろうと気になった。

思い起こせば、麻生副総理の「ナチス発言」も同様であった。過去のブログ「ジャーナリズムの堕落」でも書いたが、発言の内容を通して聞けば、そこで切り取られた言葉の持つ意味が新聞などの報道とは間逆であることが分かる。しかし、新聞というメディアは自分で「放火」しておいてその火事現場にいち早く駆けつけてスクープ取材をするのが得意で、まずは政治家などのある種の権威を持った人々を炎上させ、その炎上の中でその人がもがき苦しむ姿を記事にして楽しみ優越感に浸るようなところがある。そして、その記事だけを読んだ有識者と言われるテレビのコメンテータなどは、さらにそれを「酷い!酷い!」と酷評し、それをさらに記事にして炎上の度合いを高めている。様々な記事を読むと記者の高笑いが聞こえてきそうである。

流石に「あり得ない」と思ったので背景を探ってみると、実は、この森元総理の発言は別のサイトで全文を読むことができる。下記の記事を参照して頂きたい。

荻上チキSession22 2014年2月21日「森喜朗 元総理・東京五輪組織委員会会長の発言 書き起し

思わず繰り返し読んでしまった。悪意のある人は、この記事を読んでも非難をやめないだろうが、純粋な気持ちでこれを読めば森元総理の真意はだんだん見えてくる。他の記事では全く扱われていないが、スノーボードでメダルを取った人達の例を引き合いに出し、日本の殻を飛び出して、海外に活動の拠点を置いて伸び伸びと練習をし、自由奔放にやっている若い世代の人は、結局、本番で実力以上のものを出し切ってメダルをかっさらっていってしまう・・・、真央ちゃんもそんな風になれたら良かったんだけどねと言いたかったようである。しかし、極めて日本的な組織、例えば日本スケート協会などの考え方にはその自由奔放さがなくて、フィギュアの団体戦などで欲をかいて選手に無理を強いて、そしてその無理に応えようとする日本人の真面目さが仇となって、本番での精神バランスを崩し、それが日本の女子フィギュアの惨敗につながったと森元総理は考えているようだ。これまでに真央ちゃんは様々な逆境にぶつかりながら、時に押しつぶされそうになりながらも、その真面目さでここまで乗り切ってきたが、それはやはり自由奔放さとは違うから、ガラス細工のように繊細で、「大事な時に失敗する」という宿命から逃れられない。

多分、真央ちゃんのことを思い、あの様なショートプログラムでの「とんでもないこと」に至った背景を考え、なるべく選手に負担をかけないように団体戦を回避していれば、少なくともショートプログラムで(団体戦の時のような)3位で収まっていたのかも知れない。団体戦でのミスは自分だけのミスではないから、真面目であれば真面目であるほど心の中に傷を作り、1週間という時間がその傷口を深くしていく。森元総理はそんな背景がひしひしと感じられたから、真央ちゃんを弁護しながら、しかし同情されていると真央ちゃんに受け取られないように少し茶化して「あの子、大事なときには必ず転ぶんですよね。なんでなんだろうなと。」と言っているように見える。勿論、その発言は茶化しと言えども品がないから、それなりの立場なのだからもう少し品のある言葉を使えば良かったと言うのは認める。しかし、最近の報道のされ方は「品のなさ」をたしなめるのではなく、「言葉狩り」的に他人を陥れるために利用している悪意を感じる。

勿論、かくいう私もその様な現場の悲痛な叫びのようなものを知らなかったから、「団体戦」が個人戦に対する「ひとつの練習」の様になって良かったのではないかと思っていたのだが、森元総理の発言を読み直していると、多分、団体戦が彼女たち(彼ら)にとって相当な負担になっていたのだろうなぁというのが感じられる。実際、ソチ開幕前にテレビ番組でフィギュアの解説者が団体戦を語るとき、何か奥歯に物が挟まったかの様にすっきりしない言い方で、「選手にとっては負担」という雰囲気が感じられた。今思えば、あの時のその予感は正しかったのだと思う。

森元総理は東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長というポジションだから、今から6年後の東京オリンピックでのメダルラッシュのために何をやるべきか、何を考えるべきかを深く考えているのだと思う。その中で、ひとつの大きな議論として、選手たちが全力を出し切れる環境を作り上げることは、非常に重要なことであることは疑いもない。そのためには、自由奔放な選手を育成することであったり、各種競技の元締め的な組織が選手たちを本番前に消耗させないような、そんな体制・ルールを確立する必要がある。口で言えば簡単だが、真面目な日本人の体質の中で、その様な正論は中々通りはしない。何処かで大きな問題提起をし、そこで広く議論してもらわねば、状況を変えることはできない。

であれば、真央ちゃんの一件は日本国民にとっても凄まじいショックだったから、真央ちゃんには可哀想だが、この場を利用して問題提起をしなければ・・・と考えてもおかしくない。少なくとも、この長い長い書き起こし記事を読めば、森元総理の思いが軽はずみのものでなく、深い洞察があっての発言であることは読み取れる。しかし、新聞記者はそれでは飯を食っていけないから、放火をして炎上させ、いち早く駆けつけてスクープ記事を書こうとする。森元総理もその辺の事情を分かっているから、会見の最後に新聞記者に挑戦状を叩きつけるような煽りの言葉を喋っている。

しかし、本当に日本のこと思い、選手のことを思い、それを単なる同情などでは終わらせず、未来に繋げようという思いをしているのは誰かと問われれば、少なくとも新聞記者でないことは分かるはずである。

品がないのは認めるが、スノーボードのメダリストたちの自由奔放さがポジティブに働くことを考えれば、少々品がなくてやんちゃな森元総理の自由奔放さは認められるべきなのではないかと思う。

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1 コメント

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発言について (マックス)
2014-02-22 19:11:20
私も最初、このニュースを聞いたときには、なんて事を言うんだよ!皆一生懸命にしてるんだ!成功するか分からなくても、挑まなければならない時もあるだよ!!と凄くすごく怒りを感じました。そして、森元総理の発言した全文を見てみると、、あれ?全然悪意を感じませんでした。確かに、馬鹿にしたような、軽率な発言だったかもしれませんが、かなり浅田選手の事を気に掛けていると感じました。まったく、報道されている内容と違います。
あたらためて、報道機関というものは、嘘が多いということ、また、沢山報道されるなかで、何が真実なのかを自分で判断しなければならない事を感じました。
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