ママちゃんへの道

モニョモニョくんとの未知なる世界

空を求めて

2010-02-23 10:08:15 | モニョモニョくん
 
           

飛行機病患者を連れて、関空見学に行ってきました。

   「飛行機好き→見学いっちゃろ」

親バカなりの親心です。


見学ツアーはあらかじめネットで申し込んでおいて、モニョさんにはどこに行くのか、何をしに行くのか、全く告げずに朝早く家を出ました。結構な距離です。自宅から20分の毎日通える距離にある空港にいくのとは訳が違います。


空港直前の海上にかかる橋を渡るところでようやく事態に気がついたモニョさん、それはそれは大喜び!!駐車場に着いて車を降りると、滑走路との境にあるフェンスまで歓声をあげながら走り出しました。この顔を見られただけで、親バカ心は満足満足。これまでで一番いい笑顔を見たかもしれません。

ツアーはまぁ、空港内をぐるぐる。バスで見て回るもので、私にとっては完全に職場に戻ったような錯覚を起こす「これで○○円か・・・。」というツアーでしたが、パパさんモニョさんは楽しんでくれた様子。よかったよかった。


お楽しみはこの後です。


見学館なるものがあって、そこでモニョさま憧れのシュミレーターを体験することができました。こっそり持ってきてあげていたいつものアイテム(帽子、お手製ランプパス、軍手、メモ帳とペン)を出してあげると、ものすごい興奮ぶりで、趣味レーションゲームを楽しむモニョさん。それはそれはすごい興奮ぶり。毎日映画で見ているだけあって、エンジンブレーキ、スロットル、ギアの位置までよく知っていて、なにやらかにやらセリフを言いながら「操縦」しまくっておりました。

          

中にはこんな本格的なシュミレーターもあって、これ↑は110センチ以下のお子ちゃま用の自動操縦機能のついたもの。これでもモニョさんにとっては憧れの代物。だって、映画の冒頭はこういうシュミレーターからはじまるんですもの。


いつまでつづきか飛行機熱。つぎはどこの空港に行きますか?



さるまね

2010-02-21 00:00:35 | モニョモニョくん

          「猿にもできるならモニョにもできる。」


と、でも思ったのでしょうか。突然補助輪なしの自転車に乗れました。


実は夏頃、ご近所の二つ年上のお兄ちゃん達の集団にとにかくついて行きたい一心で、みんなが補助輪なしの自転車でスーイスイと住宅内を走り回る中、文字通りケタタマしい音を立てながら一人だけ補助輪付きの自転車でガガガガガガガガガガガガガガガッッッ~~~~~と必死の形相でついていくのですが(どれくらいケタタマしかったかと言うと、隣のマンションのローターリー+広い駐車場スペースを挟んだそのまた向こうのマンションのなんと13Fの草間田さん(仮名)のお姉ちゃんが「あ、モニョくんもうお外に出てる♪」とおウチで気がつくほどだったそう・・。あぁ、ご迷惑ご迷惑。)、やはり補助輪がついているだけにスピードはもちろん、ちょっとした段差があったりすると、一人だけ乗り越えられず、悔しくて悔しくてその場で天を仰いで「うわぁーん!」と泣いていたりしました。多少痛くても特にお友達の前だとあまり泣いたりしませんが、力が及ばず追いつけなかったり悔しい思いをした時には、かなりの確率でマンガみたいに泣くのです。


だったら、練習すればいいじゃん。


と思うのですが、したがりません。「努力」が何より嫌いなのです。


連日の激しいラリーに鍛えられて、かなりスピードも出せる様になっていたし、ブレーキ操作も鮮やかで、自転車自体にも相当慣れた感じに仕上がっていたので、もうあとはコツと慣れでしょ?もしかしたらはずしたらその場で乗れるのでは?という意見もご近所で出るくらいの暴走具合だったにも関わらず、その最初の一歩がでません。

結局一歩は出ないまま、冬に突入。自転車も16インチを買ってあったので体に比べると気持~ち大きく、足が届くのがやっとな感じだったので、「ま、夏頃になったらまた体も大きくなって足も届くだろうし、ヤル気もでるでしょ。」と放ってありました。冬は冬で、これまた近所で流行っていたキックボ-ドをクリスマスに買ってもらったため、自転車のことなどすっかりそっちのけでキックボードとばかり仲良くし、どこに行くにもキックボードで繰り出しておりました。


で。そんな頑固なモニョどんがなんでヤル気になったかと言うと。

ズバリきっかけはお猿です。


大好きな番組「志村ど○ぶつ園」を見ていると、なんとチンパンジーのパン君が補助輪はずしの練習をするところ。ナイス!と思い、「ほ~ら♪パン君だって補助輪はずし練習してるよ~。」と横でニヤニヤしてつっこむ母をよそ目に、必要以上に集中してジーーーーーーーーーーーっっとテレビを食いつく様に見るモニョさん。ちなみにパン君の練習方法はというと、補助輪を外した自転車にまたがり、緩やかな坂を両脚をパーっと広げてバランスを保ちながら下るというものでした。

しかし、私がそれを言ったところで、素直にやるモニョさんではありません。何に関しても自分で納得しないとやらない頑固者。


放送を見たのが今調べてみたら土曜日。その後すぐやったわけでも、そのことを話題にしたわけでもなく、ある日幼稚園の帰りに目についた自転車(みんなで使わせてもらっている12インチの補助輪なし自転車が自転車置き場にあります)に思い出した様にまたがり、自転車置き場からロータリーに出るホンの数メートルの緩やかな坂をパーっと脚を開いて上手に下りて行きます。あ!これは出来る!と後ろから見ていて前のめりになったのは母だけ。モニョさんはその一本を滑り終わると、自転車をもとに戻して家に入っていきました。家に帰ってからも「ねーねー♪さっき上手だったよ♪お着替えしたら練習しにいかない?」といくらそそのかしてみても「いかなーい。だって『ハッピーフライト』見るもん。」・・・・あぁ、そうですか。残念。

不思議なことにこの「幼稚園帰りに一本だけ下る」が、3日ほど続きました。


そして4日目。同じ様に坂を下ったモニョさん。初めて私を呼びました。


      「お母さん、後ろ持ってて。」


え?行くの?いよいよ?大丈夫?と心はやりつつ後ろについているレバーを持ってあげると走り出し、3、4回こいだあたりで


      「お母さん、離していいよ!」


というのです。こわごわと軽くレバーを握っていた左手をいつでも握り直せる様に2、3センチほど浮かせてみると、自転車はブレるどころかすこぶる快調にぐんぐんと進んでいっています。「あぁ・・・このまま行ってしまう・・・・」と思った次の瞬間、幼稚園の制服姿の息子の背中はどんどん小さくなっていきましたとさ。


補助輪はずしって、私にとっては幼少時の一大イベントでした。日曜日のたびに家の近くの路地で毎回膝に傷を作りながら、「お父さん!持っててよ!持っててよ!絶対まだ離さないでよ!」と後ろを向き向き、父の大きな手が自転車の荷台をがっしりと支えてくれているのがとても頼もしくて、「よし!あと一息!」「だいぶ上手になったぞ。」と褒めてもらえるのがうれしくて、あー早く日曜日が来ないかなぁ~。今度こそ乗れるようになりたいなぁ~。と心待ちにもしていたし、なんといっても乗れた時のあの達成感!


我が子が言ったのは、「離さないでよ。」ではなく「離していいよ。」でございました。



世間では「ザ☆お父さんの出番」とお父さんがスポットライトを浴びる数少ないチャンスも、我が家はチンパンジーに奪われたまま、一大イベントはあっさり終了。擦り傷の一つもせず、お父さんの存在感も感じず、転倒も、努力も、涙も、汗も・・・何一つなく終わっちまいました。母的には、もっとドロ臭いことして欲しかったのですが。


ま、当然、達成感もそれほどなく、「自転車=乗れるもの」といった感じで当たり前のように乗りまわしております。良いのか悪いのか。



まいにちまいにち

2010-02-19 09:20:35 | モニョモニョくん
毎日毎日、映画「ハッピーフライト」を観ています。

ついこの間まで、2時間の映画をずっと通してみられたというのも感動の対象だったのに、すっかりそれも普通のことになってしまいました。成長ってすごいです。

それにしても、毎日毎日毎日毎日・・・・当然すっかりセリフも覚えてしまい、日常生活も基本「ハッピーフライト」で生きているので、少しでも映画と重なるような場面があると一人でセリフのやりとりがダーっと始まってしまいます。うかつにヒマそうにしていると、私にもセリフの割当てがまわってきて、ちょっとでも言い回しを間違えると訂正され、セリフを覚えてないと「○○○○○○○○でしょ!!」と喝が飛んできます。やだなぁ・・・。

例えば。コックピットで機長と副機長が交互に別々のメニューの機内食を食べるシーンがあるのですが、その時の副機長のセリフに「これ、和食ですよね?」というのがあるがために、夕食のおかずに煮物などがあったりすると「これ和食ですよね?」とイチイチイチイチ映画のポーズをとりながら聞いてきて、ウ~ン、毎日洋食にしたろかな・・・。とか心の悪魔がささやいたりすることもあったりします。


誰に似たのか絵に書いたような単純くんなので、この間まで大きくなったら「消防車の運転手」になりたいとずーっと言っていたのに、最近の夢は「B747のキャプテン」だそうです。しかもANAの。

さぁ、いつまで続くか「飛行機期」


まさかこのまま本当にキャプテンを目指したりはしないだろうけど、「お母さんを乗せてあげるね」と言ってくれているので、ファミリーポイントで飛行機に乗れるのも、いやぁ~悪くないねぇ~


和食もっと作ろか?




そうそう。今日の幼稚園帰りに突然補助輪なしの自転車に乗れました。またこの話はゆっくり。

お母さんのお留守番

2010-02-19 09:19:35 | モニョモニョくん
近頃、幼稚園に行くのがあまり楽しくないご様子のモニョさんに、エールを送るつもりもあってこうやって言いました。


    「モニョくん、いってらっしゃい。お母さん、良い子でお家で待っとくね♪」


するとモニョさん、無邪気な笑顔でこんな答えを返してきたのです。


    「お家でおっぱいとかさわっとく?






ナナナナ・・・ナニ???


いくら自分がおっぱいをこよなく愛するう4歳男子だからって、そんなわけないでしょっ!!
外で言ったら誤解を招くよ。お止めください。



フランク・シナトラ

2010-02-15 00:37:43 | モニョモニョくん
          
我が家の4歳児、レンタルで借りたがったCDはコレ↑

シナトラ様です。


2枚組CDのうち、ディスク1の17曲目「COME FLY WITH ME」(視聴できます→
が今はまっている映画「ハッピーフライト」のエンディング曲だったので、こんなんあるよ~と見せたら「借りたい!借りたい!」と店の中でジャンプジャンプ。

パパさんは「え~、映画のDVD借りるんだからいらないんじゃないの~?」と怪訝そうでしたが、「きっと借りたらヘドが出るほど車で聞いて、覚えるに違いない。ひひひ。」と思った私は、借りよう借りよう。賛成賛成。と親子で共謀して、この渋過ぎるベストアルバムを借りたのでした。


予想的中。ヘドでました。


でも、ちょっとだけ。なぜなら、思いのほか早く覚えてしまったから。だから、ヘドが出たのは覚えるまでじゃなくて、覚えてから。歌いたくて歌いたくてしょうがないのです。しかも熱唱。近距離でも長距離でも、現在車内では渋過ぎるシナトラ様の声が響き渡り、必要以上にノリノリの4歳児がともにムーディーに熱唱。な状況が毎回くり返されているのです。

とはいっても、まだ全部完璧に一人で独唱できるかといえば当然無理なのですが、歌に合わせてだと、なかなかイイ線いってます。大人のように歌詞カードを見るわけでもなく、ましてや歌っている内容や英語が分かるわけでもないのを考えると、耳だけでここまで再現できるものなのねー。とちょっと興味深いです。


特に関心するのは、「If you can use~♪」の「can」の発音。 



あぁ・・・完全に負けました・・・。うらやましい。


YVR

2010-02-15 00:36:56 | つれづれなること
かの地で観た長野オリンピックは、とても特別なものでした。

アメリカ時代に知り合った友達が目指していたオリンピック。トレーニングのため、普段の移動はほとんどすべてがローラーブレード、よく不意に転んで頭を打っていました。本当に不思議な空気を持つ人で、日常のコミニュケーションにおいて必要以上に性別を感じさせず、まさに「友」という存在。そしてなんというか他に類を見ないくらいオープンマインドな、それでいて物事に良い意味でほとんど執着がなく、たとえ悪い結果がやってきたとしても、コレがダメなら~んじゃ次はコレだ!と躊躇なくどんどん新しい目標を見いだせる、見かけのフニャリ~としたソフトな印象からは想像がつかないくらい強い強い人でした。

今、こう思い返しても、あの友ほど強い人にその後会った事がまだないような気がします。その強さはきっとその生い立ちにあるのですが。生い立ちや人生のダイナミックさもまた、実際に出会った人から聞いた中で間違いなくダントツです。

滞在中には「いくか~?」と声を掛けてもらい、キャンプやスキーに何度か連れて行ってもらいました。生き方も生い立ちもダイナミックなら、連れて行ってくれる場所や見せてくれる世界も、それまでの私の平々凡々な人生で見てきたありきたりなものではなく、ドーンと本当に潔いくらい度肝をぬくようなすごいもの。今思い返しても、あれは夢だったのかな?と自信がなくなるほど、それはそれは毎回特別なものでした。それでも、本人は全くそんな雰囲気の欠片も匂わす事なく、ただ本当に淡々とフニャ~っとソフトに生きている感じ。

最後に会ったのはいつだったのか、最後に交わした言葉はなんだったのか、不思議なほど覚えていません。代表選手ということで、日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパと、ビザの関係で行き来したり、基本的には雪があるところにあちこち行っていたので、あまり思わなかったのかもしれません。でも、最後ではなかったのですが「日本に帰ったらどうやったら連絡とれるんじゃ?」と聞いた事があって、「ん~?どっかにいるよ。」といつもと変わらないフニャリ笑顔でサラっと答えが返ってきた気がします。家を持たない人なのです。  と、本人も周りも言っていたのでそうなんでしょう。


私の今の人生は、間違いなくあの時に連れて行ってもらったキャンプで見た風景にあります。平々凡々と生きてきて、その後も良いと言われる会社に就職し、良いと言われる結婚をし、良いと言われる人生を送るのが最善で最良のことだと当たり前のように思っていた私に、人生の選択肢の広大さを教えてくれたあの風景。この地球上には、私の知らない世界がこんなにも堂々と広がっている、私はこんなにも小さいものかと知った時のその衝撃と言ったら、今私が知っている限りの言葉では表しきれない鮮烈なものでした。


ま。友はそんなことはつゆとも知らず。なぜなら友は、そんな世界の中で生きてきたから。


日本に帰ってきてからアメリカ時代の仲間から名前を聞いた時には、「練習中に大けがして助かったのが不思議くらいらしい。命はとりとめたけど、選手生命は終わりだって。」という話題でした。「長野見に行くよ!」と仲間達で約束していたくらいみんなそれぞれ自分のことのように誇らしく応援していたので、ショックでした。でも、きっと笑って「次は何やろっかなぁ~。」と言っている姿が目に浮かんで、会いもしないのに友の強さを勝手に感じていました。



そんな思いも胸に秘めつつ、友の出るはずだった長野オリンピックをあの街のあの部屋で観ていました。もちろん日本人選手の活躍なぞ、ほとんど放送されず、覚えているのは卑弥呼の聖火点灯に異常にウケたことと、なぜか欽ちゃんが何度も何度もクローズアップされていたこと。


あれから12年。そのことすら、もう思い出すべきではない事実なのだということが辛すぎて、今回はあまり観ていません。あの街の風景が、もう記憶の宝箱に入れておかなければいけない全ての事柄を鮮明過ぎるほどに呼び戻してしまうのが怖いのかもしれません。


それでもあのこじんまりとまとまった大都会はきっと、いつも以上に街中至る所で赤いメープルをはためかせ盛り上がっているに違いないのです。


eh?



来ました

2010-02-13 22:35:25 | モニョモニョくん
          

ひさびさに来ました。メガヒット。

先日、何気なくかえたチャンネルの先でテレビ放送されていたこの映画。途中からでしたが、家族そろってなんとなく見始めました。昔、職場で毎日の様に見ていたモニターの緑色、焦って噛んでばかりだった可搬、ある!ある!ある!と叫びたくなるほど日常的な光景だったヒールで猛ダッシュ。毎日コスプレの今考えればちょっと変わって面白かった職業ではありますが、ちょうどこの映画のように表向きのイメージとは全く違うドタバタ劇の連続。そんな日々を思い出させるお話に私自身も引き込まれ、喜んで見ていたモニョさんがパパさんとお風呂に入っている間も録画してあげました。

モニョさま、ドはまり。

お風呂へ行った終了までの30分の録画部分を、一体何度見返したでしょうか。来る日も来る日も見続けたので、せっかくだからレンタルビデオ屋さんで借りてげたところ、これまたすごい勢いでご覧になられます。2時間映画なんすケド・・。

特に好きなのが「原田キャプテン」らしく、始まった途端あわててなにやら準備。自分のつば付きのいわゆるハット(紺色)を被り、ばーちゃんからもらった紺色のチェックの「はんてん」を装着、手にはお子様ランチについてきた新幹線の絵のついたちっちゃな手提げ鞄を格好良く持ちます。さらに、首からはお手製のランプパス(名前、似顔絵入り)をストラップでぶらさげ、手提げ鞄の中には、操縦用の軍手とメモ用紙とペンを常備。なぜなら最後にサインを書かなくてはいけないからです。

一見、何の真似?!と思うこのトンチンカンないでたち、本人は真面目も真面目、大真面目のキャプテンのコスチューム。


この映画のおかげで突如として「飛行機大好きっっっっっ!!!!!!」になったモニョさん。毎日のように飛行機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機機飛行機飛行機と言いまくり、遊びも、オモチャも、お絵描きも、その話しかしません。


この間まで脚光を浴びていた工事車両達・・・・最近とんと見かけませんなぁ。



まさかの敗戦

2010-02-11 22:33:11 | モニョモニョくん
          

31:33で負けました。

もちろん手加減全くナシの真剣勝負。
大差で負けそうで後半かなり焦ったほど。


4歳児に・・

しかも、私とは記念すべき初戦だったのに。


かなり良い所を攻めてきて怖いくらいです。
「あ♪いいところみ~つけた♪」と4歳児ぶった声をあげて打つ場所が、本当にまさに「いいところ」だったりして、まぐれ??とか甘く見ていると、ぐいぐい攻め込まれ痛い目にあいます。ほら、コーナ-も二つも取られているでしょ?パパさんによると、自分がちょっとずつ作っている「手」まで良い所で崩しにかかってくるらしいです。

でも、どうやって見極めているのかは実は謎。自分のひっくり返せるコマはまだ正確には分かっていなくて、斜めのラインなんかはめくり忘れたり迷ったりしている時もあります。ただただ鼻が利くだけなのかもしれません。


春休みにばーちゃんとやるのを楽しみにしていますが、「おじちゃん(兄)オセロ強いよ~。」と一言脅したのがまずかったのか、「おじちゃんとはやらない。おじちゃんとはやらない。」とおじとの対戦はかたくなに拒否しております。


「おじちゃんとやってみたい。」


と言う日がくるのが楽しみでもあり怖くもありますが。


たまに静かにしているなー・・・と思ってふと見ると、ぬいぐるみのミッフィーちゃん相手に詰めオセロ(自分の番もミッフィーちゃんの番もモニョさんが打つ)をしていたりするので、いつかそんな日もやってくるのかもしれません。




かこさんの本

2010-02-10 01:13:30 | 
          

一体この人は何者?と思うくらい広域の才能に驚く加古里子さんですが、いつもいつも様々な本でお世話になっております。


この本は今図書館で借りてきているもの。ドクター好きなモニョさんにどうかしら?と思って中もろくに見ずに借りてきたのですが、相変わらずとっても良いです。モニョさんも、今借りてきているものの中で一番気に入っているようで、毎晩のように寝る前にこれを選んできては私の膝に座ります。


救急病院という普通の病院とは違う病院の緊迫感や、扱う患者さんの緊急性・重大性、しかし中には、酔っぱらいのおじさんが電柱を自分で蹴飛ばして足の骨を折って運ばれてくるなど、ちょっとスパイスを効かせつつも、本当に様々な患者さんが運ばれてくる様子が短いお話の中でとても良くわかる様になっていて、読んでいても楽しいです。また、最後にいつの間にか夜が明けていくあたりや先生や看護師さんたちもついうとうとしてしまう場面では一言もそういう説明は文として出てこないのにも関わらず、病院が24時間態勢であること、お医者さんや看護婦さんが夜だからといって眠ってしまうと大変なことになることが自然と分かり、同時に「お話」という面でも、しっかりとした起承転結、山あり谷ありで良くまとまっているものだと本当に感心します。


かこさんの本の楽しみは「あとがき」にもあるのですが、この本のあとがきにはこんなことがかいてありました。

 「いま、日本の医学は、非常に高い水準にあるといわれています。ところがいったん病気になると、治療も施設も看護も、入院も費用も対応も相談も、なかなか満足のいく状態になっていないことがわかります。  保険制度や大学病院は立派でも、最後は個人の力によらなければならないというのは、非常に残念なことです。 「病人になったら、まず医療状態をなおさないと直らない」のでは、困ったものです。  こうした問題を考えてもらうため、最も医療の原点である救急医療の活動を描きました。 かこさとし 」


1986年に初版されているこの本、出来たら買いたいと思って調べてみましたがおそらく絶版?

24年の時が流れ、本自体は手に入らなくなってしまっても、今も変わらない問題がそこにあることを加古さんはどう感じていらっしゃるのでしょうか。

どんな方なのか、一度お目にかかりたい方の一人です。




ぽちぽち

2010-02-10 01:12:37 | モニョモニョくん
だいたい察しはついていたのですが、この手のヒトはやはり予想通りこういうゲームが好きです。

          
オセロを買いました。


前から興味はあったものの「ルール」が苦手なモニョさん、まだ無理だろうと思って控えていました。が、つい先日、なんの話からだったかご近所の同じ学年のお友達のママが、「うちの子DSでやってるよ♪モニョくんもやり方教えてあげたらきっとすぐ覚えるよ~。」と言ってくれたのもあって、いずれ買うなら買ってみるか・・・とダメもとのつもりでこの間の日曜日に買ってみました。


意外や意外、難関だと思っていた「ルール」も、特に詳しく説明したわけでもなさそうなのに(パパさん担当)、何となく理解してやっているようです。買った当日はもう嬉しくて嬉しくて、3、4回パパさん相手に対戦し、翌日幼稚園に行く時にも「帰ってきたら昨日楽しかったぽちぽちするアレやる~♪」と意気込んでバスに乗り込んで行ったほど。


で、その購入後2日目の夜。


対戦が始まるなり、パパさんが変な笑い方をしています。何かと思って夕食の後片付けをしながら聞いてみると、


「・・・なぜか強くなってる・・・。」


と言うのです。前の日はサポートしつつヒントを与えつつ相手をしていたらしいのですが、その日は最初から一人でぐんぐん良いポイントを攻めてきたそうです。一晩たって熟成したのか???


私が育った家族は両親がお店をしていたこともあり、小さい頃に家族旅行に行ったり遊園地に連れて行ってもらった記憶はほとんどなく、家族写真らしい写真すらろくにありません。しかし今考えてみれば日曜日やお正月、お盆など、お店が休みの日には家族みんなでトランプをしたり、ゲームをしたり、かるたをしたり、その都度親も悔しがったり、思いっきり笑ったり、手をたたいて喜んだり、本気になって相手をしてくれていたような気がします。当時はごくごくあたり前すぎたその時間、むしろ他の友達と比べるとかわいそうな自分だと思っていた時間が、今となってはとても有り難い記憶となり、私のそしてきっと兄の心や体の一部になってくれているんだろうな。と感じています。

親として子供の中に何を残してあげられるかは人それぞれ、家庭それぞれ。いつかモニョさんが大人になった時にほんの少しでも何かの足しになれればと、くる日も来る日も洗濯機をまわし掃除機をかけご飯を炊く毎日です。:)