ママちゃんへの道

モニョモニョくんとの未知なる世界

2008年

2008-12-30 02:23:58 | つれづれなること
9月の初めあたりからずーーーーっと駆け抜けっぱなし、で、気がつけば年末。秋は本当に忙しかったなぁ・・・。

今年の我が家の一文字は

 
             「飛」



あらゆる意味で飛躍の「飛」、時間が飛ぶの「飛」、そして実際飛んでイタリアへ行ったの「飛」。


さあ、さあ、新しい年は生活が変わりますよ。むふふ♪



3歳2ヶ月

2008-12-29 00:34:04 | 成長の記録
あまりくまなく書き留めようとすると、結局見送ってしまったりするので、思いつくことだけ簡単に。箇条書きに。

・「コレはなんで?」「コレは何?」がすごいです。
 (例:なんでニワトリさんは卵を産むの?)

・「コレはどこで作られている?」もすごいです。
 (例:工場、土の中、岡山県産、牛乳は牛さんから出る、ワインはぶどうで作られているetc.,)

・第一肛門期まっただ中です。「おっぱい」「お尻」「ウンチ」「鼻○ソ」「臭い」は一日中、「チン○ン」に至っては、3秒おきに所かまわず言い続けています。一番まいったのは、家族で行ったコンサートにて、プロのビオラ奏者が演奏するソロパートで、おもいっきり「チン○ン!キャハハハハ~~~♪」と言われたこと。脇に抱えて退散。しばらく、そういう場には出入り禁止です。

・ごっご遊びが大好きです。ミニカーが人格を持っているかのようにして会話をしたり、動いたりさせていつまでも遊んでいます。「お母さん、遊ぼ!」と誘われると、まず間違いなくこれの相手をさせられます。そして、本を読んだりするように終わりはないので、エンドレス。2時間くらい、ポンプ車でいさせられることもしばしば。辛いです。ポンプ車のまま(空想の中で)ジャスコに買い物にいったり、ドーナツを買ったり、ガソリンを入れたり、工事現場を見に行ったり、途中でたくさんの仲間たちもやって来たりして、一人3役くらいさせられることもあります。

・以前ほど、絵本を読みたがったり、パズルで遊んだりすることがありません。増えていないので新鮮じゃないからなのかも?

・お料理のお手伝いを、とてもしたがります。私がキッチンに立つと、「モニョくん、しよっか?」と言って腕まくりをし始めたり、進んで手を洗ってきてお手伝いの準備をしたりします。ウインナーをいためたり、えのきベーコンを巻いてくれたり、餃子を包んだり、ホットケーキミックスを混ぜたりする程度のことはしてもらっています。

・フィンランド人に対しても、全く臆する事なく、「Tervetuloa!」(=Welcome)と言って握手を求めました。一緒にいた2日の間中、自分の知っている英語の単語や言い回し、困った時には知っている英語の歌を歌って踊って、自分からガン!ガン!アピール。大人たちが自分の分からない英語やフィンランド語で話しているのを聞き続けた彼は、2日目の夕方になり、「何言ってるか分からないっ!」でも「変な言葉喋らないでよ!」でもなく、「お母さん、どうやっておしゃべりすればいいの?」とかなり真剣にかなり本気で聞いてきた。それをフィン人の彼に話すと「モニョ。フィン語勉強しろ。」と一言バッサリ。しかも、フィン語で。

・初めてお友達と「二人で遊ぶ」が出来ました。自宅に遊びに来てもらった一つ年上の女の子のお友達(それまではよく知っているがその子とはあまり遊んだことはない)と洗面所スペースに二人でこもって1時間以上「病院屋さんごっこ」だと言って服の下にぬいぐるみを入れて「産まれそう。」とかやってました。あまりの成長ぶりに涙が出そうでした。

・ラ・フランスが大ヒット。「りんごのジュースみたいな味~♪」とのこと。なるほど。

・自分一人で頭、顔、体、をお風呂で洗う事ができました。

・お風呂の湯船から一人で楽々自由に出られるようになりました。暖まらないうちに勝手に出ていってしまったりするので、母としては都合の悪い事もあり。

・お風呂から出たら、あらかた自分でふいて(髪の毛や背中は手伝う必要あり)オムツ、お下着、パジャマの一式を渡すと、リビングに持って行って一人で着てくれるようになったので、とっても楽になりました。特に寒い中、自分はたいしてふきもせずに全部着せるまでタオルを巻いて寒い思いをしなくても良くなったのがとっても嬉しい。母はその後、一人でのんびり二度入りすることも。

・二人分のコーヒー豆を手動のミルで全部挽いてくれることが出来る様になりました。

・ファンヒーター用の灯油入れを最後まで飽きずに満タンまでシュポシュポ出来る様になりました。



3歳を過ぎると変わるよ!と言われ続け、それを心の支えにやってきましたが、劇的な変化のXデーはまだですが、なんとなくやっぱり変わって来たように思います。そのかわりこれまでよりもグッと激しく、キャー!!もう手に負えないっっ!!というようなすんごい時も増えましたケドね。

あぁ、春が待ち遠しい、今日この頃。


クリスマス

2008-12-24 23:48:57 | モニョモニョくん
   
      


今年のクリスマスは去年よりも更にぐっと面白かったです。

サンタさんを待っていたというのは変わらなかったのですが、「良い子にしていないと、サンタさん来てくれないよ。」の殺し文句が今年からめでたく有効となりました。毎日毎日、これでもかってくらいイラっとさせることをしでかしてくれる3歳児。空に向かって「サンタさ~ん!モニョくん家は結構で~す!」と何度叫んだことでしょう。その度にえらい勢いで大声を出しながら、なかば半泣きで我々親たちを止めに入るモニョさん。そう、いわば全てサンタ任せ。クリスマスが終わってしまったら、一体誰にこの3歳児の悪行を頼んだらいいのでしょうか・・・。

それから去年に比べて、出来る事がとても増えました。去年は市販のものを私がお皿にのせて一緒にツリーの下まで持って行ったサンタさん用のクッキーも、今年は生地だけ作っておいたら自分でのばして型抜きも全部してくれました。一旦抜ききった生地も、何も言わなくてもちゃんと自分でまとめ直して綿棒でのばし、最後まで使い切るまでに。成長したなぁ。焼き上がった中から、一番出来の良いもの二つを吟味してお皿にのせ、自分の愛用ミニグラスに牛乳をつぎ、そろ~りそろ~りツリーの下にセッティング。興奮したまま興奮し疲れて、リビングでポテっと眠りについてしまったクリスマスイブ。今日はそれ以外にも、クリスマス用のディナーの準備を精力的に手伝ってくれたり、ケーキの生地を混ぜてくれたり、二人で朝からいそいそとキッチンにこもって、「あれやってくれる?」「うん、いいよ!」「これもお願い。」「わかった!」と結構楽しかったです。現在、お手伝い、特にお料理がしたくてしたくてしょうがないモニョさん。来年は豪華クリスマスディナーも極上のケーキもお独り様で準備して「お母さ~ん、できたよ~♪」とか言ってくれたりしないかしらん・・・。

サンタさんにお願いしたプレゼントは「曲がるトラック」。ある日、お風呂に入っている時に何をお願いするのか聞いてみたら、腰をクネっとさせてこう言っていたので、何の事かと思ったら、トミカのトレーラートラックのことでした。運転席部分と荷台の部分が分かれてトレーラーになっているので、クネっと曲がることができるためのようです。もうこれ以上、一台たりともミニカーは要らないと思っていたのに、え?またですか。しかし、後からよく聞いてみると、クリスマスツリーにぶらさげているばーちゃんお手製のニットソックスに入る大きさを考慮してのことらしいです。結構気ぃつかいでしょ?お父さんとお母さんからは?と聞いてみましたが、「要らない。サンタさんに曲がるトラックお願いしてるから。」とのことで、頑なに拒否なさるので、ご辞退申し上げました。ま、筋は通ってるわな。

ということで、今年はオーナメントのみ。自転車に乗れるようになった今年は「自転車サンタ」。こんながあればいいなぁ~となんとなく頭の中では思っていたのですが、そんなにいいのが見つかる訳はない。と思っていたので、布で作ろうか・・と覚悟していたのに、かなり早い時期に期待していたもの以上の心にピッタリくるこのサンタと出会って、「え?誰か私の心を読んだ??」と怖くなったほど。「だまされてないよね?」と最後まで疑いながら、レジに持って行きました。しかも、この自転車、ちゃんと車輪が回るのです。


今年はクリスマスリースも手作りする機会にも恵まれ、母もあれこれ楽しみました。来年は幼稚園でのクリスマス。来年はこれ以上、車を頼みませんように。



なんで君

2008-12-24 23:47:09 | モニョモニョくん
最近、本当に「なんで君」&「なぁ~に君」なモニョさま。日々何かと疑問に思い、それは何なのか?なぜなのか?どこで作られているのか?何から出来ているのか?アレコレと質問して来ます。説明に関しても、納得がいかなかったり、説明が足りなかったりすると、何度でも3歳なりに違う角度から質問してきて、疑問が消えるまで聞いて聞いて聞きまくってきます。答える方は、ちょっと責任重大。あまりに追求がすごい時には、たまにパパちゃんが「お母さ~ん、助けてぇ~~。」とSOSを出してくることもあるほど。


ま、それとはちょっと違いますが。

おととい忘年会でお酒を飲み、お仕事場に車を置いて歩いて帰って来たパパちゃん。昨日、車をとりに行くためにモニョさんと一緒にパパちゃんを送って行きました。その帰りの車の中でのモニョさんと私の会話。


モ:「お父さんはどうしてお車おいてきたの?」

私:「お父さんはね、昨日お仕事場で『忘年会』っていうのがあってね、そこでお酒を飲んだの。お酒を飲むとね、何か危ないことがあっても、すぐにどうしたらいいか考えられなかったり、危ない事をしてても自分で分からなかったりしてしまうようになるの。そうなると危ないでしょ?だから、お酒を飲んだら車は運転してはいけないきまりがあって、もし運転したらおまわりさんに捕まってしまうの。だから、お父さんは車をおいて歩いて帰って来たの。」

(*自分では過不足なくいい感じで説明できたと思っていた。)


モ:「モニョくんは?」

私:「ん?モニョくんはお酒を飲まないから大丈夫だよ。」

モ:「じーちゃんは?」

私:「じーちゃんもお酒を飲んだら車を運転してはいけないんだよ。」

モ:「じゃあ、ご飯を食べたらは?」

私:「???・・ご飯?ご飯は大丈夫だよ。」

モ:「『忘年会』ってナニ?」

私:「んー、パーティよ!パーティ!今年も色々ありがとうございました~♪来年もどうぞよろしく~♪ってパーティ!」

モ:「え?お父さん、昨日お誕生日だったの??」




3歳児のギモン。どこまでも続きます。



おやつ

2008-12-22 01:05:04 | モニョモニョくん
       

うれしいことがありました。

人からみたら、そんなこと。と思われるかも、それでも私の中では自然と顔が緩んでしまうようなうれしいこと。

普段はおやつを食べないのですが、(「禁止」しているというわけではなく、毎食しっかりご飯を食べてくれるので、おやつをあげる隙がないのです。)パパちゃんが出張中で、ご飯も適当にすませようと思っていたので、ばーちゃん家からもらってきたお菓子を二人で食べる事にしました。リッ○の小袋包装。1パックを渡し、「お母さんのも入れてね。」とお皿を二つ出しておきました。


山盛りに入れるにちがいない。


と、密かに心に準備をしていました。きっとあの1パックを全部お皿に分けきってしまって、小さなお皿からクラッカーのお山が山崩れを起こすにちがいない。と。


モニョさんが、一枚ずつ慎重に2つのお皿に交互に分け終えて「お母さん、できたよ。一緒に食べよ♪」と私に声をかけてくれたので、コーヒーを入れながらテーブルの方を振り向くと、両方のお皿ともこうなっていました↑

ちょうど、私がモニョさんにおやつを出す時に一度にお皿に盛るくらいの量。


あぁ、子育てには何にも無駄なことはないんだなぁ。


うれしくて、うれしくて、うれしくて。意味もなく、お皿に盛られた3枚のリッ○を何度も何度も見返しながら、ニヤニヤしていた母なのでした。



当然、3枚を何度も何度もおかわりして、結局小袋包装は食べきってしまうモニョさまですけどねっっ



再会

2008-12-02 00:44:51 | おともだち
   


一度目の再会は、眩しいほどに煌めく北欧の夏。
二度目の再会は、燃えるような紅葉の中。



「日本に行くよ。この冬。」


と、連絡が来たのはちょうどイタリア旅行に出かける直前。あ、そうなの??冬ね、冬。この時点で勝手に2月くらいと想定する私。そして返事もできないまま旅行へと旅立ち、帰って来てからは幼稚園問題などでパタパタ。すっかり忘れていた頃に二度目のメール。


「日本に行くよ。今月の終わり。」



・・・・んんん?!?!?!


しかも、仕事で訪れる場所はここからほど近い大阪。ど・・・どうするよ。


日本にくるのは初めてなので、京都にでも連れて行く?秋の京都、混んでるよね・・・。一応メールで聞いてみた。「京都とか行きたかったら連れて行くよ。」しかし、他のことについては返事が返ってくるのに、京都に関しては一向に返事が返ってきません。もしどこか行くとしても、予約やら計画やら急がねば。もしかして、どこか他に行きたいところでもあるのか??「どっか行きたいところとか、食べたいものとか、ある?」と聞いてみた。するとすかさず返って来た答え。


    「カエルの normal life も very interesting。」


もしかして、ウチに来たい?!?!


慌てたねぇ~焦ったねぇ~追いつめられたねぇ~。その日からはンモーそりゃあ大変でした。なにせ、彼は小麦粉が全くダメなセリアック症なので、まずは食べ物のことをなんとかせねばなりません。毎晩夜な夜なネットで小麦アレルギー対応の食べ物を調べ、米粉100%のパンを比較しまくり、小麦なしの醤油を取り寄せ、アレルギーの会つながりの知り合いの人々に電話しまくり、外食で行ける可能性のある店を探しまくり、同時に、持って返ってもらうお土産や連れて行ってあげたい観光地をねりねり。

なんというのか、心身ともに燃え尽きた。


当日まではずーっと極限的な緊張状態。再会を楽しみにするとかいうよりは、早く早くこの緊張を乗り越えて解き放たれたいっっっ!!!!と思っていました。


しかし、日本へ到着当日の朝、関空から電話をもらった時にはなんだかじーんとしてしまった。


その後は怒濤の再会ウイークエンド。あの頃、そしてその後遊びに行った時に受けた、返しきれないくらいの膨大なご恩を、2日間という限られた時間の中で可能な限り、返せる限り、返しきった。とっても充実してとっても意味のある再会劇となりました。うまく表現しきれないけれど、やはり月日が経ち私の中で自然と薄れかけていたフィンランドというものが、再び今まで以上にとても近い存在になり、これからもずっと続いて行くであろうご縁をなんというか生々しくほかほかと感じたのでした。


     

フィンランドへ戻る日の朝、最後に電話で話した時の彼の言葉。


 「今度はキミたちがフィンランドへ来なさい。真冬にね。」


おうとも。





どうしても抜けられない仕事のために来られなかったパパちゃんのかわりに、貴重な休日をさいて協力してくれた兄。心からキートス。