ママちゃんへの道

モニョモニョくんとの未知なる世界

フランク・シナトラ

2010-02-15 00:37:43 | モニョモニョくん
          
我が家の4歳児、レンタルで借りたがったCDはコレ↑

シナトラ様です。


2枚組CDのうち、ディスク1の17曲目「COME FLY WITH ME」(視聴できます→
が今はまっている映画「ハッピーフライト」のエンディング曲だったので、こんなんあるよ~と見せたら「借りたい!借りたい!」と店の中でジャンプジャンプ。

パパさんは「え~、映画のDVD借りるんだからいらないんじゃないの~?」と怪訝そうでしたが、「きっと借りたらヘドが出るほど車で聞いて、覚えるに違いない。ひひひ。」と思った私は、借りよう借りよう。賛成賛成。と親子で共謀して、この渋過ぎるベストアルバムを借りたのでした。


予想的中。ヘドでました。


でも、ちょっとだけ。なぜなら、思いのほか早く覚えてしまったから。だから、ヘドが出たのは覚えるまでじゃなくて、覚えてから。歌いたくて歌いたくてしょうがないのです。しかも熱唱。近距離でも長距離でも、現在車内では渋過ぎるシナトラ様の声が響き渡り、必要以上にノリノリの4歳児がともにムーディーに熱唱。な状況が毎回くり返されているのです。

とはいっても、まだ全部完璧に一人で独唱できるかといえば当然無理なのですが、歌に合わせてだと、なかなかイイ線いってます。大人のように歌詞カードを見るわけでもなく、ましてや歌っている内容や英語が分かるわけでもないのを考えると、耳だけでここまで再現できるものなのねー。とちょっと興味深いです。


特に関心するのは、「If you can use~♪」の「can」の発音。 



あぁ・・・完全に負けました・・・。うらやましい。


YVR

2010-02-15 00:36:56 | つれづれなること
かの地で観た長野オリンピックは、とても特別なものでした。

アメリカ時代に知り合った友達が目指していたオリンピック。トレーニングのため、普段の移動はほとんどすべてがローラーブレード、よく不意に転んで頭を打っていました。本当に不思議な空気を持つ人で、日常のコミニュケーションにおいて必要以上に性別を感じさせず、まさに「友」という存在。そしてなんというか他に類を見ないくらいオープンマインドな、それでいて物事に良い意味でほとんど執着がなく、たとえ悪い結果がやってきたとしても、コレがダメなら~んじゃ次はコレだ!と躊躇なくどんどん新しい目標を見いだせる、見かけのフニャリ~としたソフトな印象からは想像がつかないくらい強い強い人でした。

今、こう思い返しても、あの友ほど強い人にその後会った事がまだないような気がします。その強さはきっとその生い立ちにあるのですが。生い立ちや人生のダイナミックさもまた、実際に出会った人から聞いた中で間違いなくダントツです。

滞在中には「いくか~?」と声を掛けてもらい、キャンプやスキーに何度か連れて行ってもらいました。生き方も生い立ちもダイナミックなら、連れて行ってくれる場所や見せてくれる世界も、それまでの私の平々凡々な人生で見てきたありきたりなものではなく、ドーンと本当に潔いくらい度肝をぬくようなすごいもの。今思い返しても、あれは夢だったのかな?と自信がなくなるほど、それはそれは毎回特別なものでした。それでも、本人は全くそんな雰囲気の欠片も匂わす事なく、ただ本当に淡々とフニャ~っとソフトに生きている感じ。

最後に会ったのはいつだったのか、最後に交わした言葉はなんだったのか、不思議なほど覚えていません。代表選手ということで、日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパと、ビザの関係で行き来したり、基本的には雪があるところにあちこち行っていたので、あまり思わなかったのかもしれません。でも、最後ではなかったのですが「日本に帰ったらどうやったら連絡とれるんじゃ?」と聞いた事があって、「ん~?どっかにいるよ。」といつもと変わらないフニャリ笑顔でサラっと答えが返ってきた気がします。家を持たない人なのです。  と、本人も周りも言っていたのでそうなんでしょう。


私の今の人生は、間違いなくあの時に連れて行ってもらったキャンプで見た風景にあります。平々凡々と生きてきて、その後も良いと言われる会社に就職し、良いと言われる結婚をし、良いと言われる人生を送るのが最善で最良のことだと当たり前のように思っていた私に、人生の選択肢の広大さを教えてくれたあの風景。この地球上には、私の知らない世界がこんなにも堂々と広がっている、私はこんなにも小さいものかと知った時のその衝撃と言ったら、今私が知っている限りの言葉では表しきれない鮮烈なものでした。


ま。友はそんなことはつゆとも知らず。なぜなら友は、そんな世界の中で生きてきたから。


日本に帰ってきてからアメリカ時代の仲間から名前を聞いた時には、「練習中に大けがして助かったのが不思議くらいらしい。命はとりとめたけど、選手生命は終わりだって。」という話題でした。「長野見に行くよ!」と仲間達で約束していたくらいみんなそれぞれ自分のことのように誇らしく応援していたので、ショックでした。でも、きっと笑って「次は何やろっかなぁ~。」と言っている姿が目に浮かんで、会いもしないのに友の強さを勝手に感じていました。



そんな思いも胸に秘めつつ、友の出るはずだった長野オリンピックをあの街のあの部屋で観ていました。もちろん日本人選手の活躍なぞ、ほとんど放送されず、覚えているのは卑弥呼の聖火点灯に異常にウケたことと、なぜか欽ちゃんが何度も何度もクローズアップされていたこと。


あれから12年。そのことすら、もう思い出すべきではない事実なのだということが辛すぎて、今回はあまり観ていません。あの街の風景が、もう記憶の宝箱に入れておかなければいけない全ての事柄を鮮明過ぎるほどに呼び戻してしまうのが怖いのかもしれません。


それでもあのこじんまりとまとまった大都会はきっと、いつも以上に街中至る所で赤いメープルをはためかせ盛り上がっているに違いないのです。


eh?